SSブログ

宮崎 駿 泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート(2002大日本絵画) [日記 (2021)]

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート ティーガー戦車隊〈上〉―第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録 ティーガー戦車隊―第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録〈下〉
 マンガ版『風の谷のナウシカ』,赤塚憲雄『ナウシカ考』を読んで面白かったので、本書を借りてきました。「宮崎駿の妄想ノート『泥まみれの虎』」と「宮崎駿の雑想ノート『ハンスの帰還』」の2本のマンガに『実録・ナルヴァの戦い』などのエッセイ(筆者は宮崎ではない)と宮崎駿の談話「戦記世界の迷路をさまよう」が収められています。A4版128ページの大ブリな本です。

  『泥まみれの虎』の「虎」とは、ドイツ軍のディーガー戦車のこと。オットー・カリウスの戦記『ディーガー戦車隊』をもとに、ドイツ軍の戦車長カリウス少尉が、エストニアのナルヴァでソ連軍と戦った「戦車戦」を描いています。『ハンスの帰還』は四号戦車に乗って東部戦線から故郷に還るドイツ兵ハンスを描いたものです。なんと、カリウス少尉を始め登場人物は全員「豚」、『紅の豚』です。戦争の生々しさを緩和したかったのかどうか。宮崎は巻頭の「生涯における、戦車シーズンは終わった...」でこう語っています、

 たとえば、空薬莢にオシッコをして、たまったら捨てるみたいなことが書いてあって、それだけを読むとひとつのエピソードに過ぎないないけれど、連日それをやらなきゃいけないんですからね。・・・そういうことの連続のなかに戦闘ってのは混じっている...
 どんな砲撃を受けようと、どんな激戦になろうと、あるいは延々と待っていようと、オシッコはし続け、メシは食い続けなきゃいけないわけですよ。

 戦争も又日常の延長であり人間臭い生活である、ということです。「だからどうの」などと宮崎は言いません。宮崎の興味は、1949年に18歳でドイツ軍に入隊し、少尉となって戦車部隊の小隊長としてソ連軍と戦ったオットー・カリウスと、カリウスが乗ったディーガー戦車です。

 宮崎は「生涯における、戦車シーズンは終わった...」(「泥まみれの虎」と「ハンスの帰還」の)両方がうまくいかない理由が「戦車」にある、と書いています。兵士を「豚」に見立て、戦闘をユーモアたっぷりに描いた「泥まみれの虎」は、作者の戦車愛もあってそれなりに面白いです。「うまくいかなかった」のは、戦車ではなく、「ナルヴァの戦い」にこだわったため、いちばん興味があったのは、オットー・カリウスのあのへこたれない精神というのはいったいなんだったろうというその「興味」が十分に描かれなかったことだと思います。その興味をストーリーに載せることができず、ト書き(説明)が多いのもそのせいです。1994年の作品ですから、『ナウシカ』を脱稿して創造力を使い切ったのかも知れません。
 マンガに慣れないので、けっこう読み辛いです。

IMG_20210225_0002.jpg
 IMG_20210225_0001.jpg

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

格安simも値下げ [日記 (2021)]

1.jpg 1.jpg
 スマホはずっと格安simの<IIJ>を使っています。家ではwifi、外ではニュースを見る程度、データ通信は月に1G程度です。料金も基本料の900円+電話付帯料700円+30秒11円x数回で、月2000円以内に収まっています。電話はめったの使いません。これで不自由を感じたことは一度もありません。ちなみに、スマホ本体もXperiaのromを入れ替えて脱キャリ化を図り、現在は中華製w。


 キャリアの値下げでMVNOも値段下げとなり、IIJも下がりました。20Gで1,880円(データ通信+音声通話機能)ですから最安値です。20Gなどとても使いませんから音声通話機能付き4G980円で十分、現在の契約が40%Offでデータが1G増えた勘定になります。早速申し込みます。


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

浅田次郎 流人道中記 ① (2020中央公論新社) [日記 (2021)]

