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李成市、宮嶋博史『朝鮮史 2』① 高宗~日清戦争 (2017山川出版) [日記 (2021)]

朝鮮史 2: 近現代 (世界歴史大系)
 『朝鮮史 1』に続き『2』です。本書で扱うのは、朝鮮近代史の始点である大院君、高宗から2017年までの近現代です。『朝鮮史』ですから、1945年からの北朝鮮も含まれます。

(本書では)朝鮮近代史の始点を高宗の即位、大院君政権成立の時点においている。これは、1910年の「韓国併合」までの政治史において活動する主要な努力が大院君政権期に出そろうからである。従来は、主要な勢力として三つの勢力開化派、衛正斥邪派、東学をあげていた。

開化派は・・・西洋の文物・技術・制度を導入して、内政の改革をはかろうとした勢力である。そのような改革を志向する思想、開化思想は大院君政権期には生まれており、大院君政権の末期か、遅くとも関氏政権成立直後には政治勢力としての開化派も形成されていたものと思われる。

衛正斥邪派は、西洋やそれに追随するとみなした日本を排斥し、朝鮮の旧来の体制を保持しようとした勢力である。衛正斥邪とは、もともとは正しい学問として奉ずる朱子学を擁護し、天主教や東学などの邪教・異端を排斥することであるが、フランス・アメリカの侵攻を厳しく排斥したことによって、その内容が拡大していった。

東学は、その地方幹部が指導した農民蜂起が旧支配体制を大きく揺るがすことになった教団である。(p11)

 近代が資本主義、市民社会の成立だとすれば、高宗即位と大院君政権の成立(1863)で朝鮮が近代国家になったわけではばいでしょう。近代化の「うねり」となる開化派、衛正斥邪派、東学の3つの勢力がこの時期に台頭しただけです。日本を含む外国によって眠っていた李氏朝鮮が目を覚まされたわけです。では朝鮮の近代は何時から始まるのか?。1894年の甲午改革か、1897年の清の冊封体制から外れた大韓帝国成立時か、1910年の日韓併合か、と見るといずれも背後に日本の居る近代化です。朝鮮が国家として自立するのは1945年のWWⅡ終結ですから、朝鮮は近代を経ず一気に現代に突入したともいえます、それも韓国だけ。

大院君 →閔妃 →甲申政変
 高宗の即位によって、大院君は安東金氏の勢道政治から王による親政を取り戻し、自分は実父として実権を握ります。この大院君という人物は、ヤクザな生活を送りながら裏で安東金氏の勢道政治をひっくり返す計画を練っていたという、けっこう面白い人物。人材登用、制度改革とそれなりに頑張る反面、鎖国政策、キリスト教弾圧と負の面もありますがひとカドの人物。勢道政治に懲りた大院君は高宗の后に閔妃を迎い入れますがこれが大誤算。閔妃は自分の一族閔氏を政権に入れまたも勢道政治をやらかし、自分は占い(巫俗)に凝って贅沢三昧。財政破綻に陥ると、売官や貨幣を改鋳して差額で補填と乱脈を極めます。その間高宗は何をしていたかというと妓生と遊んでいた?。当然本書には閔妃の浪費もムーダンに現を抜かしていたなどの記述はありませんw。

 閔妃の乱脈振りに業を煮やした金玉均ら急進改革派は、日本公使の応援を得て甲申政変(1884)を起こします。金玉均は明治維新に倣ってクーデターを越こし、朝鮮の近代化を望む日本はこれを応援します。朝鮮の近代化は征韓論以来の政策であり、日本遊学中に築いた金玉均の人脈(福沢諭吉など)がこれを応援したんでしょう。改革派のクーデターは、閔氏ら守旧派が清軍を引き入れたため3日で潰れます。金玉均は日本に亡命し、上海で閔妃の放った刺客によって暗殺されます。遺体は朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されたといいます。日本では死ねばホトケなのですが、かの国は執念深い。元祖親日派みたいなものです。ちなみに墓は青山墓地にあるそうです。そう言えば、親日派の墓を掘り返せ!という市民団体がありました。

 この甲申政変で日本人が殺されたため、日本は朝鮮と漢城条約、清と天津条約を結びます。

甲午農民戦争(東学党の乱) →日清戦争
 勢道政治による腐敗は、地方でも重税や両班階級の不正などの歪を生み、農民の反乱=民乱が頻発します。その最大のものが東学党の甲午農民戦争(1894)。甲午農民戦争が起きると朝鮮は清に援軍を要請し、天津条約に基づき日本も朝鮮に出兵します。内乱を自らの軍事力で対処出来ず宗主国に頼るのは朝鮮の歴史です。これは事大主義の系譜で、いわば「寄らば大樹の陰」、李朝の主体性の欠如といえます。清、日本両軍が出兵したため、東学党軍は「全州和約」を結んで甲午農民戦争は終結します。

 アンタ等に任せていてはこの国の近代化は無理だと考える日本は、朝鮮の内政改革を清に提案しますが清はこれを拒否。じゃぁ日本ひとりでやると、大院君を担ぎだして傀儡政権を建てます。食わせ者の大院君は、東学党に反乱を焚き付け、日本軍と清軍を咬ませ漁夫の利を狙いますが、日本は大院君を幽閉。
 日清両軍は豊島沖海戦、成歓の戦いによって交戦状態となり日清戦争が勃発します。日本軍は平壌の戦、黄海海戦などを経て勝利。
 日本はこの傀儡政権を使って朝鮮の近代化に手をつけます(甲午改革)。内閣制度を導入し、税制、司法、警察・軍隊制度を改革し、科挙を廃止し、 奴婢、白丁など封建的身分制を改め、 人身売買、拷問を禁止します。いずれも、甲申政変で潰えた改革派の金玉均・朴泳孝が目指した内政改革が、日本によって実現されます。
 下関条約によって清は宗主権を放棄し、朝鮮は大韓帝国(1897)として独立国となります。

【朝鮮史1】
【朝鮮史2】

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