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李成市、宮嶋博史『朝鮮史 2』④  日韓併合前夜(2017山川出版) [日記 (2021)]

朝鮮史 2: 近現代 (世界歴史大系)  日韓議定書(1904)により朝鮮半島での軍事活動を認めさせ、第一次日韓協約(1905)日本政府は顧問を送り込み、財政・外交の実権を握ります。第二次日韓協約により、韓国の外交権をすべて取り上げ、第三次日韓協約(1907)によって官吏の任免権を握り、韓国政府の重要ポストに日本人を送り込みます。

1909年3月に日本政府は、義兵運動などの抵抗を抑え、支配を確立するために「最確実なる方法」は「韓国の併合」であるとし、適当な時機に韓国を「併合」する方針を閣議に提出し、同年7月、これを決定した。・・・11月、韓国政府の法部は廃止され、裁判所、検事局、監獄は統監府に移管された。また7月には韓国政府の軍部も廃止され、わずかに残された近衛儀仗兵を管掌するために宮中に親衛府が設けられた。

この年の10月に伊藤博文が暗殺されます。

日韓併合前夜
 日本の朝鮮支配は経済から始まります。日本政府はまず徴稅制度を改編し、国家の根幹を押さえます。李朝の地方行政は8つ道(長官は観察使)とその下に郡(長官は郡守)からなり、それぞれが徴税権を持っています。首長である観察使、郡守は科挙の試験に合格したエリート官僚。彼らは、イザベラ・バードが『朝鮮紀行』で

朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある・・両班に求められるのは究極の無能さ加減である・・・非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。

と書いた両班であり、税収については、

国庫には実際に徴収された税の焼く三分の一しか入らないが、これはひとつには徴収にたずさわる官吏が腐敗しきっているせいであり、もうひとつには地方の財源管理は地方行政にある程度まかされているからである。・・・不正を厳しく取り締まり健全な会計を守れば、中央政府は相当な増収が得られるはずである。(第32章 国政改革)

 日本政府は、税のピンハネを防ぐため観察使や郡守を閉め出し、各道に税務に関する監視機関として地方委員会を設置、全国5カ所に財務監督局とその下に財務署を置きその中枢に日本人を据えます。

 金融支配も強化されます。1909年には日本の第一銀行に代わる中央銀行として韓国銀行が設置され、日本の借款をもとに各地に農工銀行、金融組合が設置され、全国に日本の金融支配が浸透します。
 朝鮮における日本人の土地所有が合法化され、日本人の土地所有も進み、1908年には、「満鉄」とともに日本帝国の植民地経営の二大国策会社である「東洋拓殖」が設立され、朝鮮第一の地主となります。未採掘の鉱物や廃鉱はすべて国有となり、外国人の鉱業権取得を認めたため日本資本による鉱山経営が始まります。
 鉄道、郵便、電信、電話も統監府・日本政府の直営となり、京釜鉄道も統監府鉄道管理局の経営下におかれ、朝鮮の近代化は日本の朝鮮支配によって始まります。

 身分制度は甲午改革(1984)で身分制度撤廃されましたが、奴婢・白丁といった賤民階層への差別は実質的に存続していたようです。1909年統監府は戸籍制度を導入し、賤民階層に姓を許可し、すべての朝鮮人子弟に教育への道が開かれます。これに反発する両班緩急は激しい抗議デモを繰り広げたといいますから、両班はどこまでいっても近代化の抵抗勢力です。
 税制、中央銀行、鉄道、郵便制度、身分制度を撤廃、憲兵を主体とした警察制度を導入(1906)と、朝鮮は次第に近代国家の姿を整えてゆきます。

植民地近代化論、資本主義萌芽論
 この日本による近代化=「植民地近代化論」を認めない考え方もあります。李朝後期には資本主義の「萌芽」が存在したが日本の植民地支配により芽が摘まれてしまったという「資本主義萌芽論」です。wikipediaによると、「韓国人が彼らの歴史の中で、産業革命の種子(資本主義萌芽)を捜そうと努力することは、オレンジの木からリンゴを求めるようなものだ」(カーター・エッカート、wikipedia)そうです。

 例えば郵便制度です。李朝末期に朝鮮には近代的郵便制度はありません( 洪英植によって企画されたことはあったが)。1876年に日本によって釜山郵便局が設けられ、1880年に元山、1883年に仁川、1888年に漢城と朝鮮各地に日本による郵便局が設置されます。これらの郵便局では日本切手がそのまま使用されてます。鉄道は、朝鮮政府によって京仁鉄道が計画されますが財政上の理由で起工できず、敷設権はアメリカの民間人の手に移り、1900年に日本資本(渋沢栄一)によって開通します。これが朝鮮半島最初の鉄道です。 1901年に京城~釜山間の京釜鉄道が着工し、1908年全線開通します。
 郵便にしろ鉄道にしろ「萌芽らしきもの」はあったわけですが、それが事業となりインフラとなるのはいずれも日本の支配が進んでからです。

【朝鮮史1】
【朝鮮史2】

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