流人道中記(上) (単行本) 流人道中記(下) (単行本)  万延元年、南町奉行所与力が罪人を江戸から奥州街道を津軽三厩まで護送する話です。
 罪人の旗本・青山玄蕃は、不義密通の罪で切腹を言い渡されますが”腹を切るのは痛いから嫌だ”と拒否。3千石の旗本を斬首もできず、闕所改易の末、蝦夷・松前藩に永年御預けの流罪となります。一方の与力は、若干19歳の石川乙次郎。乙次郎は、御家人の最下層、三十俵二人扶持の同心の次男坊で、半年前に2百石の石川家に入婿した見習い同心。江戸時代の身分制でいけば、2百石の19歳の見習い与力(御家人)が3千石の旗本を護送するわけです。唐丸籠に押し込めたり腰縄を打って護送するわけではなく、旗本の体面を考えて大小の刀を差した玄蕃を乙次郎が後ろから付いて行くというもの。

 基本は、江戸から三厩までの「奥州街道膝栗毛」「弥次喜多道中」です。小説は、玄蕃と乙次郎の掛け合い、ふたりが宿場宿場で出会う人と事件、乙次郎が江戸の妻に宛てた手紙から成り立っています。物語を貫く主題は、玄蕃の犯した不義密通は如何なるものか?、玄蕃は何故切腹を拒否したのか?という謎です。最後に玄蕃が自ら謎解きをし、それがそのままこの小説のオチとなります。

 面白いのは、押出のきいた壮年の旗本と若い侍のコンビですから、行く先々で人は玄蕃を主、乙次郎を従者と見なします。罪人と護送人の関係が逆転して来ることです。宿場で出会う事件を玄蕃が解決し、玄蕃が乙次郎をリードする一種のビルドゥングスロマンとも言えます。登場人物も、旅籠のおかみ、関所の役人、按摩、盗賊、賞金稼ぎ、飯盛女、浪人、代官と浅田次郎の人情噺を彩ります。

 玄蕃と乙次郎は、行く先々で事件に巻き込まれます。事件といっても犯罪ではなく、旅籠で旅人の抱える人生模様に巻き込まれるわけです。
 賞金首の強盗と幼馴染みの飯盛女、賞金稼ぎの浪人の三に関わる芦野宿「稲妻小僧事件」、7年にわたって親の仇を探す武士に助太刀する大河原宿「仇討ち事件」、お伊勢詣りの貧しい寡婦を助ける有壁宿の「宿村送り事件」。玄蕃が事の真相を見抜き大岡裁きで事件を解決し、乙次郎は傍観者ないしは端役として事件に関わり「世間」を目の当たりにして成長してゆきます。3千石の御殿様が、なぜ下々の事情、人情の機微通じているのか?、この辺りも謎。 →続きます。

タグ:読書
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

対馬海峡 海底トンネル [日記 (2021)]

海底トンネル.jpg
 中央日報によると、釜山市長選挙で、北九州と朝鮮半島を結ぶ海底トンネルが韓国で話題となっています。与党(共に民主党)候補が選挙対策用として加徳島新空港建設を打ち出し、これに対抗して野党(国民の力)候補が「日韓海底トンネル」をぶち上げたようです。
 構想は、唐津ー壱岐ー対馬ー巨済島を結ぶ全長200kn、トンネル部分150kmの巨大プロジェクト。ドーバー海峡のトンネルが38km、青函トンネルが23kmですから壮大なものです。古代にあった九州・南朝鮮文化圏の現代版構想?、大阪発釜山行きの列車が運行される!。

 面白いのは、海底トンネルの出口は日本ですが日本の意向など斟酌せず韓国ひとりが盛り上っていることです。与党は、そんなもの作れば日本の半島侵略の足がかりとなる、親日だ!と非難し、何でも反日ななるところが如何にもです。もっと面白いのは、事業費の15~20兆円のうち70%が日本の負担だそうですw。日本が全くあずかり知らない海底トンネルが選挙公約となるとは面白いです。昨今の日韓関係を見れれば、海底トンネルに日本が協力するはずはありません。実現不可能な政策が希望的観測として堂々と論議されるわけです。唯我独尊の韓民族らしいです。

