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映画 パラサイト 半地下の家族(2019韓) [日記 (2021)]

パラサイト 半地下の家族 [DVD]  地上波で放映されていました。韓国映画は昨年何本か観ましたが、それほどレベルが高いとも思いません。『パラサイト』はアカデミー賞、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門受賞作、これは面白かったです。

 パラサイトですから「寄生」。何が何に寄生するかというと、詳しくはこの辺りを見ていただくとして、半地下の住居に住む貧しい家族が裕福な家族に寄生するストーリーです。不動産高騰で文在寅政権が批判されているように、ソウルの住宅事情は相当厳しいらしく、半地下の住居は本当にあるようです。冒頭、家族が1階の住宅のwifiが使えなくなったと騒ぎます。半地下に住んで、他家のwifi電波を拾ってスマホでインターネットというのは、さすがネット先進国です。

 半地下で暮らす、キム・ギデク(ソン・ガンホ)と妻チュンスク、息子ギウ(チェ・ウシク)、娘ギジョン一家。ギデクと妻は現在無職。ギウは大学の試験を4度落ちた予備校生、美大を目指すギジョンも浪人中。子供たちのアルバイトとピザの箱折りで生計を立てているようです。

 ギデクはフライドチキンの店を始めて失敗した模様で、このフライドチキンの自営は退職サラリーマンのかなりポピュラーな職業だそうです。何度失敗しても大学に入りたいギウという設定も、大学進学率の高い韓国ならでは。後の話ですが、4人の就職が決まり、今は警備員の求人に何十人もの大卒が殺到するが我が家は全員仕事が決まった、とギデクが喜ぶシーンがあります。住宅事情、若者の失業率、大学受験など、現在の韓国が抱える問題が随所に顔を覗かせています。

 ギウの友人が、留学するからと家庭教師のアルバイトをギウに持ってきます。美大志望のギジョンが得意のPhotoShopを使ってソウル大学在学証明を偽造し、半地下に住む偽大学生が山の手の社長令嬢の家庭教師となるわけです。家庭教師先のパク家と半地下のキム家の落差はかなりなもの、この国で問題となっているらしい社会格差が顔を出します。

 ここからストーリーが動きだします。ギウは、妹のギジョンをこの家の息子の美術教師に、ギジョンは社長の運転手を追い出して父親のギデクを後ガマに、ギデクは家政婦をこれも追い出して妻のチュンスクを住み込ませ、と半地下の家族全員がこの家に「寄生」することになります。寄生して、その後何が起こるのか?。キーワードは「地下」、この豪邸にも地下室があって...なるほどソウ来るか、面白いです。格差を乗り越えようとして乗り越えられなかった物語を、ブラックユーモアとして描いたところがミソです。

 「半地下の家族」の物語ですから、どうしても『万引き家族』を連想します。個人的には、赤の他人が家族となる『万引き家族』に一票。

監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム

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百田尚樹 日本国紀(1)~戦国時代~(2018幻冬舎) [日記 (2021)]

日本国紀  百田尚樹による日本の通史です。山川の「日本史」(教科書)?は気に入らない、ひとつオレが新しい歴史教科書を書いてやる!日本「国紀」だ、というわけでしょう。「永遠の0」の百田氏ですから、まえがきから

日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。(日本人の美点を挙げ敗戦から復興した経緯を語り)・・・ヒストリーという言葉はストーリー同じ語源とされています。つまり歴史とは「物語」なのです。本書は日本人の物語、いや私たち自身の壮大な物語なのです。

本書は「物語」だそうですから、眉にツバして読むほうがいいのなか?…。

 「古代~大和政権の誕生」から「平成」まで14章、日本史が教科書風にまとめられ、間に<コラム>と称する余話、ないしは著者の解説が入ります。このコラムが面白いです。

 例えば第5章、「戦国時代」。当たり前に織田信長、豊臣秀吉が登場し、鉄砲、キリスト教の伝来、お馴染みの楽市楽座、検地に刀狩りと来ますから、ほとんど教科書です。それでは面白くないので、秀吉の「朝鮮出兵」で加藤清正が満洲にまで攻め込んだことを例に歴史の<if>を語ります。

百年も続いた戦乱の世を生きてきた当時の日本の武士たちは、世界最強の軍隊であった可能性が高い。こうしたことを見ると、日本軍が明を征服するのはあながち誇大妄想の類ではないと思われる。実際、元も清も少数民族でありながら、中国大陸を百年以上にわたって支配している。
歴史に「if」はないが、もし慶長三年(1598)に秀吉が死なず、日本軍が撤退していなければ、東アジアの歴史は大いに違ったものになっていたかもしれない。

