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イザベラ・バード 朝鮮紀行 ② (1998講談社学術文庫) [日記(2019)]

朝鮮紀行 (講談社学術文庫) 朝鮮奥地紀行〈1〉 (東洋文庫)  第一部は朝鮮の自然と民情が主題でしたが、第二部では甲申事変、乙未事変(閔妃暗殺)、朝鮮と日本の関係など、イザベラ・バードのジャーナリストとしての才能が遺憾なく発揮されます。閔妃暗殺事件は、彼女が在朝鮮中に起こった事件であり、閔妃と数度面会していますから、聞き書きとは言え記述は生々しいです。


李麻末期の朝鮮近代史を大雑把に年表にすると、

1882:壬午軍乱(大院君が煽動→清に拉致→閔妃復権)、済物浦条約、商民水陸貿易章程、袁世凱が朝鮮国王代理
1884:甲申政変(開化派によるクーデター、三日天下、権力は依然閔妃)→天津条約
1885:大院君帰国、露朝密約事件
1894:1月イザベラ・バード朝鮮へ、5月・10月甲午農民戦争 →日本出兵、大院君を擁立、実質は金弘集内閣、7月日清戦争、井上馨朝鮮公使(金弘集内閣を成立させ改革)、大院君帰国
1895:4月下関条約(李朝は清との冊封体制から離脱)、10月閔妃暗殺(乙未事変)
1896:2月露館播遷(高宗ロシア大使館へ)
18973月イザベラ・バード朝鮮を離れる10月大韓帝国独立
1904:2月日露戦争   となります。

 19世紀末の朝鮮は混乱の極みにあります。その主な原因は、国王・高宗の父親・大院君と高宗の妃閔妃の舅嫁の対立。大院君の勢道政治に対して1873年閔妃一派はクーデターを起こし大院君を追放します。宮廷は親中国(清)の旧守派(事大党)と親日本の開化派(独立党)に分かれ、両派を後押しする清と日本、南下するロシアも加わるという複雑な状況。大院君は軍を焚き付けて閔妃一派を追い出すものの(壬午軍乱)、乗り出した宗主国・清によって幽閉され閔妃一派が返り咲きます。1884年には日本に留学した開化派が、日本公使、日本軍の支援でクーデター(甲申事変)を起こすも、清によって潰されます。
 壬午軍乱も元々は財政難による兵士に対する給与遅配、支払で起きた政府の不正が原因。政治は私闘で明け暮れ民衆は疲弊するというのがこの時期の朝鮮です。疲弊した農民は役人の不正をきっかけに甲午農民戦争(東学党の乱)を起こすわけですが、これも閔妃一派の失政の結果でしょう。農民の指導者・全琫準と大院君が裏で繋がっていたという説もあり、大院君のあくなき権力志向はご立派。農民戦争の戦後処理をめぐって日清戦争が勃発し、朝鮮半島での日本の覇権が確立され日韓併合に至るわけです。
 イザベラ・バードが朝鮮を訪問した1894年1月~1897年3月は、こうした混乱の時代です。

閔妃
 イザベラ・バードは国王・高宗と后閔妃と会見しています。

王妃の優雅さと魅力的なものごしや配慮のこもったやさしさ、卓越した知性と気迫、そして通訳を介していても充分に伝わってくる話術の非凡な才に感服した。その政治的な影響力がなみはずれてつよいことや、国王に対してもつよい影響力を行使していること、などなどは驚くまでもなかった。王妃は敵に囲まれていた。国王の父 大院君 を主とする敵対者たちはみな、政府要職のほぼすべてに自分の一族を就けてしまった王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。王妃は毎日が闘いの日々を送っていた。魅力と鋭い洞察力と知恵のすべてを動員して、権力を得るべく、夫と息子の尊厳と安全を守るべく、大院君を失墜させるべく闘っていた。
・・・王妃は皇太子の健康についてたえず気をもみ、側室の息子が王位後継者に選ばれるのではないかという不安に日々さらされていた。

一方高宗はというと、
国王は背が低くて顔色が悪く、たしかに平凡な人で、・・・落ち着きがなく、両手をしきりにひきつらせていたが、その居ずまいやものごしに威厳がないというのではない。国王の面立ちは愛想がよく、その生来の人の好さはよく知られるところである。会話の途中、国王がことばにつまると王妃がよく助け船を出していた。・・・王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。・・・その意志薄弱な性格は致命的である。

大院君とも会見しています、
わたしは宮殿で大院君に拝謁し、その表情から感じられる精気、その鋭い眼光、そして高齢であるにもかかわらず力づよいその所作に感銘を受けた。

 無能な国王、権力掌握に腐心する父親としっかり者の妃という宮廷の構図が透けて見えます。この構図は、イザベラ・バードが接した朝鮮人や朝鮮在住の外国人からの情報でもあり、会見によってそれが裏付けられたわけでしょう。国王の声明が法律となる朝鮮で、言いなりになる国王を持った国民は悲惨です。