 で、海底トンネルを通って列車で韓国に行きます?。対馬迄は行くとしても、そこから先は行きません。唐津ー壱岐ー対馬は日本の建設会社が担当、対馬ー巨済島は韓国の建設だと思うので、デパートや橋が崩落する韓国の技術で掘ったトンネルは怖くて通れませんw。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

大平 裕 知っていますか、任那日本府 ② (2013PHP研究所) [日記 (2021)]

知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史個城.jpg
続きです。
倭・高句麗戦争
 『日本書紀』に、神功皇后の「三韓征伐」という日本と朝鮮との戦争が記されています。伝説だと思っていたのですが、広開土王碑、三国史記からもこれが史実であることが伺えます

・364年:倭兵が大挙して侵入してきた。(三国史記)
・391年:倭がこの年に海を渡り百済と新羅を臣民とする。(広開土王碑)
・393年:倭軍が侵入して金城を包囲した。(三国史記)
・399年:百済は高句麗との約を違え、倭を通じ平壌に来攻。一方、新羅より急便あり。倭人国境いに満つと。(広開土王碑)
・400年:新羅救援のため五万の兵を派遣。倭兵城中に満つ。倭兵を討つ。(広開土王碑)
・404年(甲辰)……倭、不軌(無法)にも帯方郡(黄海道)に侵入。(広開土王碑)
・405年”倭兵が侵入して明活城を攻めたが勝つことはできなかった。(三国史記)
・407年:五万の兵を率い(倭と)戦う。鎧卸一万余を残し敗走。(広開土王碑)
・413年:倭兵が侵入して明活城を包囲したが、得るところなく退却した。(『三国史記)
・444年:倭兵が一日間も金城を包囲し、食料が尽きたので引き揚げようとした。王はこれを追撃し、独山の東で合戦したが敗北した。(三国史記)
・459年:倭人が兵船百余艘を列ねて東海岸を襲撃し、さらに進んで月城を包囲した。(三国史記) (p35)

 著者は364年の侵攻が「三韓征伐」に当たると考えます。神功皇后」は伝説でしょうが、ヤマト王権成立間もない5世紀に日本が朝鮮半島に攻め入り、京城を超えて平壌付近に至ったというのです。何故海を越えて半島に攻め入ったのか?。おそらく鉄です。高句麗の南下で新羅・百済の権益を脅かされるヤマト王権が反撃に出た、ひょっとして高句麗の東北部に産する鉄鉱石を狙っていたのかもしれません。

 この倭・高句麗戦争は、侵略的日本民族の典型として反日の材料になりそうな戦争ですが、本書によると任那日本府とともに「韓国がけっして教えない歴史」だそうです。

 407年に 、高句麗は5万の兵を率いて倭と戦っています。ということは、日本軍(倭、新羅、百済の混成軍?)も相応な兵力だったと考えられます。戦争の度に本国から兵を送るわけはないので、半島の何処か、日本に近い半島南部で兵力を養い兵力を支える倭人がいたはずです。それはヤマト王権の出先機関などではなくヤマト王権そのものと言っていいでしょう。『魏志倭人伝』の「馬韓と弁辰が各々その南方で倭と接する」という「倭」です。

 倭の朝鮮半島進出は、考古学的裏付けがあります。全羅道北にある〈竹幕洞遺跡〉と、固城にある十数基の前方後円墳です。
 竹幕洞遺跡の出土物が沖ノ島(宗像大社)の出土物と酷似しているため、大陸への航海安全を祈った倭人による祭祀遺跡と考えられています。奴国、狗奴国などは、半島の西海岸伝いに北上し、中国に朝貢していますから、彼らが作ったものでしょう。7世紀の遣唐使はこのルートをとっています。

 固城にある十数基の前方後円墳から、この地は日本書紀が記す任那の地だといいます。前方後円墳は、ヤマト王権の権力の伸長とともに地方へ拡散してゆきますから、固城の古墳の作られた5~6世紀には、半島にはヤマト王権の権力が及んでいたことになります。ちなみに、これはヤバイと考えた韓国は、前方後円墳を削って3基の円墳に作り変えたそうですw。

