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備忘録 シンビジウム [日記 (2022)]

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                    リュウノヒゲ
 春になったので、室内に取り込んでおいたシンビジウムを庭に出しました。ウチのシンビジウムは花が咲いたり咲かなかったり。NHKの「趣味の園芸」で放映されていた通りを実践したところ、今年は花が咲きました。夏の管理が大事らしい →備忘録

《夏》
夏に花芽が出きるため、
 ・しっかり陽に当てる →但し直射日光に当てると葉焼けするので日陰で管理、
 ・風に当てる →蒸散が促進され根が育つ
 ・水は毎日やる、鉢底から流れるほど →真夏は葉にもかけて温度を下げる

《秋》
 ・シンビジウムは気温が6~7℃になったら取り込む、一度寒さに当てるとバブルが太るらしい
 ・水コケが乾いたらタップリ水やり
 ・6~7℃を切ったら取り込む(コチョウランは20℃を切ったら、カトレア10℃切ったら取り込む)

《冬》
 ・水コケが乾いたらタップリ水やり

これで花が咲くそうです。植え替えは3月、5月には「芽か欠き」して新芽を3~4本残す、肥料は3~8月まで月に1回。

 リュウノヒゲが青い実を付けていました。

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絵日記 スマホ 竹スピーカーのDIY [日記 (2022)]

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 スマホのスピーカーは小さいですがそれなりの音で、左右が分離して低音も出ますから感心します。スマホのスピーカーの拡大器をDIYてみました。近所の竹林から適当な竹を切ってきてきました。ちょっと小さすぎたようで、スマホの横幅+1cmは必要でした。作り方は簡単、ノコギリとドリルでものの30~40分あれば完成します。で、結果ですが、音は大きくなるのですが中高音だけ共鳴し低音が出ません(スマホの性能によるかも)。newsを聴くにはいいのですが、音楽には使えません。所詮「拡声器、メガホン」で音の拡大器です。もう少し竹を長くすれば低音が出るかもしれませんが…。竹が余っているので、ステレオ用に挑戦してみます。

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紫式部日記 ③ 若紫はさぶらう? (2009角川文庫) [日記 (2022)]

紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) 1.jpg
続き
です。
五十日の祝い
御五十日は霜月のついたちの日。例の、人々のしたててまうのぼり集ひたる御前の有様、絵に描きたる物合の所にぞ、いとよう似て侍りし。

  1008年11月1日に土御門邸では、親王誕生50日を祝う宴会が催されます。女房たちが思い思いに着飾って集った様子は、「物合わせ」の絵の豪華さです。

宮の大夫、御簾のもとに参りて、
「上達部御前に召さむ」
と悔し給ふ。
「聞こしめし」
とあれば、殿よりはじめ奉りて皆参り給ふ。階の東の間を上にて、東の妻戸の前まで居給へり。女房、二重三重づつ居わたされたり。御簾どもを、その間にあたりて居給へる人々、寄りつつ巻き上げ給ふ。
大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍と居給へり。

「宮の大夫」とは中宮付きの役人です。宮の大夫は、宴会に参加している道長を始めとした上達部(かんだちめ、貴族)を女性たちのいる対(建物)に呼び寄せます。上達部は別の部屋で飲んでいたのでしょう。彼らが来たので御簾を巻き上げると、着飾った彰子付きの女官(女房)、大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍がずらりと居並び、男女入り乱れての酒宴となります。酔って几帳を引きちぎる者、女房の扇を取り上げる者、女房の裾や袖口を覗いて衣の枚数を勘定する者、宮の大夫は歌を歌いだし、と座は乱れます。

左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふとうかがひ給ふ。
源氏にかかるべき人も見え給はめに、かの上はまいていかでものし給はむと、聞き居たり。

酔っ払った左衛門の督(藤原公任)が「若紫はいるか?」と乱入します。「光源氏の様なイイ男がここにはいないのに、若紫が居るわけはない!」、紫式部は「ここに居ます」とは言わず無視、笑ってしまいます。1008年11月の時点で、『源氏物語』は衛門府の長官である藤原公任も読んでいたことになり、第5帖『若紫』までが公開されていたことになります。『源氏物語』は、