乙未事変(閔妃暗殺)
 閔妃は権力志向の強い女性だったようで、クーデターで大院君を失脚させ、大院君派の死刑・暗殺など血で血を洗う抗争を繰り返します。権力をにぎると一族を高官に就け、呪術に凝って国庫を疲弊させ、甲午農民戦争の遠因ともなります。日清戦争後は、大院君を推す日本に対抗して親露政策とりクーデターを起こすも、反閔妃派によって暗殺されます。暗殺は朝鮮軍部によってなされたものの、事件の背後には日本公使・三浦梧楼が在り、親露派の閔妃を排除する日本のクーデターだったいうのが定説です。
 閔妃暗殺を聞いたイザベラ・バードは、長崎からソウルに駆けつけます。直後のことですから彼女が聞いた事件の顛末はリアルです。

三浦子爵は大院君とのあいだに結んだ周知の取り決めをいよいよ決行に移すときが来ると、王宮の門のすぐ外にある兵舎に宿営している日本守備隊の指揮官に、訓練隊(教官が日本人の朝鮮人軍隊)を配置して大院君が王宮へ入るのを護衛し、また守備隊を召集してこれを助けるよう指令を出した。

その際三浦は、二〇年間朝鮮を苦しめてきた悪弊が根絶できるかどうかは、今回の企ての成功いかんにかかっているのだと告げ、宮中に入ったら王妃を殺害せよとそそのかした。

一〇月八日の午前三時、彼らは王子の乗る 輿 を護衛しつつ竜山を出た。出発の際、仲間から信望のあつい岡本[柳之助] 氏(朝廷顧問)が全員を集め、王宮に入り次第「狐」(=閔妃)を「臨機に応じて」処分せねばならないと宣告した。

暗殺団から逃げだした王妃は追いつかれてよろめき、絶命したかのように倒れた。が、ある報告書は、そこでやや回復し、溺愛する皇太子の安否を尋ねたところへ日本人が飛びかかり、繰り返し胸に剣を突き刺したとしている。

 暗殺は、三浦の独断説、日本政府の陰謀説、大院君説などがあり真相は不明ですが、日清の干渉をロシアを使って牽制しようとする閔妃は、日本にとって(清にとっても)邪魔者であったことは事実。一族で政治を壟断し、巫女や神事で国庫を空にした(それによって兵士の給与が滞った)閔妃は、大院君ならずとも排除すべき存在と考える勢力があったことは事実でしょう。暗殺を指揮した?岡本柳之助は外務卿・陸奥宗光の腹心です。ロシアに接近する閔妃は、日本政府にとっても危険な存在ですから、日本政府が黒幕であっても不思議はありません。
 乙未事変の5ヶ月後、恐怖に駆られた高宗はロシア公使館に逃げ込み、そこから政治を執るという異例の事態になります。朝鮮は古くから冊封体制をとっていることもあり、自主独立という考え方が希薄。甲午農民戦争も自力では解決できず、清に泣きついたため天津条約によって日本も派兵し、日清戦争を引き起こすことになります。

 朝鮮の国教である儒教は国家経営の思想のはずですが、『朝鮮紀行』を読む限り閔妃も大院君も国家運営という自覚は無く、朝鮮という国も国民も全く考えず、ひたすら己の権力に固執し国家を私物化しています。甲申政変を起こした金玉均、朴泳孝も現れますが、同調する勢力も無くわずか3日で滅びます。支配層たる両班、官僚は搾取に明け暮れ、

朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底もなければ汀もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食いものにする権利だけは存続するのである。

搾取の手段には強制労働、法定税額の水増し、訴訟の際の 賄賂 要求、強制貸し付けなどがある。小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってくる。貸せばたいがい元金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり 笞 で打たれる。こういった要求が日常茶飯に行われるため、冬のかなり厳しい朝鮮北部の農民は収穫が終わって二、三千枚の穴あき銭が手元に残ると、地面に穴を掘ってそれを埋め、水をそそいで凍らせた上に土をかける。そうして官僚と盗賊から守る

 この国はもはや国家の体を成していません。こういう場合、有力貴族、豪族が反旗を翻すわけですが、そういう勢力も育っていない。日韓併合を正当化するわけではありませんが、日本が併合しなければ、おそらく帝政ロシアに併合されていたことでしょう。すべてを日帝のせいする韓国は、李朝末期の政治とそれを改革できなかった民族をどう考えているのでしょう。

続きます

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ebay 体験 [日記(2019)]

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 初めてebayを使いました。10/21に注文して11/13に到着。支払いはPayPalです。中華の販売店ですが、シンガポールから発送されています。追跡すると深圳市経由?、よく分かりません。昔はドルで為替を組んで国際郵便で発注していましたが、パソコン1台で出来るとは簡便になったものです。
 ”独身の日”に、1社で1日に4兆円の売上のある中華市場ですから、何でもあります。注文したのはオタク趣味の小さな測定器なんですが、元は日本のアマチュアが開発したものを、ソフト、ハードとも中華の業者がコピーして安値で販売しているものです。コストパフォーマンスは驚くべきもので、中華恐るべしと再認識。 ebayには日本では手に入らないものがゴロゴロしています、もっともyour own riskですが。