任那日本府
 北九州、朝鮮南部が文化圏を形成してヒト、モノが往き来していた時代、倭と呼ばれていたこの地に、ヤマト王権が鉄を求めて割り込み、三韓(弁韓、馬韓、辰韓)の辺境を掠め取って任那伽倻地方を支配した。元々国というククリが曖昧な時代ですから、朝鮮族、ヤマト族の「二族共和」地区。その地に築いた、軍事・政治的拠点があったはずです。
 三国時代になると、倭は軍事力を背景に百済、新羅から朝貢を受けるようになり、5世紀には何度も朝鮮半島の奥深くまで攻め入っていますから、倭の根拠地〈任那加羅〉に、当然軍隊を統括する倭の出先機関「日本府」があったことでしょう。前方後円墳を作っていますから、この政庁を統べる長はヤマト王権の豪族と考えられます。大規模な墳墓を作るくらいですから、単なる出先機関ではなくこの地に根付いていたと想像されます。

 任那が歴史に登場するのは、5世紀初めに建てられた広開土王碑です。「十年庚子」(400年)に、高句麗は新羅を助けて倭と戦い、〈任那伽倻〉まで倭軍を追っていったという記述です。日本府という名称が登場するのは、日本書紀の雄略天皇8年(464)。新羅王は、新羅が高句麗の来襲を受けたので、使を任那王に出し「日本府の軍将」の救援を願い出たという記録です。
 広開土王碑、三国史と前方後円墳から朝鮮半島に倭は間違いなく存在し、倭があったなら半島経営、軍事的拠点の「日本府」があったと考える方が自然です。

 〈任那伽倻〉の国(部族)は、次々に高句麗の南下で追われた百済と、後に朝鮮を統一する新羅に組み込まれ、任那は562年に消滅します。なぜ倭は助けなかったのか?。任那四県を百済に割譲していますから、任那を中心とした半島経営から百済を使った外交に方針転換したのではないかと思います。高句麗と力をつけてきた新羅を敵に回して百済と任那の両方を援助するのは荷が重い?。百済の聖明王は、仏教を伝え五教博士を送って文化・技術を倭に提供していますから、任那を維持するよりも百済を通じて大陸の文物を取り入れ方がよいと考えたのかも知れません。白村江の戦い(663)、百済滅亡(660)による大量の渡来人から、倭と百済の濃密な関係がうかがえます。

 任那日本府はやはりあったのですね、長年の疑問が消えスッキリしました。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

BBQ [日記 (2021)]

1 (2).jpg 1 (1).jpg
 コロナもだいぶ落ち着いてきましたが、外出自粛中。2月ですが気温19℃! →庭でBBQしました。前回の炭火一発着火の技を使いましたが、この技はスグレモノ。炭に火がに付くと音楽が聞こえます、炭が鳴ります。

タグ:絵日記
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

中央日報も面白い(2) [日記 (2021)]

 こっちの続きです。コロナ禍というわけではないのですが、巣ごもりで最近あちこちのニュースサイトを見ています。好みの情報だけ集まるようですが、これはが面白い!。

 慰安婦問題は中国が韓国に加担し、慰安婦は「代理戦争」になってきました。
 中央日報は産経の記事を配信して散々煽ったわけですが、ついに元慰安婦・李容洙さんが記者会見を開き、慰安婦問題をICJ(国際司法裁判所)に付託(聯合ニュース2/16)するよう文在寅大統領や韓国国民に呼び掛け、ハーバード大教授の論文は日本が書かせたと発言しました。
 この会見は、韓国より日本の新聞が大きく取り上げています。「徴用工判決」で、日本は第三国による仲裁委員会(ICJ?)に持ち込もうと呼びかけましたが、韓国はダンマリを決め込みました。文政権にとっては元慰安婦がICJに提訴して白黒つけろと言ったわけですから大変、韓国外交部もあわててコメントを出しています。「一緒にICJに行こう」とは言わず、「チョット考えさせてくれ」というものw。これには外交部も文大統領も慌てたでしょうね。で、中央日報はどう報じたかというと、

