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カズオ・イシグロ クララとお日さま (2021早川書房) [日記 (2021)]

クララとお日さま  臓器移植のために作られたクローン人間の不条理を描いたSF『わたしを離さないで』、共同体の幻想と個人の幻想の相克を描いたファンタジー『忘れられた巨人』に続く、カズオ・イシグロのノーベル受賞第一作です。今度は、AIロボットであるクララとクララをAF(人工親友)として買い求めた13歳の少女ジョジーの物語です。
 ロボットもクローンも人間に似せて作られたコピーですから、『クララとお日さま』は『わたしを離さないで』の延長線上にある物語だと言えます。

ロボット
 クララが人工親友=AFとしてジョジーに「買われる」くだりです、

「この子は何型なの」
 「B2型です」と店長さんが答えました。「第三世代です。相性の問題さえクリアできれば、レックスは最適なお相手ですよ。若いお子様に良心的で真面目な態度を養うのにとくに適したAFです」 
「うちの娘にはたしかに必要な態度だわね」 
「ねえ、ママ、この子、完璧だから」 
「B2型、第三世代か。たしか太陽光の吸収に問題のあるAFじゃなかったかしら」と母親が言いました。

最新型のAFはB3型で、クララは一つ前の旧型機B2の第4世代。店長さんのセールストークは、

「クララには独自の美質が数多くありまして、・・・特別な何か一つということになると、そうですね、観察と学習への意欲ということになるでしょうか。周囲に見るものを吸収し、取り込んでいく能力は、飛び抜けています。」

母親は不思議なことを言います、

「では、クララ、娘のことはもうよくわかっているようだから、ジョジーの歩き方をまねして見せてくれる? どうかしら。いまここで、娘の歩き方を?」

クララはジョジーの歩き方を完璧に再現して合格、ジョジーのAF(人工親友)となります。『クララとお日さま』は、クララが一人称で語る「ロボットと人間」の物語であり、AIロボットの「観察と学習」の物語です。

コピー
 『クララとお日さま』が『わたしを離さないで』の延長線上にある物語だとすれば、この人間の「コピー」が主要なテーマだと考えられます。
 ジョジーの母親は、ジョジーの病気が悪化し亡くなった時に備え、ジョジーに似せたロボットを作りジョジーの記憶(データ)をそのロボットに移植することでジョジーのコピーを作ろうと考えています。そのためクララに、ジョジーの総てを学習してジョジーのデータを蓄えることをクララに頼みます。

 「観察と学習」に優れたAIのクララは、ジョジーの動作を完璧に真似ることができます。真似ることができたとしてジョジーのコピーを作ることが出来るのか。ジョジーの母親の計画を知って、父親ポールはクララに問います、

「君は人の心というものがあると思うか、・・・人間一人一人を特別な個人にしている何かがあると思うか。仮にだ、仮にあるとしたら、ジョジーを正しく学習するためには、単に行動の癖のような表面的なことだけじゃなくて、ジョジーの奥深い内部にある何も学ばないといけないだろう。
・・・他人に成り代わることはできまい。心を学ばねば、心を完全に習得しなければ、現実問題として絶対にジョジーにはなれないと思う」

「ポールさんの言う『心』は、ジョジーを学習するうえでいちばん難しい部分かもしれません・・たくさんの部屋がある家のようだと思います。でも、AFがその気になって、時間が与えられれば、部屋の一つ一つを調べて歩き、やがてそこを自分の家のようにできると思います」

ジョジーの『心』をコピーできるのか?。ところが、クララはコピーするよりジョジーが健康を取り戻すことを優先します。ジョジーは死にませんからこの問題は棚上げされます。『わたしを離さないで』では人間の肉体のコピーがテーマでしたが、本書では精神のコピーがテーマとなります。

お日さま
 クララは、お日さまの光こそがジョジーを健康にすると信じます。物乞いの老人と犬が太陽で生き返り(とクララは信じている)、老人と老婦人が太陽の下で再会を果たした(とクララは信じている)ことは、すべてお日さまの力だとクララは信じます。クララのエネルギー源は太陽光ですから、ジョジーも太陽からエネルギーを貰えば元気になると信じるわけです。お日さまのために大気を汚す車の破壊を企てます。???と思うのですがまぁ童話です、『忘れられた巨人』ではドラゴンが登場しましたから...。

 クララは、太陽の沈む西の方角にある「マクベインさんの納屋」をお日さまの休息所だと考え、ジョジーの回復を頼みにゆく件は泣かせます。クララの一途な願いをお日さまが聞き届けてくれたのか、ジョジーは健康を取り戻します。

特別な何か
 健康になったジョジーは成長し大学に進学し家を離れます。クララは人工親友の役目を終えAFを引退し、廃品置き場で余生を送ることになります。ひとりで動けない様ですから分解されたのでしょう。あれだけジョジーと母親に尽くしたのに、ロボットの末路は哀れです。

 店長さんが廃品置き場を訪れます。クララは、ジョジーに買われて幸せだったことや「コピー」の顛末を店長さんに報告します。

「カパルディさん(ジョジーに似せたロボットの製作者)は、継続できないような特別なもの(心)はジョジーの中にないと考えていました。探しに探したが、そういうものは見つからなかった──そう母親に言いました。でも、カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。だから、カパルディさんの思うようにはならず、わたしの成功もなかっただろうと思います。」

 店長さんは、クララがひとりでは寂しいだろうと考え、

「相手ががほしければ、ここの作業員に頼んで移してあげるけど?」
「いえ、店長さん。ご親切に感謝します。でも、わたしはこの場所が好きですし、当面、振り返って整理すべきたくさんの記憶があります。」

 廃品置き場の片隅で、クララはたくさんの記憶を整理し、ジョジーの父親が言った、人間一人一人を特別な個人にしている何か、その「特別な何か」はジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にあるという結論に行き着いたのです。人の存在は他者によって成り立っている、これがこの童話の結論でしょうか。期待して読んだのですが、『わたしを離さないで』、『忘れられた巨人』の方が読み応えがあるように思います。

 映画では、ロボットが人間に反乱を起こす『オートマタ』『エクス・マキナ』『ブレードランナー』『ブレードランナー 2049』、AIに恋をした男『her/世界でひとつの彼女』など、文学より先を行っていそうな気がします。
【カズオ・イシグロ】
・『日の名残り』(ハヤカワ文庫) →映画『日の名残り
・『わたしを離さないで』(ハヤカワ文庫) →映画『わたしを離さないで
・『忘れられた巨人』(ハヤカワ文庫) →映画化すれば面白いかも
・『わたしたちが孤児だったころ』(ハヤカワ文庫)
・映画『上海の伯爵夫人』・・・脚本

タグ:読書
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