  996年頃:父親と共に越前に行った頃に構想
 1002年頃:夫藤原宣孝の死後に執筆開始
 1004年頃:父為時『源氏』を道長に献上
 1005年末:彰子に仕え、道長の支援で書き継ぐ
 1008年 :『若紫』までが写本として流布、天皇に献上するため『源氏』を製本

ということになります。

源氏物語を製本
 中宮彰子が宮中に帰ることになります。彰子は、源氏物語を天皇に献上するため紫式部に製本(写本)を命じ、道長は彼女のために紙、筆、墨、硯を用意します。

この本は、彼に「お土産です」といって渡される物ではなかったでしょう。研究者は、彰子が自分の手元に置いて「あなたのために作らせました。読みにいらっしゃいませんか」と天皇を誘う、そして二人で読み合うのだと推測しています。

『源氏』を読むために一条天皇が彰子の元に通えば、それだけ彰子が懐妊する確率が上がりますから、道長は応援したわけです。彰子は敦成親王に続いて翌年に敦良親王を産みますから、道長の思惑通り。紫式部をリクルートした成果です。続きます。


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映画 JUNK HEAD(2021日) [日記 (2022)]

JUNK HEAD(字幕版)
 人形を1コマずつ動かして撮影する、ストップモーション・アニメです。人形が動くわけですから、作画のアニメとは違ってちょっと怖い?。『犬ヶ島』『アノマリサ』を観ました。前者は犬が登場するファンタジー(鬼ヶ島のパロディ)、後者は登場キャラクターが全員同じ顔を持つというダークコメディ?。『JUNK HEAD』は地下世界で怪物が跳梁するデストピア・アニメです。

 wikioediaによると、監督の堀貴秀が一人で7年間かけて作った30分版『JUNK HEAD 1』を自主上映したところ、スポンサーが現れ劇場公開版『JUNK HEAD』が作られたそうです。『JUNK HEAD 1』は「監督、原案、キャラクターデザイン、セット製作、撮影、音楽、声優、編集などほぼ全てを担当」したとのことで、凄い!。

 冒頭で、『JUNK HEAD』の世界が語られます。

  人類は遺伝子操作で長寿を得たが 代償として生殖能力を失った
  地下開発の労働力として創造した人工生命体マリガンとの対立から 1600年後の世界
  人類は地下世界で独自に進化するマリガン生態調査を始めた

 人類はサイボーグとなって長寿を獲得した代わりに、生殖能力を失ったようです。生殖能力を回復するため、マリガンの遺伝子情報を採取しに”パートン”(本作の主人公)が地下世界に派遣されます。彼の乗ったカプセルがマリガンに破壊され、パートンは頭部だけで生き残ります。元々人間としては頭部だけで、胴体と手足はサイボーグですから、これでいいわけです。マリガンは、パートンの頭に人工の胴体を付けてサイボーグとして蘇らせ、この新生パートン(ピノキオです)が、《3バカ兄弟》やマリガンの少女《ニコ》と共に、地下世界で怪物と闘うというストーリーです。

 『JUNK HEAD』は、ストーリーや世界観がどうのと言うより、個性的なマリガンや奇妙な怪物、アナログなマリガン世界を楽しむアニメです。けっこうワクワク感で楽しめます。登場人物は全員「マリガン語」を喋っています(笑。全員の声を監督の堀貴秀がひとりで演じているそうです。「マリガン語」など誰も分かりませんから、字幕が付きます。状況によって字幕のフォントが変わるなど、芸が細かい。
 3部作の第1部だそうですから、第2部、第3部でどんな展開が待っているのか楽しみです。

監督、脚本、音楽:堀貴秀
出演(声):堀貴秀
 公式サイトからお借りしました。
ジャンクヘッド1.jpg character_modal_02.jpg
パートン、背後のジャンク感がgood   マリガン三バカ兄弟
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マリガンの少女ニコ           怪物

タグ:映画
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紫式部日記 ② 紫式部と道長 (2009角川文庫) [日記 (2022)]

紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
絵巻.jpg 紫式部を訪ねる道長
紫式部と道長
 続きです。道長が紫式部の部屋の側を通りかかります。道長は式部に気づくと、付近に咲いている女郎花(おみなえし)を一枝折って几帳の上から差し出し、歌を所望します。式部は、化粧もしていない寝起きの顔ですから恥ずかしいわけです。