 実はそうスンナリ入手できたわけではなく、8月中旬に同じものを別の業者に発注し、2ヶ月経っても届かないのでebayに問い合わせたところ(注文のページでできる)、返金となりました。netで実績のある業者を調べ再発注し、結局3ヶ月かかったわけです。ebayに散財しそうです(笑。

追記
 カードの請求明細が来たので返金を確認しました。Paypalから無事返金されていました。
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タグ:絵日記
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映画 ぼくを探しに(2013仏) [日記(2019)]

ぼくを探しに [DVD]  原題はAttila Marcel。33歳のピアニストの自分探しの映画です。と言っても深刻さはゼロ。アメリ』『デリカテッセン』『ロスト・チルドレンのジャン=ピエール・ジュネ風のエスプリ?に満ちた映画です。従って、予めお断りしておきますが、この映画の面白さは(実際面白いです)文章では全く伝わりません。
 両親を亡くし叔母姉妹に育てられたポール(ギヨーム・グイ)は、2歳の時に体験したショックから口がきけません。どうやら父母の死が関係しているらしいのですが、これが映画の謎と言えば謎。叔母姉妹は、33歳の今日までポールを一流のピアニストにしようと育ててきました。毎年ピアノコンテストに挑戦し続けていますが、未だ優勝できず。ポールは、姉妹が営むダンス教室でピアノの伴奏をする他、好物のお菓子を買いにパン屋に行くか公園に行くだけの謂わば変人。口がきけない口をきかないポールとオバサンの話ですから、登場人物はほぼオジサン、オバサン。何時もお揃いの服を着る叔母姉妹、盲目のピアノ調律師、剥製師に憧れる医者など怪しい人物が登場しますが、極めつけはポールと同じフラットに住むマダム・プルースト(アンヌ・ル・ニ)。
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 名前がプルーストですからマルセル・プルーストの『失われた時をもとめて』、タイトルに合わせたシャレでしょう。タイトルの”アッティラ・マルセル”(実は父親の名)のマルセルやマドレーヌは、この小説から借りてきたのでしょう。マダム・プルーストは、自室で野菜やハーブを育て、ハーブを使った占いや巫女のような仕事をしている怪しいオバサン。マダム・プルーストはポールの潜在意識を見抜き、ポールに精神療法みたいなことをやり始めます。自家製のハーブティーとマドレーヌでポールを過去を送り込みます。ハーブティーを飲みマドレーヌを食べると、ポールは気を失い意識は過去に遡り、両親と過ごした幼い頃をありありと思い出す、つまり失われた時を求めてトリップするわけです。このトリップが『ぼくを探しに』というタイトルの謂われです。けっこう流行っていて一回50ユーロですからいい商売。ドラッグではなく、ハーブティーとマドレーヌであるところがいかにもフランス的(どの辺りが?)。

 トリップして幼い頃の両親に会いますが、父母の写っているいる写真はハサミで父親だけ切り離しますから、ポールは何故か父親を嫌っている模様。父親の名前がアッティラ・マルセルというらしいのですが、アッチラ大王?。
 ポールの過去が次第に明らかになり、両親の死の謎、ポールは何故口がきけなくなったのか?、叔母たちはなぜポールをピアニストにしたがるのか?、ポールはピアノコンテストに優勝できるのか?、謎とも言えない謎をはらみ、ドラマがありそうで無い映画が進行します。ゴーギャン風に言うなら我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という哲学的命題が適度なユーモアとともに描かれます。そう言えば、ゴーギャンのファーストネーム”ポール”です。音楽もいいです、ジャン=ピエール・ジュネがお好きなら、お薦めです。

 監督のシルヴァン・ショメは、フランスのアニメーション作家とのこと、今度観てみます。ギヨーム・グイ、アンヌ・ル・ニも初見参ですがなかなか魅力的。

監督:シルヴァン・ショメ
出演:ギヨーム・グイ、アンヌ・ル・ニ、ベルナデット・ラフォン、エレーヌ・ヴァンサン

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映画 ルキノ・ヴィスコンティ 郵便配達は二度ベルを鳴らす (1942伊) [日記(2019)]

郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版 [Blu-ray]  原題はOssessione, 妄執。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、1939(仏),1942(伊),1946(米),1981年(米)と4度映画化されています。1946年の米映画は見たので、今回は1942年のルキノ・ヴィスコンティのイタリア版です。ヴィスコンティは、『若者のすべて』『山猫』『地獄に堕ちた勇者ども』などで有名ないわゆる巨匠。原作は(読んでませんが)、人妻とその恋人が共謀して夫を殺し財産を手中にするクライム・ノベル。この何処にでも転がっていそうな物語を後に巨匠と呼ばれるヴィスコンティが描けばどうなるのか?。処女作ですから、この不倫と殺人の物語に強く魅かれたことになります。
ジーノとジョヴァンナ          謎の少女
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 ヒッチハイクで旅する流れ者のジーノ(マッシモ・ジロッティ)は、トラックの立ち寄った食堂で、店主の妻ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)と出会います。歳の離れた夫ブラガーナに不満を抱くジョヴァンナは、若いジーノに惹かれ、ふたりはたちまち不倫関係に堕ちるという、通俗小説を地で行くようなスタート。
 ジョヴァンナは、生きてゆくためには身体で稼ぐしかない、歳が離れていようとも夫と結婚する他はなかったと告白しています。下卑た夫との生活に不満を募らせ、そんな折りに現れた若いジーノに夢中になります。ジーノもまたジョアンアと別れがたく、主人の壊れた車を修理したことで店に居つくことになります。季節は夏、耐えがたい夜の暑さと苛立ちのなかで、夫婦が諍い、ジョアンナとジーノの官能が弾けます。アメリカ版には無い息詰まるシーンです。ブロンドのラナ・ターナーもコケティッシュでしたが、クララ・カラマイの扇情的な色気の方が一枚上。陽気で太っちょ、妻の浮気を微塵も疑わず釣りにしか関心のない店の主人ブラガーナも、さもありなんという存在。ジーノは人妻がよろめきそうな逞しいイケメン。ジョアンナの誘惑に乗り、その家に居座る図太さはあるものの、ジョアンナに惚れてしまうという純情さもあり、おまけに束縛を嫌う放浪癖あり。ヴィスコンティだと言われると、人物造形が一味違って見えます(笑。

 1946年のアメリカ版は、人妻と恋人が共謀して夫を殺すというサスペンスですが、この通俗小説を下敷きにルキノ・ヴィスコンティが描いたものは、男女の官能の下に隠された、女のしたたかさと男の弱さ(純情)です。

・ジーノは一緒に逃げようとジョアンナを誘いますが、現実的なジョヴァンナは先の見えない生活を恐れて拒み、ジーノはひとりで放浪の旅に出ます。女は地足を着け、男は「見るまえに翔ぶ」というメタファーです。

・ジーノは、主人とジョアンナに街で再会し、主人に誘われるまま店に舞い戻ることになります。帰路、ジーノとジョアンナは車の事故に見せ掛けて主人を殺害します。二人が陰謀をめぐらすシーンはありませんが、主人に隠れてキスをするシーンがあります。このキスシーンは、明らかにジョアンナが仕掛けジーノは受け身。「少しの辛抱よ」とジョアンナは言いますから、主人殺害計画は既に出来上がっていたことになります。運転を代わったジーノはジョアンナを降ろし、カーブが曲がりきれずに転落したと見せかけて見事に主人を殺害。警察には主人の酔っぱらい運転と証言し、事故として処理されます。この計画も、地理に明るいジョアンナの計画に他なりません。

・主人は、俺は子供が欲しいんだがジョアンナは体型が崩れると嫌がっている、とジーノにボヤキます。ジーノとジョアンナが車で逃亡するシーンでは、ジーノの子を身ごもったジョアンナは、「じきにお腹が大きくなって醜くなるわ でもいいわ誇らしいもの これが人生なのね」と言います。店に戻ったジーノは、見事ジョアンナに絡め取られていたことになります。

・ジーノは主人の影に怯え、店を売って遠くで暮らそうと言いますが、ジョアンナはまたも先行きのない生活を嫌い、店を再開しバンドを入れて集客を図り大繁盛。ジーノに結婚を迫りますが、店に現れてわずか数ヶ月で主人が死に若い未亡人と結婚して店を継ぐ、どう考えてもおかしいと世間は噂しジーノも躊躇しますが、ジョアンナは腹が座っています。

・ジョアンナは二人の関係を牧師に相談します。牧師はほとぼりが冷めるまでジーノが離れて暮らすことを提案し、ジーノはここを出ようと主張し、ジョアンナは世間の噂など怖くはないと言います。

・ジョアンナに支配される生活に嫌気がさしたのか、ジーノは踊り子と浮気します。この時のジーノの服装は、情けないことにどう見てもジョアンナに買ってもらったもの。浮気を知ったジョアンナは、私と帰るか警察に捕まるかジーノに選択を迫ります。ジーノは警察の動きを察知し、ジョアンナが自分を警察に売ったと考えます。ジーノの子供を身ごもったジョアンナは、ジーノを引き留めるためか、ひとりで生きることを決意したのか、この地を離れるために荷造りをします。現れたジーノに妊娠を告げ、男は女の軍門に降ることになります。

