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映画 1917 命をかけた伝令(2019英米) [日記 (2021)]

1917 命をかけた伝令 [DVD]
 第一次世界大戦の西部戦線で、伝令の任務に就いた若いイギリス兵士の物語です。反戦映画『西部戦線異状なし』を連想しますが(これはこれで名画)、サム・メンデスですから反戦映画など作るわけがありません。西部戦線といえば塹壕戦、フランスの塹壕で戦うイギリス軍が舞台です。

 その西部戦線でドイツ軍が撤退します。撤退を罠だと見たイギリス軍は、追撃する部隊に作戦中止の伝令を出します。追撃すれば反撃に会い1600名の部隊が全滅します。伝令に選ばれたのが、兄が追撃部隊にいるトム・ブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)。トムと同僚ウィリアム(ウィル)・スコフィールド(ジョージ・マッケイ)が、独軍が撤退したした無人の戦場、ノーマンズ・ランドを駆け抜けます。基本はこれだけ。当然アクシデントがあり、困難を乗り越えたウィルとトムの勇気ある行動によって1600人の命が救われるわけですが、それは舞台設定にすぎません。

 『1917』で描かれるのは1917年4月6日~7日のほぼ24時間。この24時間が「全編1シーン1カット」、つまりLIVEとして描かれます。カメラを回しっぱなしで2時間の映画を撮るわけはないですから、長回しの映像を巧妙に繫ぎ合わせ「1シーン1カット」に編集しています。なぜそんなことをしたのか?、臨場感を出すためともうひとつは視点の問題だと思われます。普通、映画は数多くのカットで構成されます。そのカット、カットは、ストーリーの状況に応じてカメラの視点は異なっています。ある時は主人公の視点であったり、登場人物の視点であったり、誰でもないカメラそのものの視点であったりします。『1917』では、全編を「1シーン1カット」とすることで、カメラを誰でもない架空の視点に固定したといえます。その視点は映画の「創造主」の視点です(三人称単数、一視点?)。

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 十字架                聖家族
  そう思って観ると、所々にキリスト教のメタファーがあります。ウィルが赤ん坊を連れた若い女性と出会うシーンは「聖母子」「聖家族」です。この赤ん坊と女性は他人同士で、女性は戦場に置き去りにされた赤ん坊を保護した様子。ウィルは二人に食料を差し出しますが、赤ん坊にはミルクが必要。ここで途中の牧場で水筒に入れた牛乳が効いてきます。『怒りの葡萄』で、ジョード家の長女ローズが行き倒れの見知らぬ他人に母乳を与えるシーンがあり、ジョード一家が目指したのは旧約聖書・出エジプト記のいう「乳と蜜との流れる地」カリフォルニアでした。だとすれば、1600人の命を救うために戦場を駆け抜けるウィルと彼が持つ命令書も、不時着したドイツ軍の飛行士を助けようとして命を落とすトムも、何かのメタファーなのかも知れません。

 ウィルが追撃部隊に到着した時、兵士たちは一人の兵士が歌う歌を聴いています。ジョニー・キャッシュのゴスペルソング”Wayfaring Stranger”だそうです。

 I am a poor wayfaring stranger
 Traveling through this world below
 There's no sickness toil nor danger
 In that bright world to which I go

 ウィルはまさにpoor wayfaring strangerで、苦難に満ちた世界を旅し、病気や労苦や危険が無い明るく輝いた世界を目指すわけです。そのウィルをカメラ=神が俯瞰し、追うわけです。ストーリー自体は何のヒネリもなく、戦闘シーンも地味でアクションも少な目です。『プライベート・ライアン』ようなドラマ性もありません。最初観た時はそれほど面白いとは思わなかったのですが、二度見ましたw、「全編1シーン1カット」を意識して観ると全然違ってきます。サム・メンデスが作りたかったのは「神の視点」を持つ映画だったと思われます。

監督:サム・メンデス
出演:ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、マーク・ストロング、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ

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