 女郎花 さかりの色を 見るからに 露の分きける 身こそ知らるれ

現代語訳:美しい女郎花。秋の露が花をこんなにきれいにしたのですね。これを見るにつけても、露の恵みを受けられず、美しくはなれなかったわが姿が恥ずかしく思われます

道長は硯を所望して返歌、
 白露は 分きても置かじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ

現代語訳:白露はどこにでも降りる。その恵みに分け隔てなどありはしない、女郎花は、自分の美しくあろうとする心によって染まっているのだ
偶然通りかかったのかどうかは?。女郎花は、「戯れの恋の相手」を意味するそうですから、道長が紫式部にモーションを掛けたとも、紫式部は時の権力者に言い寄られたことをちょっと自慢したかった、そんな下りでしょう。女郎花は秋の花です。彰子が土御門殿に帰ったのは7/16ですから、8月頃のエピソードです。

彰子の出産
 彰子は無事男子(敦成親王)を出産します。一条天皇には定子との間に嫡男・敦康親王がいます。定子が亡くなったので、敦康親王を彰子育てさせ、外戚になるための保険をかけています。そんな折、孫の敦成親王が誕生したのですから、道長は小躍りしたことでしょう。その辺りの道長を式部はどう日記に書いているのか。

いつものように渡廊下の局から見やると、妻戸の前には中宮の大夫や東宮の大夫その他といった公卿がたが大勢つめていらっしゃる。そこへ道長様もお出ましになり、ここ数日落ち葉などで埋もれていた遣水の掃除を指図なさる。人々は心地よさそうな様子だ。たとえ内心に悩みを抱えている人でも、今だけはこの場の空気に気が紛れてしまいそうだ。中でも中宮の大夫は、ことさら得意満面に微笑んでいるわけでもないが、人一倍嬉しい
心の内が自然に表情に表れるのも無理はない。右の宰相の中将権中納言とふざけながら東の対屋の簀子に座っていらっしゃる。

 現れた道長は遣水(やりみず、庭園の水路)の掃除を指図します。内心の喜びを隠しています。小躍りしているのは彰子付きの中宮の大夫で、式部は道長の心境を中宮の大夫に仮託して描いたわけです。「内心に悩みを抱えている人」とは、東の対屋でふざけている右の宰相の中将(道長の故長兄の息子・兼隆)と権中納言(道長の故次兄の息子・隆家)でいずれ道長の甥。この情景は、

 ・娘が親王を産み外戚という権力への道を手に入れた道長
 ・自分達が推す敦康親王が皇位に着く可能性が狭まった(道長に従わなければならない)兼隆、隆家

という藤原家の権力構造が現れる象徴的情景です。著者は、

このように紫式部は、それぞれの立場の人々の、その立場を象徴するような姿を的確にとらえて書き留めています。彼女の眼ははっきりと政治を見極め、その中で様々の思惑を抱く人々を見ているのです。

 『紫式部日記』は、1008年(寛弘5年)秋~1010年(寛弘7年)正月までの2年足らずの日記です。『和泉式部日記』も1003年(長保5年)4月~12月までの 9ヶ月の日記。『蜻蛉日記』954年~974年の20年間、『更級日記』は1020年~1059年の約40年間、性格は違いますが『御堂関白記』は998年~1021年の23年間と、いずれも長期にわたる日記です。
 和泉式部は、宮中で非難された敦道親王との恋の真実を、世に知らしめる目的で『和泉式部日記』を書いたとするなら、2年という期間限定の『紫式部日記』にも、目的があったはずです。その2年間の出来事は彰子の敦成、敦良親王出産ですから、『日記』は彰子の親王出産のルポルタージュだといえます。『源氏』の執筆に忙しい紫式部にルポルタージュを書く動機は小さいですから、誰かが式部に依頼したと考えられます。彰子の父親、道長でしょう。 続きます。


タグ:読書
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紫式部日記 ① 藤原道長 (2009角川文庫)) [日記 (2022)]