 警察に追われる二人は車で逃亡し、主人を殺した同じ道で?事故を起こしジョアンナは死んで幕。アメリカ班にあった裁判シーンはありません。どう見てもこの映画の主役はジョヴァンナ。ヴィスコンティは、アメリカのクライムノベルを換骨奪胎し、男と女の愛憎劇、強い女と弱い男の愛の物語を作ったことになります。これがネオレアリズモと言われればそんな気もします。ヴィスコンティの映画にサスペンスはありませんが、個人的にはアメリカ版よりこちらの方が面白いです。

監督:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:マッシモ・ジロッティ クララ・カラマイ

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絵日記 柿の渋抜き [日記(2019)]

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 先月収穫した柿の渋を抜きました。netで調べると30度の焼酎がいいというので買ってきて、ヘタのところに数滴垂らしスパーの袋に二重に密閉して10日ほど。舌に渋が残るものもありますが、見事抜けています。メチャ甘い!。残った焼酎はお湯割りで飲んでます。

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高橋和巳 堕落ーあるいは内なる曠野(1995講談社文庫、初出1965年「文芸」) [日記(2019)]

堕落 (P+D BOOKS)  孤児院の院長・青木隆造の転落の物語です。転落と破滅は高橋和己の謂わば「オハコ、十八番」で、『悲の器』の大学教授も『憂鬱なる党派』の高校教師も『邪宗門』の教祖も、転落し破滅してゆきます。何故かくも破滅に拘るのか?。おそらく、破滅に至る人間の物語りにこそ人間の本質がのぞき文学がある、と作家は考えているのでしょう。転落、破滅の因子として理想があります。理想は大抵現実に裏切られ、裏切られることで転落と破滅が始まります。

 青木隆造は、満鉄調査部、関東軍参謀部顧問、満州青年連盟(協和会?)オルガナイザー、開拓団指導者として満州国に関わり、シベリア抑留の後帰国、私財を投じて孤児院を独力で立ち上げます。その福祉活動が認められ、新聞社から顕彰されたまさにその時から青木の転落が始まります。顕彰のため上京した青木は、同道した女性秘書と暴力で関係を結びます。『悲の器』の大学教授も同様に「お手伝い」と関係を持ちますが、ふたり動機がよく分からない。青木は私財で福祉法人を立ち上げ、職員、孤児たちから慕われる人格者。大学教授も、国立大学の法学部長を勤め政府の委員会にも名を連ねる次期学長候補。そうした人物が女性問題を起こし、大学教授は裁判に訴えられ社会的に破滅します。作者にとって動機はどうでもよく、重要なのは破滅することのようです。

 青木は、さらに別の職員を暴力で犯し、施設を辞めさせアパートに囲います。女性秘書の場合は過ちともいえますが、ふたり目は確信犯。つまり、結果を予測して行為に及んだことになります。職員達の知るところとなり詰め寄られると、自分を院長の職から下ろせとうそぶく始末。
 青木の不可解な行動は、彼の過去い深く関わっています。青木は満鉄調査部、関東軍顧問として、王道楽土、五族協和の理想を掲げた満州帝国の建設に関わっています。満州国は日本帝国が大陸に作った傀儡国家、植民地ですが、その地で国家建設に携わった人々が目指したのは、日本国から独立した理想国家です。

日本最大の資産である満鉄を解体し付属地や租借地を満州国に返還するだけではなく、政治制度的にも満州をできるだけ日本から切り離すべきだ。三井・三菱などの独占資本をしめだし、天皇制そのものを締め出さねばならぬ。

 と理想論がある一方、日本は、清朝最後の皇帝宣統帝・溥儀を満州国皇帝の地位につけ、三種の神器のまがい物まで与え、日本帝国化を目論見ます。理想国家どころか、内地の矛盾を丸ごと抱え込んだ第二の日本帝国を作ろうとしたわけです。青木は満州国建国を過渡期と捉え、

過渡期における政治は・・・多くの試行錯誤と罪過を重ねねばならぬ。やがて事成って安定したのちに、過渡期の罪過を一身に担って消えてゆく幻影の独裁者、つまりは傀儡が必要なのだ。もし仮に・・・民衆の称賛が不当にその幻影の独裁者に集まりそうになれば、阿片を与え女を与えて、人格的に破綻させ、その座を奪うことぐらいは赤児の手をねじるよりも易しい。

 青木の作った孤児院が世間から認められ顕彰を受けるまでになったその時、その独裁者たる青木は、自分の思想通り「女を与え」られ「人格を破綻」し「その座を奪う」ことを自らに課したことになります。この贖罪とも言える転落・堕落は、青木の満州引き揚げに深く根ざしています。
 満州国は帝国大学出身の官僚が主流を占め、青木は満州青年連盟(協和会)、開拓団指導者に追いやられ、敗戦によって700名の開拓団を率いて荒野を逃れる運命に見舞われます。命惜しさに、自ら率いる開拓団から脱走し二人の子供と妻を捨てます。シベリア抑留を経て日本に帰り着き、満州で犯した罪を償うかのように孤児院を、それも国家が見捨てた混血児の「王道楽土」を作ろうとします。青木は、福祉活動が認められて顕彰されたことで、自ら封じ込めた罪が顕在化し贖罪に走ります。孤児院もまた青木が独裁し築き上げようとした疑似「国家」であり、民衆の称賛が不当にその幻影の独裁者に集まった今、事成って安定したこの時、過渡期の罪過を一身に担って消えてゆく幻影の独裁者として、青木自身消えなければならなかったわけです。何故なら、青木の内には、妻子や同胞を捨てた満州の曠野が広がっているからです。
 理想を掲げ理想に裏切られ理想を裏切った人間の物語です。理想こそが破滅の元であり、理想を支えるものが知識であるなら、知識人の「罪と罰」の物語と言うことができます。