 言われみればれてみれば、清は少数民族の女真族が漢民族を支配した征服王朝ですから、この”if”はアリです。

なお近年の歴史教科書では、「朝鮮侵略」と記述されていることが多いが、他国に攻め込むことを侵略と書くなら、世界史におけるアレクサンドロス大王やチンギス・ハーンやナポレオンの遠征もすべて侵略と書かなければ辻褄が合わない。

と「自虐史観」をチクリ。現代の政治状況で歴史を云々するから「侵略」となるわけで、侵略したいのは明であり朝鮮なんぞは通り道に過ぎなかった秀吉にとっては心外でしょうね。
韓国の言う所謂「歴史問題」も同様で、帝国主義の時代に統治能力のない李朝が日本帝国に飲み込まれる、併合されることは侵略で何でもないわけで、世界史的事象に過ぎないかも知れません。

それまでどんな女性も妊娠させることができなかった男が、生殖能力が減退する五十代になって、茶々(淀)だけを二回も妊娠させたというのはきわめて不自然である・・・二人の子供の父親は、本当は秀吉ではないのではないかと当時の人々も考えていた。

となるわけですw。茶々(淀君)が浅井長政の娘で 母は織田信長の妹「お市」、お市の夫である柴田勝家は秀吉に破れお市も自害していますから、もし茶々が不義の子を産みその子が豊臣家を継いだなら、ある意味、復習を果たしたといえなくもない。・・・戦国の世にはこうした男女の生々しいドラマも渦巻いていた。と言うのです、ナルホド。

 という本です、面白いのでもう少し…。

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映画 恐怖の岬(1962米) [日記 (2021)]

恐怖の岬 [DVD] 狩人の夜 [Blu-ray]  原題”Cape Fear”。裁判で被告に不利な証言をした弁護士が、出所した元犯罪者に付け狙われるというサスペンスです。弁護士をグレゴリー・ペック、ストーカーをロバート・ミッチャムが演じますが、グレゴリー・ペックは『パラダイン夫人の恋』『アラバマ物語』などでも弁護士を演じていますから、冷静で知的な役柄はピッタリ。一方のロバート・ミッチャムは、『狩人の夜』(右の画像)で狂気の伝道師を演じています。映画の面白さは、この二人に尽きます。

 8年の懲役刑を終えて出所したマックス(ロバート・ミッチャム)は弁護士のサム(グレゴリー・ペック)を訪ねます。サムの狡猾なところは、マックスの周りに出没して圧力をかけること。明らかに「お礼参り」ですが、脅しや金銭の要求をせず、「綺麗な奥さんと可愛いお嬢さんですね」とか何とか言うだけ。パナマ帽子に葉巻をくわえた眠たげな眼(スリーピング・アイ)のロバート・ミッチャムの優しげな風貌が、かえって恐怖を誘います。理解不可能なもの、現象が恐怖ですから、サムの理解を越えるマックスの行動は恐怖です。ハリウッドの優等生グレゴリー・ペックは恐怖に震え上がりますw。

 サムは警察署長(マーティン・バルサム)に相談しますが、マックスの行動に違法な点は無く拘束は無理。次いで私立探偵(テリー・サバラス →スキンヘッドではない!)を雇って行動を監視させ、挙げ句の果てには暴力団を使ってサムを襲わせますが返り討ち。暴力団の一人が事の顛末を自白し、マックス弁護士会の査問にかけられる始末 →マックスの恐怖の果の狼狽が描かれます。

 この査問がアトランタで開かれることになり、妻と娘を残して自宅を離れることに不安を感じるサムは、一計を案じます。妻と娘をハウスボートに移し、アトランタに出掛けた様に装ってマックスを誘き寄せ、自身はハウスボートでマックスを待ち伏せます。待ち伏せに気づいたマックスは、ハウスボートに泳ぎとも綱を解きボートを…、とこのシークェンスがハイライト。ここまで煽っておいて、ラストはヒネリ無しとはチト残念。

 見どころは、ロバート・ミッチャムの狂気とハリウッドの優等生グレゴリー・ペックが追い詰められ壊れてゆくところでしょう。『シャイニング』のジャック・ニコルソンがそうですが、狂気を演じさせれば俳優の技量が分かります。ロバート・ミッチャムスリーピング・アイの恐怖は一見の価値ありです。

監督:J・リー・トンプソン
出演:グレゴリー・ペック、ロバート・ミッチャム、マーティン・バルサム、テリー・サバラス

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映画 欲望という名の電車(1951米) [日記 (2021)]