紫式部日記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)道長相関図.jpg訂正→道長の父親は兼家


 源氏物語の失われた帖をめぐるミステリ『輝く日の宮』、皇族との恋の顛末を記した『和泉式部日記』が面白かったので、『紫式部日記』を読んでみました。紫式部は、藤原道長の娘、中宮・彰子の女房として、道長の援助を受けて源氏を書きます。『日記』には源氏の成立過程と、道長との関係が書かれているはず、興味はその辺りです。以下、青文字は原文ですから、読み跳ばしてください。和歌は意味があるかも。

中宮・彰子
秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。

 中宮彰子が出産のため実家(土御門殿)に帰り、中宮付きの紫式部も同道します。『日記』は、寛弘5年(1008)秋、道長の邸から始まります。庭木が紅葉し秋の気配が色濃くなった邸に、安産祈願の読経が流れます。出産間近の辛さを隠して凛としている彰子を見るにつけ、式部は、

憂世の慰めには、かかる御前をこそ尋ね参るべかりけれと、現し心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。

 彰子に仕えていると、憂世の慰めになり沈みがちな心が勇気づけられる、というのです。単に「憂世」と書いてみただけなのか、実際に憂世だったのか?。紫式部は、父為時が越前国守となったため、都を離れ田舎暮らし、20代半ばで20歳近くも歳の離れた藤原宣孝と結婚します。わずか2年で宣孝が亡くなり、彰子の女房となります。順風満帆の人生というわけではありません。そんななかで『源氏物語』が書かれたわけです。

 道長は、彰子を12歳で一条天皇の中宮として入内させます。彰子が男子を産みその子が天皇となれば、道長は外祖父として権力を振るうことができます。ところが彰子は懐妊せず、道長は焦ったはず。一条天皇には、兄道隆の娘・定子が皇后として入内しており、すでに嫡男・敦康親王が産まれています。彰子には相当プレッシャーが掛かっていたことでしょう。その彰子が入内から9年後にやっと懐妊します。道長は有頂天になったはず、男子が生まれれば道長の野望は成就します。

藤原道長(966~1028)
 道長は藤原北家の当主・兼家の5男に生まれます。兄2人が相次いで病死し、藤原北家の当主の座が回ってきたという強運の持ち主。この時疫病によって公卿の上位8人中6人が亡くなり、生き残ったのは道隆の嫡男・伊周と道長だけだったといいます。道長は藤原氏一族の長となり、翌年には「長徳の変」で伊周が失脚し、道長の天下となります。
 一条天皇の后で兄道隆の娘定子が亡くなります。道長は、彰子に男子が生まれなかった時のことを考え、定子の子・敦康親王を彰子に育てさせます。そんな時に、彰子が入内9年目にやっと懐妊します。『日記』にある安産祈願の読経は、男子誕生を願う道長の必死の思いがこもっていた筈です。無事男子が誕生し、男子は後一条天皇となって道長は外戚、摂政の地位に上り詰めます。
 道長の孫・敦成親王は、一条天皇の嫡男・敦康親王を差し置いて何故天皇になれたのか?。敦康親王の外祖父道隆は既に亡く、道隆の嫡男・伊周は「長徳の変」で失脚して後ろ楯を失っていたことが原因です。

年表にするとこうなります。

 988:彰子誕生
 990:兼家死去、道隆摂政になる、定子入内一条天皇后
 994:伊周内大臣になる
 995:道隆、道兼、流行病で死去、道長「藤原氏長者」となる
 996:長徳の変、伊周失脚
 999:彰子入内、敦康親王誕生
1001:定子死去
1002頃:『源氏物語』の執筆開始
1005:紫式部、彰子に仕える
1008:一条天皇『源氏』を読む、彰子、敦成親王を出産
1009:彰子、敦良親王を出産
1011:一条天皇譲位、三条天皇即位、敦成親王東宮となる
1016:敦康親王、後一条天皇として即位、道長、摂政となる

著者によると

道長は病気の流行や好敵手の自滅など、偶然の出来事によって地位を得た幸運の人であるように見えます。が、そればかりではありません。チャンスを捕まえるには十分な準備が必要であり、また一旦手に入れた座を保つには実力が必要です。道長はそれらを兼ね備えた、意志と周到さと実行力の持ち主だったと言えるでしょう。

無事これ名馬、運も実力うち、です。→続き


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