 青木は大阪の場末の街に流れ着き、金を奪おうとした労務者を傘の尖で刺し殺し収監されます。

だが私は主張する。私を裁くものは国家であることこそ望ましいと。宗教でもなく、良心でもなく、道徳でもなく、この東方の小島の上に君臨する権力、一たび世界性を持とうとし、もろくもついえた国家であるべきだと。なぜなら、私の青春のすべては文字通り、幻の国の建設に捧げられたのだから・・・
 それはつかの間に滅びたけれども、いかなる王道、いかなる仁政もまた、それに先行する覇道(武力・権謀による政治)の上にしか築かれない。いずれは滅びるものとしてその覇道に私は荷担し参与した。さあ裁いてみよ。国家を建設するということがどういうことか、国家とは何であるか、あなた方に解っているなら、裁いてみよ。国家の名において裁いてみよ・・・

 大上段に振り上げた大見得も、「おい、どこへ行くんだ老いぼれ。そっちじゃない、こっちだ」という看守の言葉で、王道も覇道も消しとんで、青木隆造の「罪と罰」は終わります。

 『憂鬱なる党派』の高校教師も、『邪宗門』の教祖も、転落して辿りつたところは、
高橋和巳の生まれ育った大阪の場末の街です。作家にとっての「曠野」かも知れません。彼ら小説の主人公に「救い」は用意されていません。『罪と罰』で、元娼婦ソーニャはシベリアに流刑となったラスコーリニコフを追いますが、『憂鬱なる党派』にも『邪宗門』にも、そして『堕落』にもソーニャは登場しません。高橋和巳が生きていたら、ソーニャが登場し、罪と罰と救いの文学が生まれたでしょう。
 妻たか子によると、高橋和巳には「幻の国」を求めて遠く印度から東方の小島日本にやって来る少年の物語の構想があったそうです。「幻の国」は、青木が満州で夢見た幻の国であったのかも知れません。

タグ:読書
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イザベラ・バード 朝鮮紀行 ① (1998講談社学術文庫) [日記(2019)]

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)  言っては悪いですが、最近の日韓関係は本当に面白い。秀吉の侵攻や日韓併合で日本は恨みを買っているんでしょうが、よくもここまでこじれたものだと思います。同じ統治下にあった台湾に比べてこの差は何なんでしょうか、少し朝鮮、韓国について読んでみます。朝鮮、韓国に関する本はバイアスのかかったものが多いので、選択が難しい。19世紀の英国の・女性旅行家の紀行『朝鮮紀行』であれば、問題なかろうと、この辺りから始めてみます。

 イザベラ・バードは、1894年1月~1897年3月、モンゴロイドの調査のため朝鮮を4度訪れています。本書の第一部では、ソウルから南漢江を遡って半島内陸部の永春と北漢江を船で遡行し馬で金剛山を経て元山(現在は北朝鮮)までの旅。次いで釜山、長崎を経由してウラジオストクに渡りウスリーまで足を伸ばし、朝鮮の国境に近い朝鮮人の入植地を訪ねる旅が記され、朝鮮の自然と民族が描かれます。第二部は、ソウルから臨津江(イムジン河)を超え、日清戦争の戦禍禍々しい街道(北京街道)を平壌まで進み、中国との国境に近い徳川など北朝鮮深部を尋ねる旅です。また、高宗とその后閔妃との面談、閔妃暗殺をめぐる朝鮮の暗部、日本と朝鮮の関係が記され、イザベラ・バードの優れたジャーナリストの一面を読むことができます。

 イザベラ・バードが朝鮮を訪れたのは1894~1897年、李氏朝鮮の末期。年表から拾ってみると、
1864:興宣大院君による勢道政治開始
1866:丙寅教獄、フランス軍と衝突(丙寅洋擾)
1871:ジェネラル・シャーマン号事件(辛未洋擾)
1873:閔妃一派によるクーデター、事大党と開化派
1875:江華島事件 →1876年、日朝修好条規=開国
1882:壬午事変(済物浦条約→日本軍の朝鮮駐留)
1884:甲申事変
1894:甲午農民戦争、日清戦争
1895:閔妃暗殺、下関条約
1896:露館播遷
1897:大韓帝国独立
1905:第二次日韓協約
1910:日韓併合