欲望という名の電車 [DVD]  原題、”A Streetcar Named Desire”。テネシー・ウィリアムズの同名戯曲の映画版です。
 南部の田舎からニューオリンズに住む妹を訪ねた姉が、妹の家に居候するという話です。戯曲ですから、舞台はほぼ妹の住む安アパートの二間。登場人物も、この姉妹に妹の夫の3人というシンプルなもの。シンプルな構成が映画、ドラマとして成り立つのは、この3人の背景と言動ということになります。「会話」によって登場人物の背景や存在が表現され、それがこの映画の魅力となっています。

ブランチ(ヴィヴィアン・リー) 
 南部の農園の娘で高校教師。家族の病気療養で財産を使い果たし、父親が亡くなって財産を処分、ニューオリンズに住む妹ステラのアパートに身を寄せます。高校の英語教師と言いますから一応教養のある女性。ブランチは若くして結婚し、夫は自殺して現在は独り身。ブランチが夫を自殺に追い込んだようなセリフがあります。休暇を取って妹に会いに来たと言っていますが、実は地元に居れない事情があり、ニューオリンズに逃げて来たことが後に明かされます。年増の寡婦が行く当て無く妹を頼ったという構図です。
 不安と後ろめたさを隠すように言葉を連発し、やや情緒不安定気味。

ステラ(キム・ハンター)
 ブランチの妹。ブランチは、アンタは早くに家を出ているから私の苦労は知らない、と妹を詰め寄っていますから、ステラは家を嫌って田舎から家出し、ニューオリンズでスタンリーと出会って結婚した模様。現在妊娠中。

スタンリー・コワルスキー(マーロン・ブランド)
 ステラの夫。ポーランド移民の息子で工場労働者。傍若無人で酒とポーカーに目がない。ブランチが農園を売ったことを知り、ステラの相続分を要求する。

 ブランチ、ステラ、スタンリーの関係を見ると、伝統的な南部の家族が壊れて人々は都会に流れ、ステラとポーランド系アメリカ人のスタンリーが結婚したように、人種や階級を超えて人々が混交する時代であることが分かります。

 映画の幕開けで、列車がニューオリンズの駅に到着、列車から降りたブランチは、妹を訪ねるために

「欲望」という名の電車に乗って「墓場」という駅で乗り換えて「極楽」という駅で降りる

わけです。「欲望という名の電車」に乗るというタイトルは時代の風潮を表しているのでしょう。ニューオリンズには「欲望通り」”Desire Street”が実際に存在し、”Desire”と表示された路面電車が走っていたそうです。欲望というのは、「資本主義」の象徴かも知れません。

 ブランチとステラはボーリング場で再会し、ステラは、「喧嘩をしているあの人が夫」のスタンレーだとブランチに伝えます。ブランチは妹の夫が殴り合いの喧嘩をするような階級であること知り、その動揺を隠すように、喉が渇いたと言ってドリンクコーナーで(ステラが勧めるソーダ水を断って)スコッチを2杯。若い女性が昼間からスコッチ2杯ですから、後に正体を顕にするブランチという女性の伏線です。

 ステラのアパートに着くと、ブランチは”私の寝室は何処?”と問います。二間のアパートにブランチの寝室があるはずもなく、彼女は折りたたみベッドで寝ることになります。「社交のためドレスを持ってきた」→「ここでは着飾る必要はない」とステラに言われ、 ブランチは南部との落差を思い知らされます。
 ブランチの過去が明らかになります。父母と姉妹を病気と死で財産を使い果たし、農園ベル・リーブを失ったことをステラに告げます。驚くステラにブランチは言います、

すべての重荷を背負わされた、病気と死は金がかかる、教師は安月収
出ていったアンタに責められたくはない

と。会話のバックに汽車の通過音が流れますから、近代という時代の波が伝統的な南部の生活を破壊したということでしょう。妹はその南部の重圧から逃れ、家を護ろうとした長女は護りきれず破綻したわけです。

 ボーリングと喧嘩からスタンレーが帰宅します。暑いと言ってTシャツを脱ぐと、ポーランド移民の筋骨隆々たる工場労働者の体躯が顕れます。

暑いと酒が進む、アンタも飲むか?(スタンレー)
お酒は飲まないの(ブランチ、精一杯の見栄です)
そういう奴は影で飲むんだ(ブランチの見栄は見透かされています)
昔、結婚してたって?
その少年は死んだの(少年 →ブランチの夫の死が自殺であったことの伏線です)

 スタンレーは、ステラを間に挟んでブランチと対極にある存在です。南部の伝統を捨てられないブランチは、このスタンレーという存在、雑駁で暴力的な存在に飲み込まれて壊れ、最後にはスタンレーに犯され、精神病院に収容されます。産業化、都市化に圧倒される南部の「斜陽」の物語とも言えます。