慰安婦被害者の涙の訴え…「ICJカード」は妙手か悪手か(1)(2)

つまりICJに行って勝てばいいが、負ける可能性もあ。勝つ可能性は低く、「徴用工判決」「竹島問題」「日韓併合の不法」にも波及しかねない。だから「妙手か悪手か」となるわけです。強制連行、性奴隷と感情論は韓国から散々聞かされましたが、実証的な反論は全く言ってよいほど聞きません。逆に実証的な研究は『反日種族主義』など日韓の研究者がこれでもかという程発表しています。
 一番笑ったのがこれ→「ハーバード大学長「『慰安婦=売春婦』主張は学問の自由…問題ない」。中央日報は、散々に同教授を叩いておきながら、学長にしてやられたわけです。

 日韓関係が硬直し、アメリカ外交方針が変わったタイミングで、ハバード大教授の論文出現には裏がありそうです。さらに、元慰安婦・李容洙さんのICJ発言はタイミングがよすぎます。論文の裏には日本のロビー活動があり、ICJ発言の裏には小当りで手打ちをしたい青瓦台がいる?。青瓦台は、「ICJに持っていくくらいな協議しようよ」とラブコールを送り、万が一ICJにいっても一勝一敗の痛み分けで「日韓問題」の幕引きをはかろうというわけです。「慰安婦と徴用工と北朝鮮以外言うことはないのか?」とアメリカには釘をさされ、中国にまで「イデオロギーによる対立はやめよ」と言われていますから、この辺りで手打ちをしたい筈です。ICJで、日本の戦争犯罪を拡散させ(1勝)、「主権免除」で「国際法違反」(1負)を狙っていると思うのですが、総都合よくいくかどうか...。個人的には「慰安婦問題」が国際法廷の俎上に上るのを見てみたいのですが。

 件のハバード大教授の論文について面白い記事を見つけました。

続きを読む


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

映画 空母いぶき(2019日) [日記 (2021)]

空母いぶき [DVD]空母いぶき.jpg  
 久々に映画。
 中国は尖閣諸島を自国の領土と主張し、武器を搭載した警備艦が、尖閣諸島の接続水域に頻繁に出没しています。米国は、日本、オーストラリア、インドの4カ国が参加するQUADを結成して中国を牽制、アジア版NATOが進みつつあります。という情勢下で、東シナ海で自衛隊が戦争の危機に直面する『空母いぶき』はリアリティのある映画です。原作は、『沈黙の艦隊』の〈かわぐちかいじ〉です。

 東南アジアの島嶼国家カドレフ(架空)が〈東亜連邦〉を結成し(〈大東亜共栄圏〉を連想して笑いますが)、沖ノ鳥島西方450kmの波留間群島の領有権を主張します。20XX年12月23日03:15、東亜連邦は群島付近で巡視船を攻撃し、付近の初島(架空)に乗員を拉致拘束、カドレフの国旗を立てます。日本は〈空母いぶき〉を中核とする第5護衛隊でこれに対抗、一触即発の危機が訪れるという幕開きです。原作は東亜連邦ではなく「中国」だそうです。
 日本は現実には空母を保有せずヘリを搭載した護衛艦だけですが、「いぶき」は戦闘機(F35)を搭載した「空母」。4隻の護衛艦と潜水艦とともに〈第5護衛隊群〉を構成しています。戦闘機が飛びミサイルが発射され、潜水艦と魚雷が登場しないと緊迫感が出ません。ソナーの探査音を聞くとワクワクします。