 甲午農民戦争、日清戦争、閔妃暗殺、大韓帝国成立と激動の時代で、35年続いた日韓併合の前夜にあたります。半島国家の朝鮮は古代から中国の冊封体制をとっており、この時代の李氏朝鮮も清の属国のようなもの。内政では、王(李氏)に代わって有力貴族が権勢を振るう勢道政治で、権力をめぐって苛烈な闘争に明け暮れるわけです。この当時国政を握っていたのは高宗の実父・興宣大院君。一族を重用して政府の枢要な地位に付け、攘夷(鎖国)主義で欧米列強と武力衝突を繰り返しキリスト教を弾圧し、やりたい放題。興宣大院君と敵対するのが高宗の后閔妃。政治上の主義主張が違うわけではなく、単なる権力闘争。まぁ姑と嫁の衝突です。

 庶民はというと、国民の3%を占める貴族・両班が役人とつるんで搾取を欲しいままにしています。金があると聞くと、税金の名目で巻き上げる始末。上は上、下は下で一国の治世など眼中になく、私利私欲に走っていたというのが19世紀末の朝鮮の実状。こうした背景の下に1984年の甲午農民戦争が起こったのでしょう。

 と言うようなことはイザベラ・バードは書いていませんが、両班の弊害(つまり政府の失政)については、

朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある・・・両班に求められるのは究極の無能さ加減である・・・非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。

 と記し、ウラジオストク郊外の朝鮮人入植地に訪れロシアの朝鮮人の勤勉さと裕福な生活を目の当たりにします。朝鮮人には自治権があたえられ、村長は秩序と徴税の責任を担い、官吏はすべて村民の手で村民のなかから選ばれるという、両班のいないロシアの統治下では、朝鮮の庶民は裕福な暮らしを実現していると記します。

本国朝鮮人の特徴である猜疑心、怠惰と慢心、目上への盲従は、きわめて全般的に、アジア的というよりイギリス的な自主性と男らしさに変わってきている。きびきびした動きも変化のひとつで、 両班 の尊大な歩き方や農夫の覇気のないのらくらぶりに取ってかわっている。金を儲けるチャンスはいっぱいあり、儲けてもそれを搾り取る官僚や両班はいない。
・・・朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。

 朝鮮の惨状は両班と政治のせいであると、イザベラ・バードの目には写ったわけです。

 またソウルの印象を以下のように記しています、
 

(規制のため)二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。
悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、 疥癬 持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。

北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、 紹興 へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから! 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。

これが1894年当時の朝鮮の首都の庶民の暮らしです。

 イザベラ・バードは、船で川を遡り、馬の背で旅をします。
司馬遼太郎『耽羅紀行』に、18世紀に朝鮮には物資を流通させるための荷車が無かったという記述ありましたが、本書にも似たような記述があります。

ソウルをはじめ二、三の都市では大ざっぱな造りの荷車が見られるものの、農作物や商品の輸送手段は馬、人、牡牛で、積み荷は木製の荷鞍に載せて重さを均等にしたり、あるいは小さな物の場合、わらかごや網かごに入れる。

 李氏朝鮮の時代に資本主義の萌芽があった、朝鮮の資本主義の芽を積んだのは日帝だ!という「資本主義萌芽論」があるそうです。本書を読む限り、19世紀末の朝鮮には資本主義の芽のようなものは皆無。資本主義萌芽論」はどうもマユツバのような気がします。
 英国人旅行家イザベラ・バードの見た19世紀末の朝鮮は、幹線道路は泥濘に埋まり川には橋はなく、宿屋ではノミとシラミに悩まされ、人と物資は馬と牛によって運ばれ物資は農産物と手工業品であり、庶民は
両班と役人の搾取に晒されていたということです。我が国ではイザベラ・バードの『日本奥地紀行』は新訳が出るなど評価が高いですが、誇り高い韓国で、『朝鮮紀行』は出版されているのでしょうか?。

翻訳について。例えば、

手ごろな海岸で船を退避させられるところなら必ずある海岸沿いの村落は、その存在理由を沿岸漁業とする。
日本語になっていません。
朝鮮の音楽を朝鮮式の平均律と訓練ではなく、「時」を不可欠な要素として求める西洋のそれで解そうとするからである。

朝鮮の音楽を耳障りと感じた下りです。意味不明。特に第一部はこうした訳が目立ち、はたして、講談社学術文庫の『朝鮮紀行』はイザベラ・バードの原文を正しく伝えているのか、と疑いたくなります。

 第二部に続きます。


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高橋和巳 散花 (全集 第三巻 1977河出書房新社) [日記(2019)]

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 全集第三巻は7編の短編と脚本、ラジオドラマ各1編を集めたものです。そこから「散花」(初出「文芸」昭和38年8月号)。
 「散花」は、敗戦が風化しつつある1963年、元特攻隊員と彼等を戦場に送り込んだ元右翼(国家主義者)の老人が対決します。作者は、この元特攻隊員にこう語らせます、

なぜ天皇の詔勅ひとつで、全戦闘員が一斉に闘いを停止したのか・・・なぜ最後まで抵抗しないのか?・・・いままでの犠牲はすべて無意味だったというつもりかあの時に、おれたちが一斉に嫌だと叫んでおれば、天皇の権威はたちまち崩壊していたはずだった。・・・三日間でもいい、抵抗をつづけ、戦争をはじめた勢力とは別の組織が、戦争の責任をとり戦後処理を担当すべきだったのだ。

 敗戦の年14歳の少年であった作者の偽らざる思いでしょう。同年の小松左京は、終戦の詔勅にNonを唱えクーデターを起こす15歳の少年にこの思いを託し、あり得たかも知れない「もう一つの歴史」を『地には平和を』で描きます。悠久の大義と聖戦を信じた少年の蹉跌が、如何ほどのものであったのか…。

 電力会社の社員・大家は、本州と四国の間に高圧線を張り巡らすため瀬戸内海の小島を訪れ、たったひとりの住人・中津清人と出会います。大家は用地買収と補償のため中津を島から立ち退かせるため、中津の過去を調べます。中津は、『散花』という著作を持つ元国家社会主義者であり、敗戦後、社会との一切の関係を絶ち小島に隠棲したことが明らかになります。大家が「あなたを社会に呼び戻しにきた」と切り出したことで、中津は自分の思想に共鳴する人物が現れたと考え自らを語りだします。

米騒動や農民一揆が頻発し、兵士の父母兄弟が飢えるのをみて、私は日本の国体の変革を考えた。・・・マルクスの著作も読んでみた。日本のプロレタリアートにはまだ力はなかった。真に組織されているのは、軍隊と官僚だけだった。わたしはその軍隊に期待をかけた。いかなる変革も正規軍の援助なしにはなしえないからだ。

 国内の疲弊解消をファシズム求めた中津の論理は、プロレタリアートが冨者の特権を奪還する権利は、国際関係に適用可能である。ファシズムは、近代化に立ち遅れ抑圧される資本主義国は、先進資本主義国の圧迫をはね返すために取らざるを得ない体制であり、国内体制を全体化し、その尖兵である軍隊を背景に、植民地の分割に介入し、再分割のを要求するのも、ひとつの権利である、と。
 一方の大家は、学徒志願兵として潜水艇「回天」の特攻隊員として敗戦を迎えた元海軍少尉。大家は、ひとつの民族が興亡の際に立っている時、その民族の明日のために個人の命を生贄にせよ、という論理で己を納得させ志願兵となって「回天」に乗り込んだ過去を持っています。敗戦後大学に戻り社会に出て、電源開発の土地買収に奔走する日本近代化の尖兵となります。

 敗戦後、政治家、職業軍人の多くは主義主張を変え時代に即応し、青年達に「散花」を説き彼等を死に追いやった中津は、思想家としての責任ゆえ、国家の下で生きることを拒否し社会と接触を絶って小島に隠棲します。中津を糾弾し得る立場の大家は、国家に裏切られたことに於て中津もまた同類であり、大家は中津に共感を覚えます。大家は自分正体を明かし目的を告げ、中津は愚弄された怒りで日本刀を抜きます。大家は、

人にあざむかれたなどと怒れる柄かよ。糞ったれめが
人間の信義などと口はばったいことを言える柄か・・・人生は二十年と決めつけられて、じっと魚雷の中にうずくまって、出撃を待っていたんだ。死刑台に立たされた人間が、不意に死刑がとりやめになったからと首にまかれた縄をはずされたら、どんな気持ちがするか知ってるか? おれたちは国家に生命を左右する権利まで供託した覚えはない。・・・聞いてるのか

 元特攻隊員vs.元ファシストの思想ドラマは、前者の戦線離脱、後者の自殺という不可解な結末で終わり、結論はありません。高橋和巳の『悲の器』『堕落』『憂鬱なる党派』などから類推すると、理想を抱いた知識人の「罪と罰」の物語とも読めます。元ファシストを糾弾すべき元特攻隊員がファシストに共鳴するという日本の思想風土の物語とも読めます。大家の出現によって、中津は遅すぎた自決を実行したのでしょう。

 終戦内閣の陸軍大臣であった阿南惟幾は8月15日に自決、神風特攻隊の発案者と言われる大西瀧治郎も8月16日に自決し、終戦を拒否して決起を呼びかけクーデター未遂事件(宮城事件)を起こした椎崎二郎、畑中健二、古賀秀正は8月15日に自決します。A級戦犯として起訴された思想家・大川周明は、精神障害のため裁判から外され昭和32年に病死。満洲映画協会理事長・甘粕正彦は敗戦に殉じ、関東軍の下で阿片王と呼ばれた里見甫は昭和40年まで生き延び、岸信介、緒方竹虎、児玉誉士夫は戦後見事に返り咲きます。
 当然、人の生死に優劣はありません。

タグ:読書
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