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李成市、宮嶋博史『朝鮮史 2』⑨ 解放と南北分断 (2017山川出版) [日記 (2021)]

朝鮮史 2: 近現代 (世界歴史大系) 米ソの分割占領と米軍政
 1945年日本の敗戦とともに、朝鮮半島は日本の植民地支配から「解放」されますが、38度線を挟んで米ソによって分割占領(国際信託統治)され、国家として独立するのは3年後の1948年のことです。3年間、朝鮮半島には米ソの軍政が敷かれます。

 北はソ連→金日成の一体体制ですが、米軍政下の南は複雑。解放を迎えた朝鮮半島に3つのは社会的亀裂(対立)が存在したいいます。

 1)日本の植民地支配に対してどう対応をしたのかによる「親日―反日」という民族的亀裂。
 2)植民地朝鮮は、植民地地主小作制が根強く定着していたために地主・小作人という階級的な亀裂。
 3)日本による工業化が始まっていたため、階級意識を身につけた労働者(日本から帰国した労働者を含む)と資本家の亀裂 。

 解放された朝鮮で、屈辱の日帝支配の35年間、オマエは何をしたのか?しなかったのか?が問われるわけです。独立ために闘った側は(亡命したり、上海、重慶で臨時政府だと気勢を挙げたに過ぎなかったにしても)、(朝鮮近代化のために)総督府仕えた者を「親日」と糾弾します。新生「韓国」をめぐるヘゲモニー争いです。今日の「反日」はこの辺りにも根があるようです。

(解放の後)どのような政治勢力が主軸となってどのような理念のもとで国家を建設していくのかについて、十分な合意が形成されていたとはいいがたかった。国内に残留した勢力と海外で運動を展開した勢力、さらに、イデオロギー的な左右の対立、そして、主導権をめぐる指導者間の権力闘争など、複雑な政治力学が働いた。

その政治力学を担ったのは、
 李承晩:上海臨時政府大統領。アメリカに亡命し海外で独立運動を展開。韓国民主党と連合して独立促成中央協議会を組織 →大韓民国初代大統領。不正選挙を糾弾され→米に亡命
 金九:臨時政府大統領、臨時政府の中心的存在として独立運動に携わった。南北の統一を目指す →1949,暗殺
 宋鎮禹:日韓併合によって力をつけた資本家、地主を基盤とする「韓国民主党」を結成。 →1945,暗殺
 呂運亨:総督府から行政権を引き継いだ「建国準備委員会」を組織し、左派右派を糾合し「朝鮮人民共和国」の建国を宣言するが、占領軍(米軍)に潰される。 →1947,暗殺
 朴憲永:朝鮮共産党(北朝鮮の朝鮮労働党の前身)を再建 →米軍政下で1948,北朝鮮に亡命、1956,金日成によりスパイとして処刑。

 「単独政府樹立路線」を主張した李承晩が、アメリカの支援の下に1948年大韓民国初代大統領となります。1945年時点の政治力学を担った人々の末路は、暗殺、亡命と哀れです。韓国の歴代大統領の末路も同様ですから、士禍の伝統なんでしょうか。

当時の左右両派の対立軸は、イデオロギーの違いや親米か親ソなど外交政策の違いもあったが、それ以上に、農地改革の是非とその内容、「親日派」勢力に対する対応の違いとなってあらわれた。

農地改革については、左派は徹底を主張し、地主層を支持基盤の右派は緩やかな改革を主張します。同様に、左派は親日派への粛清を徹底的におこなうことを、親日派勢力を支持基盤に持つ右派は慎重な姿勢を示します。この亀裂が現在まで韓国の政治に尾を引いていることになります。以下、38度線より南の話です。

左右合作の挫折と大韓民国の独立
 ソ連は、東北抗日聯軍の金日成を支援して1946年2月に「北朝鮮人民委員会」を設立し、「重要産業国有法」を施行して共産主義国家への道を歩み出します。アメリカは、左右合作の親米政権の樹立を画策しますが呂運亨の暗殺によって頓挫。ゼネスト、大邱10月事件が発生し反米機運のなかで、アメリカは、南部のみの「即時独立」と反共を主張する李承晩とそれを支える韓民党勢力を支持せざるをえなかったわけです。
 米軍政右派の支援もあり、李承晩が権力闘争に勝ち残り、1948年8月15日、李承晩を初代大統領とする大韓民国が建国され、9月には朝鮮民主主義人民共和国が成立します。

この米ソ合意に基づく国際信託統治とそれを経過した独立の達成という構想を、朝鮮内部、とくに米軍政下の南朝鮮において受け入れられる政治勢力が主導権を握っていたのであれば、はたしてどうなっていたのであろうか。もし、国際信託統治を受け入れられるような国内体制を、朝鮮半島内部において樹立することができたのであれば、南北分断は回避できたのではないか。

と本書は記しますが歴史のif。金九、宋鎮禹、呂運亨の暗殺、朴正熙かr朴槿恵に至る歴代大統領の末路を見ると、韓国の政治力学に於いては妄想に過ぎません。

 本書を読むと(けっこう民族主義史観で記されていますがそれでも)、今日の日韓関係を決定づけている「日韓併合」の要因は、500年続いた李朝の無為無策にあると思われます。甲申事変や甲午改革など近代化への機会があったにもかかわらず、高宗と取り巻きがすべて潰しています。帝国主義の脅威を認識して金玉均や金弘集の改革に耳を傾けていれば、朝鮮の近代は、したがって韓国の現代はもっと違っていた筈です、歴史のifですが。李朝を相対化出来ない限り韓国の未来はないように思うのですが...。

【朝鮮史1】
【朝鮮史2】

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