 憲法9条で縛られた日本国と自衛隊が、他国の侵攻に際してどう行動するか、国を護るとはどういうことかが問われます。政府は、第5護衛隊には軍事衝突を避け拉致された乗員の救出を命じ、国連安保理に調停を依頼し、内閣は専守防衛派と防衛出動派に分かれ侃々諤々。政府同様、「いぶき」でも防衛出動の艦長と専守防衛の副艦長で意見が分かれます。たとえば、東亜連邦の潜水艦が「いぶき」に向かって来る状況下で、副長は回避を第5護衛隊群指令に具申し、艦長は「脅しに負けて屈するか、それとも戦う姿勢を取るか、試されているのは我々の覚悟だ」と直進を具申します。全編、この「戦う覚悟」がテーマです。
 全艦に「総員戦闘配置」の号令が流れ、「戦闘って、何と戦うんだ」と言うのが、「いぶき」に取材で乗り込んでいるベテラン新聞記者とnetニュースの女性記者。自衛官と内閣が第一の視点とするなら、このふたりは事件を外から眺める視点です。ふたりは、目の当たりに戦闘を体験し、戦争など起きる筈はないという平和慣れした市民の代表です。
 もうひとつの視点が、コンビニの店長と女性アルバイト。店長はクリスマスイヴのために黙々と菓子を靴下に詰め、アルバイトは、戦争の危機で買い占めに走る客の応対に忙殺されます。このふたりは、第三の視点、生活者(国民)の視点です。否応なく戦場に投げ込まれた第5護衛隊自衛官の視点、首相官邸で「いぶき」動きに神経を尖らせ戦争回避に動く閣僚の視点に、第二、第三の視点を加えることで戦争の危機を重層的に捉えようとしたのです。重層的に描く筈だったのですが、残念ながら「浮いてしまって」います。

 さらに失敗したのがラスト。「いぶき」と戦闘機60機を搭載した敵空母が戦闘に突入しようというその時、国籍不明の5隻の潜水艦が現れます。潜水艦は魚雷を〈いぶき〉と東和連邦の空母双方に発射し、魚雷は空母の手前で自爆します。一触即発の危機に割って入ったので。浮上した潜水艦は、米英仏露中の国旗と国連旗を掲げ、なんと国連安保理事会が派遣した国連軍だったのです、「あり得ない!」。かくして、戦争勃発の悪夢、庶民にとってはクリスマスイヴの24時間が終わります。

 中国が尖閣諸島で領海侵犯を繰り返し、北朝鮮がミサイル発射実権を繰り返すなかで、国連が正義の味方のようなノーテンキな映画をよく作れるものだと思います。その1点を除けば、それほど悪い映画だとは思いません。軍事・政治シミュレーション映画としては面白いです。他国から侵略をうけ、憲法九条と防衛出動の狭間でうろたえる首相、演じた佐藤浩市の演技は上手いものです。「いぶき」の艦長の西島秀俊、副長の佐々木蔵之介より一枚上手です。

監督:若松節朗
原作:かわぐちかいじ
出演:西島秀俊、佐々木蔵之介、佐藤浩市、本田翼

タグ:映画
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

FireHD8にSDカード [日記 (2021)]

 FireHD8は、汎用のAndroid化して使っています。端末として使うのであればスマホの方が速いので、今ではAmazonPrimeで映画を見る端末になっています。これにNHKの「今日の料理」を入れてくれという要望があり、FireにSDカード挿して入れてみました。「きょうの料理」を動画Dataにするのは、NHK+で受信→WinKey+Gでビデオキャプチャする辺りが手軽です(ツッコミ無しです)。スマホと違って8インチの画面ならキッチンでも使えそます。

 PCでSDカードをフォーマットし、detaをしたんですが、Fireに挿すとフォーマットしろ!と叱られます。フォーマットしたカードをPCに挿すと、これまたフォーマットしろ!、fireのフォーマットは特殊なんですか?。Fireフォーマット+FireをPC接続してもカードが出てこない。<USBの設定>で<ファイル転送>にチェックを入れるとカードが見えました(Huaweiと一緒です)。カードへのファイル転送はケーブルを使うことになります。これでやっとFireで「きょうの料理」が見れましたが、amazonFireというのはけっこうくせ者。家人の料理レパートリーが増えるかどうかは?w。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

大平 裕 知っていますか、任那日本府(2013PHP研究所) [日記 (2021)]