 ヴィヴィアン・リーが主演ということもあって『風と共に去りぬ』を連想します。

監督:エリア・カザン
脚本:テネシー・ウィリアムズ
出演:ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド、キム・ハンター

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映画 アーヤと魔女(2020日) [日記 (2021)]

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 年末にNHKで放映されていました。スタジオジブリの最新作にして初の全編3Dというので観てみました、受信料払ってるしw。宮崎駿が企画に携わり、監督は宮崎吾朗。宮崎吾朗は『ゲド戦記』に失望、『コクリコ坂から』はマァマァ、で今回はどうなんだろうと。

魔女ベラ・ヤーガ
 孤児院育った女の子アーヤが魔女に貰われてゆき、魔女と悪魔を手玉に取って実の母とめぐりあうファンタジーです。母親は12人の魔女に追われ娘を孤児院に預けますから、この母親も魔女、娘のアーヤも魔女?。アーヤの本名はアヤツル、「操る」はあんまりだというので、孤児院の園長さんはアーヤ・ツールと名付けますw。

 魔女のベラ・ヤーガ(寺島しのぶ)と悪魔のマンドレーク(豊川悦司)は、孤児院からアーヤを養子に引き取ります。ベラ・ヤーガは、子供が欲しかったわけではなく助手が欲しかったのです。で、アーヤは楽園の孤児院から外の世界に出るわけです。この手の映画は、子供が魔女を相手に奮闘するというのが常道。アーヤは、せっかく魔女の家に来たんだから私も魔法が使えるようになりたいと。「さっさとおし!晩ごはん抜きだよ。ミミズの罰のお仕置きだ」と脅されてコキ使われてもメゲずに頑張るわけです。ベラ・ヤーガの元には、バレエの発表会で娘が主役を逃した母親からナントカして欲しい、ドッグ品評会で我が家の愛犬を優勝させたい、などという依頼が舞い込み、魔女はヤモリの目玉やネズミの骨、イラクサなどから怪しげな秘薬を作ります。

 この秘薬作りの助手がアーヤ。魔女の家にはトーマス(濱田岳)という黒猫が居ます。トーマスによると、秘薬に呪文を吹き込むためには「使い魔」の黒猫が必要だそうです。ベラ・ヤーガはレシピ集を見ながら薬を調合 →これなら私にもできそうと、トーマス助手に、魔女の魔法にかからない秘薬を調合し...云々。映画の半分は、前向きでシッカリ者のアーヤと魔女ベラ・ヤーガの掛け合いというか、魔女にこき使われるアーヤの奮闘物語です。

マンドレーク
 ベラ・ヤーガが魔女なら、彼女が恐れるマンドレークは悪魔なんでしょうね。マンドレークは退屈な作品をせっせと書いている小説家で、気が向くとキーボードでロックを演奏するロッカー。アーヤは孤児院に来た時、〈Earwig〉と記されたカセットテープを持っていました。マンドレークの弾く曲とテープの曲が同じで、彼の部屋には若き日のマンドレークとベラ・ヤーガ、そして赤毛の女性(実はアーヤの母親)の写った写真があり、この三人はロックバンドEarwig(ハサミムシ)のメンバーだったいうわけです。
 アーヤはマンドレークを怒らせ、その矛先がベラ・ヤーガに向かい、マンドレークはアーヤをちゃんとした魔女に育てることを命じ...云々。アーヤは悪魔と魔女を「操って」魔女見習いの第一歩を踏み出し、マンドレークの小説を添削?してマンドレークに「アーヤちゃん」と呼ばせるまでになる少女の奮闘物語です。

 魔女、魔女になりたい少女、黒猫、とく来ればこれはもう『魔女の宅急便』ではないですか!。『宅急便』は少女キキが宅急便を開業して成長する話でしたが、『アーヤと魔女』も同工異曲です。宅急便の代わりに魔女の助手をやって悪魔と魔女=大人を手懐けるわけですから、アーヤの方が「人が悪い」かも知れません。もっともこの「あやつり」は、ポジティブな彼女の性格から来るものですから、良く言えば、前向きに生きれば道は拓ける、みたいなものでしょうか。小学1年生の子供が面白かったと言ってますから、ジブリの最近作にしてはチョット思うのは大人だけかも知れませんw。

監督:宮崎吾朗
企画:宮崎駿
出演:平澤宏々路、寺島しのぶ、豊川悦司、濱田岳

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謹賀新年 [日記 (2021)]

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 美味しかったのは棒鱈。棒鱈を戻して煮含めたものですが、これが何故おせち?。聞いてみると「タラふく」食べられるようにという意味があるらしいです、関西だけ?。黒豆、昆布巻、数の子、タツクリ、エビ、キントンと、定番は揃っていました。

タグ:絵日記
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