知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史 街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)  『知っていますか、任那日本府』 →知らない、となるんでしょうか?。
 高校の日本史で、ヤマト王権の半島経営の出先機関として朝鮮半島南部に「任那日本府」があったと習いました。1970年代以降には、政治的思惑によって任那日本府は教科書から消えたようです。前々から気になっていたので調べてみました。朝鮮・韓国史はバイアスのかかった論議が多いですが、本書は史実中心でバイアスはかかっていません。で、任那日本府はあったのか無かったのか?。

九州、南朝鮮文化圏
 たとえば、司馬遼太郎 「韓のくに紀行」にはこんな文章があります(2/12は「菜の花忌」でした)、

朝鮮の民間伝承でも、
「釜山・金海あたりの連中は、厳密には倭人であって韓人ではない」
というのがあるそうだ。上代では、駕洛国だけが、他の韓人とはちがった風俗をもっていたともいわれる。
ちかごろになると、
「倭というのはかならずしも日本人のみを指さない。上代のある時期までは、南朝鮮の沿岸から北九州をふくめての地域の呼称もしくは諸族の呼称であった」
という説得力に富んだ説まで出ている。
・・・まだ日本が、日本という国名さえなかったころ、
「おまえ、どこからきた」と、見知らぬ男にきく。
「カラからきたよ」
と、その男は答える。こういう問答が、九州あたりのいたるところでおこなわれたであろう。カラとは具体的には駕洛国をさし...云々(司馬遼太郎 「韓のくに紀行」街道をゆく2)p57~58

 駕洛国は伽耶、金海国、狗邪韓国、任那で、国というより部族あるいは地域を指すと思われます。小説家の妄想ですが、古代日本と朝鮮の関係を適確に言い当てた妄想だと思います。本書は、この妄想を史実から裏付けます。著者は『後漢書』『魏志倭人伝』『三国志』の記述から、半島南部の倭=ヤマト王権の姿を明らかにします。

1)大倭王は邪馬臺国に居住している。楽浪郡の南の境界は、邪馬臺国から一万二千里
も離れており、倭の西北と境界をなす狗邪韓国(慶尚南道金海郡地方)から七千余里離
れている。(後漢書・倭伝)

2)帯力郡より倭に行くには、郡を出発して、まず海岸に沿って航行し、韓族の国々をへて、乍(しばらく)は南に、乍は東にすすんで、その北岸の狗邪韓国に到着する。 この間の距離は七千余里である。(魏志倭人伝)

3)馬韓は西にあり、五十四国がある。〔馬韓の〕北は楽浪郡と、南は倭と接している。(中略)弁辰は辰韓の南にあって、これまた十二国ある。弁辰の南もまた倭接している。(後漢書・韓伝)

4)韓は帯方郡の南にあって、東西は海をもって境界とし、南は倭と〔境界を〕接している。(三国志 魏書韓伝)

5)弁辰は、辰韓と入り雑って生活している。(中略)〔弁辰の〕潰盧国は倭と〔境界を〕接している。(三国志 魏書弁辰伝) (p87)

半島の南端には、ヤマト王権の出先機関どころか「倭」そのものがあったことになります。
朝鮮半島.jpg(世界史の窓さんから借用)
 魏に朝貢していた倭から見れば、北九州、対馬の向こうには狗邪韓国があり、馬韓を経て帯方郡から中華に至るという仮想空間があったことになります。『魏志倭人伝』他は馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と書いていますから、3世紀末には、朝鮮半島南部には倭がありヤマト王権の勢力は朝鮮半島の南部まで及んでいたことになります。そこに「日本府」があっても何の不都合もありません。

 広開土王碑には、倭の新羅に侵攻し高句麗が百済・倭の連合軍と戦ったことが記されていますから、碑に記載された「任那加羅」に倭の兵站基地があったと考える方が自然です。兵站基地を作るなら、半島の南端の筈です。兵站というより、倭人が住み江戸時代の「倭館」のような役所があったかも知れない。逆にいうと、北九州に朝鮮勢力の出先機関があり、対馬海峡を挟んで北九州と任那伽耶の地はひとつも文化圏を作っていたと想像できます。朝鮮半島に倭があった、これには驚きました。
・・・続きます

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ: