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百田尚樹 夏の騎士(2019新潮社) [日記(2019)]

夏の騎士  小学5年生の落ちこぼれ三人が、「秘密基地」を作り「騎士団」を結成する話です。時は1980年代の終わり、昭和が終わり平成とバブルが始まろうとする頃。「秘密基地」という言葉がかろうじて生きていた時代の話です。三人は、医者の息子で兄二人は秀才だが本人は落ちこぼれの三男健太、未婚の母を持つ生活保護家庭の陽介、そして語り手宏志。勉強もスポーツも駄目、喧嘩も弱いという小学生にしてすでに落後者?が団結して人生に立ち向かいます。

 「騎士団」というのは宏志によると円卓の騎士、騎士はレディーに愛と忠誠を捧げるものだと、彼らが担いだのは同級生の有布子。帰国子女で頭がよくて美少女。有布子が、三人に有名中学受験の模擬テストを受ける課題を与え、騎士の「馬上槍試合」だと考えてこれに挑戦します。無謀と云う他はなく、落ちこぼれの三人に恥をかかせようと誰かが仕組んだイジメです。これが第一のプロット。
 もうひとつが、学習発表会の劇「眠れる森の美女」。ヒロイン・オーロラ姫に女子の満場一致でクラスの嫌われ者・壬生紀子が選ばれます。壬生紀子は、母親が近所で噂の狂人という負を背負った子供という設定で、これも一種のイジメ。宏志は義侠心から壬生紀子の相手役フィリップ王子に名乗りをあげます。鼻つまみ女子と落ちこぼれの男子のカップルが出来上がったわけです。落ちこぼれの宏志が、模擬テストと学習発表会のヒーローに挑戦するという物語ですが、結論は言うまでもありません。壬生紀子の応援で三人は模擬テストの勉強を始め、彼女のリードで宏志は学習発表会を乗り切り、この四人は鼻つまみ女子と落ちこぼれから脱出します。

 このビルツィングスロマンに女子小学生が変質者に殺されるという事件が加わって、「スタン・バイ・ミー」の雰囲気もあり。

 成長した四人、健太は見事に医師となり(自衛隊の医師というのがいかにも百田センセイ)、陽介は税理士となって一家は生活保護から脱出し、壬生紀子は東大法学部を出て経産省の官僚となるに至っては都合よすぎるでしょうね。語り手宏志はというとTVの構成作家を経て作家となるのですから、百田センセイそのまんま。おまけ宏志は紀子の夫だそうですから、キッチリ作者の成功譚のような気もします、『錨を上げよ』の前日譚のような小説です。

 百田センセイは、『永遠の0』『海賊とよばれた男』『錨を上げよ』を読みましたが、絶筆宣言をした後の最後の小説がコレでは少し寂しいです。小学生イジメがありますから、中途半端な殺人事件など削って、イジメの病理を解剖してその克服の物語とでもすれば、もう少し読ませる小説になったのでは。いずれにしろ、ジュブナイルです。

タグ:読書
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EosKiss X5で連写 [日記(2019)]

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 ちょうどいい撮影対象があったので、連写を試してみました。EosKissは3.7コマ/秒、250mm望遠で、簡単撮影のスポーツを使いました、素人カメラマンにはこれで十分。250mmなら手持ちも可能。隣の人には「(連写の)音がイイ」と言われました(笑。

タグ:絵日記
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映画 不滅の女(1963仏伊トルコ) [日記(2019)]

不滅の女〈HDレストア版〉 [DVD]
原題:L’IMMORTELLE、不滅。
 アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』が何となく面白かったので、懲りずに『不滅の女』です。一言で言うと、フランス人男性(ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ)がトルコのイスタンブールで謎の若い女性レイラ(フランソワーズ・ブリオン)と出会い、その後消えたレイラを探すという話です。
 イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアが出会う都市。尖塔のそびえるモスクあり、地下宮殿あり、ビザンツ帝国?の廃墟在り、謎めいた美女が登場するには格好の舞台です。冒頭から謎めいています。男が滞在する部屋を、釣りのフリをして監視する男が登場します。二階の窓越しに監視する人物、アンドレにつきまとうサングラスの男、謎の男の子、モスクの土産物売りなどなどが登場し、映画はミステリアスな雰囲気で進行します。男は、自ら語るところよればトルコに来て1~2年の教師。物語性に乏しいこの映画では、登場人物は、フランス人、教師という属性、名前さえ殆ど意味をなさず、単なる記号に過ぎません。
 
 男はボスポラス海峡の岸辺で女性と出会います。そばに犬を連れたサングラスの男が映り、その後この男は意味ありげに度々登場しますが何かの表徴なのか?(一流の韜晦だと思われます)。女は、道に迷った男を「白い車」で滞在先の家に送り、彼は女をパーティーに誘います。パーティーに現れたのは長い髪をアップに結った盛装の女性。男が会った時にはショートカットだったはずですが、男は当たり前にこれを受け入れています。アラン・ロブ=グリエは、『ヨーロッパ横断特急』でも冒頭から映画の虚構性を強調していますから、この導入部で「これは虚構だよ!」言っているのかも知れません。
 女はレイラと名乗りますが後に本名はラーレだと打ち明け、ショートカットの女性もラーレだと名乗りますから、ふたりは同一人物(ともに演じるのはフランソワーズ・ブリオン)。ロングヘアーの女性レイラ、ショートカットの女性ラーレが登場し、男は二人?の女と頻繁にデートを重ね、男女の仲となります。男が関係を結ぶのは、不思議と女がレイラの姿でいる時。男の眼にはレイラとラーレは同じ女性と映っているようで、この映画狙いもそこにあると思われます。
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 もうひとつの謎が男の部屋の壁に貼ってあるチューリップの画というか記号。この記号はシーンによって消えたり現れたりします。チューリップの記号のある世界とない世界は、別の世界の暗示でしょう。女はラーレと名乗り、男はあなたに相応しい美しい名前だと言います。ラーレとはトルコ語でチューリップのこと。男はチューリップの精と恋に堕ちたことになります。
 また、男とレイラがフェリーの上で交わす会話も意味深。
 女) ここは想像の世界よ モスクの尖塔の下の家には 女たちが監禁されている
 男) 手と腕が見える 金の鎖を巻いた肩もね 
男とレイラが愛を交わす時、彼女は腕に金の鎖を付けています。レイラはチューリップの精であると同時に、トルコ王宮のハーレムから蘇った女奴隷ということができます。アラン・ロブ=グリエは、オリエンタルのエキゾチズムとチューリップの原産地としてトルコを選んだことになります。
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 レイラが姿を消し、男はイスタンブールの町を彼女を訪ね歩きますが誰もレイラを知らず、一緒に訪れたモスクの土産物売りも男の滞在する家の女主人も、レイラを知らないと言います。やはりレイラはチューリップの精、蘇ったハーレムの女奴隷は白日夢なのか、男の想像の産物なのか?。
 男は雑踏の中でレイラを見つけ二人は車で夜の道を走り、飛び出してきた犬(サングラスの男が連れていた犬)を避けようとして事故を起こして死にます。ところがレイラは生き返ります。生き返ったわけではなく、想像の中で生まれたレイラは男の想像の世界に蘇ります。レイラの死を受け入れられない男は、彼女を探してまたもイスタンブールの街を彷徨います。男は、レイラが事故を起こした「白い車」を見つけて買い取り、レイラに魅入られるように事故を起こして死にます。
 この映画にストーリーとドラマを期待しても無理です。全編これメタファーのような映画です。そのメタファーをあれこれ考えてみたんですが、無駄な話でした。男がイスタンブールの廃墟やモスクで見るエキゾチックな夢とエロス、それを”映像”で愉しむ映画です。

監督・脚本:アラン・ロブ=グリエ
出演:フランソワーズ・ブリオン、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、カトリーヌ・ロブ= グリエ

タグ:映画
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古田博司 朝鮮民族を読み解く(1995ちくま新書) [日記(2019)]

朝鮮民族を読み解く―北と南に共通するもの (ちくま学芸文庫)  韓国の「反日」は筋金いりです。秀吉の侵攻、日韓併合あたりが原因かとも思うのですが、同じ日本の統治下にあった台湾の「反日」はあまり聞きません。東日本大震災では250億円もの義援金が集まり、初代の総統・李登輝は親日家です。過去の歴史を謝罪せよと迫る韓国の「反日」は、壬辰倭乱、日韓併合だけではなさそうと、いろいろ読み漁っています。『東アジアの思想風景』が面白かったので同じ著者による本書を読んでみました。

儒教(朱子学)
 有名な「同姓不婚」です。同姓同本貫の男女は結婚できないという規定です。民法で謳われていましたが、さすが1999年に廃止されたそうです。本書によると、これは李朝が儒教(朱子学)を国教に定めた15世紀頃から始まった習慣らしく、それ以前の高麗朝時代には近親結婚もあったらしい。儒教は、同姓同本貫は血族であり同じ血族の通婚は人倫にもとると、否定します。

 李朝は、朝鮮土俗のシャーマニズムで生きていた庶民に、高圧的に儒教を押しつ思想改造を図ります。例えば葬祭。朝鮮の伝統的な葬祭は政府によって禁止され、禁を破るものは百叩き、配流、場合によっては斬り殺すという刑罰で儒教流の葬祭を押し付けます。死者を悼む饗宴は禁止され、3年間の服喪が強制されます。女性は二夫にまみえずという儒教の規定に従い、寡婦の再婚は禁止されます(これはなんと1894年まで続いたとのこと)。

王と儒臣たちの儒教教化は、ヨーロッパ中世の異端審問と教理の実践を想起させるほど過激なものであった。一方は神のために生きることの真偽を問われ、他方は死者のため現実の性をささげる誠意をひたすら試されたのであった。

 ”異端審問”です。何故そこまでやる必要があったのか?、朝鮮という小国の生き残り戦術「事大主義」です。朝鮮を中国と同じ、それ以上の儒教の国に作り上げ、「東方礼儀の国」となることよって自国の安全を図ろうとしたのです。上からの押しつられた儒教が、例えば同姓不婚という制度が20世紀まで生き残っているということは、朝鮮民族にそれを受け入れる精神風土があったということでしょう。
 人は死ぬとキリスト教では天国にゆき、仏教では輪廻を繰り返すと考えますが、朝鮮のシャーマニズムでは、死んだ人の魂は地上にあると考えられています。儒教の亡くなった肉親が地上に留まっているという思想がそれと結びつき、祖先、一族との紐帯を強め”血族”という概念を生み、血族の内と外を峻別するウリ(自分たち)とナム(ストレンジャー)という精神風土を生むに至った、ということの様です。

ウリとナム
 著者によると朝鮮社会は、知人、同郷同学、宗族(同本同姓血族)、門中(門派血族)、堂内(四代祖血族)の同心円の構造を持っている。同本同姓血族の「宗族」が結束する内に向かうベクトルは、同じ力が外向きのベクトルを生む、と言います。ちょっと長いですが引用、

 経済が沈滞するようなことがあれば、あるいは政治的混乱がふたたび訪れるようなことがあれば、たちまち亀の甲羅に身をすくめるように、外縁部からおのれを切り捨てて行くであろう。知人、同郷同学、宗族(同本同姓血族)、門中(門派血族)、堂内(四代祖血族)へと、それは縮むであろう。この縮む過程は、まったく社会的危機に対応しているであろう。危機が大きければ大きいほど縮み、堂内を中心とする同心円は外側からブースターをはずして核の安全を守る。
 反対に社会が安定的で、豊かになればなるほどウリの同心円は逆の順で広がっていくであろう。あるいはひとつの細胞が権力と富をもてば、それは奇食と威勢の集団となって究極まで拡大する可能性をはらんでいる。そしてこれらの広がり縮む臨界の向こうが、つねに不信者たち、つまり
ナム(他者、ストレンジャー)の世界となる。ウリが縮みきったときの堂内(四代祖血族)がウリの核である。

 この構造を作ったのが儒教(朱子学)だといいます。党派と血族の力学はなにも朝鮮に限ったことではありません。朝鮮民族(李朝)では細分化された宗族間に働く力が大きく、勢道政治、士禍を生んだのだと思われます(内ゲバの論理?)。李 栄薫の言う「種族主義」とはこのことだと思われます。
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 今日韓国で李朝がどのように評価されているか?。著者によると、朴正熙は李朝史と儒教の伝統を否定し、民族主義と愛国主義を鼓吹したといいます。

我々は李朝史を四色党争、事大主義、両班の安逸な無事主義的生活態度によって後代の子孫に悪影響を及ぼした民族的罪悪史であると考える。時に今日の我々の生活が困難にみちているのは、さながら李朝史の悪遺産そのものである。(朴正熙選集二)

 朴正熙は、1961年の軍事クーデターで権力を握り、日韓請求権協定で得た5億ドルをベース高度経済成長(漢江の奇跡)を成し遂げました。韓国の近代化を推し進めた朴正熙が、李朝を公的に否定した事実は興味深いです。さらに朴正熙と金日成の類似点、彼ら二人が李朝史を事大主義、民族の主体性の欠如の歴史とみることで一致していると言います。宗族意識の強い朝鮮で民族国家意識を醸成することは困難を極めたはずです。

 北朝鮮では、宗族民族国家という2つの楕円の中心を金日成を核として一点に収斂することにより、運命共同体を創り出す工作が延々30年の歳月をかけて行われていた。
 韓国ではこの核がない。そこで宗族の強制力を矯めることによりこれを中心としたウリの知人包括力を増し、部分集合を大きくすることにより民族国家へと次第に近づけていったのである。

 金一族の個人崇拝にはこうした朝鮮ならではの事情があるわけです。後段が分かり辛いですが、核のない韓国が国家的危機に陥った時(国家、民族の結束が必要な時)、ウリに収斂するために必要なものがナムの存在だと読めます。国家的危機を外に危機(ナム)を作って乗り切ろうとする発想で、このナムが日本だと考えると昨今の日韓問題は何となく分かるような気がします。朱子学を「悪遺産」と呼ぶことは容易ですが、朱子学を受け入れた民族の根源があるはずです。これはもう文化人類学の領域かも知れません。

 『東アジアの思想風景』が面白かったので読んだのですが、なかなか示唆に富む論考です。

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映画 聖なる酔っぱらいの伝説(1988仏伊) [日記(2019)]

  聖なる酔っぱらいの伝説 [DVD] パリの橋の下をネグラとするホームレスが、200フランの借金を返す顛末を描いた”ファンタジー”です。

 ホームレスのアンドレアス(ルトガー・ハウアー)は、セーヌ河畔の橋の袂で老人(アンソニー・クエイル)から200フランを与えられます。固辞するアンドレアスに、老人は聖テレーズから借りたことにして、返す金ができたら、ナントカ協会の神父に手渡してくれと言って押し付けられます。債権者は老人 →テレーズとなります(笑。この老人から200フラン貰ったことで、アンドレアスに次々と幸運(聖テレーズの奇蹟)が舞い込みます。アンドレアスはドイツ系の名前で、老人は彼のことを「外国の人」と言ってますから、ドイツまたはオーストリアからフランスに流れて来たことになります。
本作のルトガー・ハウアー       『ブレードランナー』のルトガー・ハウアー
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第一の奇蹟:翌日カフェで会った人物から引っ越しの手伝いを200フランで頼まれます。

第二の奇蹟:お金の出来たアンドレアスは200フランを返しに教会に行くと、昔の恋人カロリーヌに出会い聖テレーズに返す200フランを使ってしまいます。おまけに一夜をともにします。この時アンドレアスの窮乏を知ったカロリーヌは、彼の財布に1000フランをそっと忍ばせますからニクイ。

 このカロリーヌがもうひとつ分からない。アンドレアスとカロリーヌは若い頃恋人同士。後に再開した時カロリーヌは人妻 →不倫関係となり、彼女に暴力を振るう夫を誤って殺し、国外追放となってドイツからフランスに流れて来た。それとも人妻のカロリーヌに恋をした?。しかし、ドイツの元恋人と偶然パリで再会するとは、どう考えても出来すぎ。この後、ドイツ時代の幼馴染や友人と出会うのですが、監督さんそれはヤリ過ぎでしょうと言うべきか、聖テレーズは偉大なのだと考えるべきか...。

 とにかく元恋人と出会って200フランを使い果たし、また橋の下で寝ることとなります。翌朝、聖テレーズが「日曜日に教会に来なかったね」と借金の督促?に現れます(笑 →夢ですが。

第三の奇蹟:幼馴染がチャンピオン・ボクサーになっていることを知り会いにゆきます。ボクサーは、子供の頃にテストの答案を見せて貰った恩があるとかでアンドレアスを歓待し、ホテルに泊めてもらいスーツをプレゼントされます。

第四の奇蹟:奇蹟かどうかは?。第三の奇蹟のホテルでカジノの若い踊り子と出会い、デートして一夜をともに。Lucky!となるハズですが、踊り子と分かれた後カロリーヌに貰った1000フランが財布から消えています。まぁ第四の奇蹟と言いたい!(笑。この後何とか残っていた200フランを持って教会に行きますが、旧友のドミニク・ピノンにタカられて無一文。しかし、こうも都合よく郷里の友人と出会うとは、聖テレーズの奇蹟は凄い!。

第五、第六の奇蹟:当て所なく橋に行くと、200フラン貰った老人と出会いまたも200フラン恵まれます。今度こそ返すゾと教会に向かうも酒の誘惑に勝てずまたも無一文。警官に呼び止められ、「アンタ財布を落としたよ」と他人の財布を渡されます。

第七の奇蹟:(またもカフェに入り)さぁ今度こそ返しに行こうと言う時、テレーズが現れ「早く金を返せ!、アンタには愛想が尽きた」とは言わず、テレーズは必要ならお金を上げると...。

 雨に濡れたのが祟ったのか、アンドレアスはカフェで気を失い教会に運び込まれ、その手には200フランが握られています。遠くからテレーズがこの様子を見つめているシーンで幕。

神よ すべての酔っぱらいに 美しい死を 与え給え (ヨーゼフ・ロート)

と字幕が出ますから(ヨーゼフ・ロートは映画の原作者)、アンドレアスは死んだのでしょうね。聖テレーズがアンドレアスに安らかな死を与えたのかも知れません。だからどうなんだという部分もありますが、”酒精”が人にもたらす悲喜劇、けなげに200フランを返そうと奮闘する誠意、そんなところでしょうか。この映画に共感できるかどうかは、酒を愛するかどうかにかかっていそうです。つまり酔っぱらえるかどうかです。私も酔っぱらいますからアンドレアスに共感、同情(笑。クリスマスに観るにはお薦めの一作かも知れません。『ブレードランナー』のレプリカント、ルトガー・ハウアーがホームレスを演じるところがこの映画のミソです。

監督:エルマンノ・オルミ
出演:ルトガー・ハウアー アンソニー・クエイル ドミニク・ピノン ソフィー・セガレン

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角田房子 閔妃暗殺②(1988新潮文庫) [日記(2019)]

 引き続き角田房子『閔妃暗殺閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫) 』を読んでいます。
江華島事件(1875)
 閔妃のクーデターによって鎖国大院君が政治の表舞台から去ったことをチャンスとして、明治政府は軍艦三隻を派遣して恫喝外交を始めます。ペリーの真似です。江華島の朝鮮軍から砲撃を受けたためこれに報復、江華島事件を起こします。朝鮮が日本の軍艦の挑発に乗せられたわけです。事件は日朝修好条約(不平等条約)の締結で終わり、1877年に釜山を開港します(1879元山、1880仁川開港)。日本を皮切りに1882年にはアメリカ、次いでイギリス、ドイツと国交を結び、朝鮮は開国します。
 著者は江華島事件の賠償と条約締結の使節団の中に、後に閔妃暗殺で重要な役割を担う岡本柳之助(砲兵大尉)の名前を見いだし、岡本と陸奥宗光の関係から、閔妃暗殺の影に陸奥がいたことを推測します。

 明治維新1868年に早くも朝鮮に親書を送っています。明治政府が何故これほど朝鮮にこだわったのか?。朝鮮通信使の伝統、一足早く近代化に踏み出した隣国のよしみ、貿易による利益、列強のように植民地が欲しかった?。朝鮮に貿易で利益の上がる産物ははなく、植民地として投資価値も疑問。江戸末期から日本にはロシアの南下を恐れる思想的風土があり、その防波堤として朝鮮半島に橋頭堡を築く必要があったと思われます。
 韓国の”民族史観”によると、日帝が朝鮮を植民地にして収奪したということになっていますが、『朝鮮紀行』を読むと、李朝末の朝鮮にそもそも奪うものは何も無かったのではないかと思われます。イザベラ・バードによると、

通常の意味での「交易」は朝鮮中部と北部のおおかたには存在しない。つまり、ある場所とほかの場所とのあいだで産物を交換し合うことも、そこに住んでいる商人が移出や移入を行うこともなく、供給が地元の需要を上回る産業はないのである。

ということになります。朝鮮の経済史があれば読んでみたいです。

壬午軍乱(1882)
 きっかけは兵士への給与支払い。これが横領による量目不足だったため兵士の怒りは軍乱へと発展します。李朝の横領というのは病弊みたいなもので、給与支払いの各段階で行われわけですから末端の兵士はたまったものではありません。横領は『朝鮮紀行』にも繰り返し記されています。反乱軍は大院君と結び、これに貧民が加わって、”反閔(妃)、反日”の様相を呈します。反日は、日本の軍事支援で生まれた別枝軍に対する国軍兵士の反感、開国より物価が上昇した庶民の反感です。これに干魃による大凶作、コレラ流行が加わったものと思われます。”反閔”が大院君と結び付くしか無く、第三の極が無いというのがこの時代の朝鮮の悲劇です。

 反乱軍は別枝軍の日本軍事顧問、日本と条約を結んだ閔氏の高官を殺害、日本公使館を焼き討ちにし、民間の日本人も殺され公使・花房義質は命からがら長崎に逃げます。反乱軍は閔妃を殺すため王宮に乱入し閔妃は逃亡。この頃から閔妃暗殺の下地はすでにあったわけです。反乱の背後に大院君の在ることを知った王(閔妃)は大院君に乱を終息させ、大院君は生死不明の閔妃の国葬を断行し葬り去ろうとします。清は朝鮮の要請に基づいて
出兵し、日本もまた江華条約に基づいて出兵。大院君は清に調停を依頼し、清は軍乱を煽動した大院君を天津へ拉致します。清はこう発表します、

大院君をソウルに置けば、外は日本と衝突して戦火を見ることは明らかであり、内は国王や重臣たちと相容れることなく、一大変事を誘発する形成であったため、清国は日韓国交の和平を保つ最善の方策として、大院君を拉致した。

 大院君が拉致されても、王も臣下も気にしなかったようで、閔妃などは大喜びだったことでしょう(笑。王の父親は宗主国に拉致され、国母・閔妃は兵士に殺されかけ、政権は統治能力を完全に失っているというという有様。閔妃は50日後に逃亡先から昌徳宮に戻って復権を果たし、大院君は3年天津に幽閉されます。

 軍乱の後「済物浦条約」が結ばれ、50万円の賠償金を払うことになります。50万円は10年割賦。朝鮮政府は日本の銀行から借りて払うこととなりますが、17万円借りて12万は国庫に入れ残りの5万円を賠償金の支払い当てます。当座の資金繰りに事欠いていたわけです。15人の留学生が来日しますが、朝鮮政府は留学費が払えず日本政府が肩代わりするという状況で、国家財政は完全に破綻しています。
 日本の近代化を目の当たりにした留学生たちによって、明治維新をモデルとした新政権樹立を目指す”甲申政変”が起きます。

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映画 ヨーロッパ横断特急(1966仏) [日記(2019)]

ヨーロッパ横断特急<HDレストア版> [DVD]  原題”Trans-Europ-Express”。ヌーヴォー・ロマンの小説家アラン・ロブ=グリエの映画ですから、ヒッチコックの『バルカン超特急』のようなサスペンス映画だと思って観るとアテが外れます(アテが外れたのは→私)。

 ストーリーは、ヨーロッパ横断特急(TEE)で麻薬を密輸する話です。麻薬の密輸というと犯罪、サスペンスということになるのですが。男エリアス(ジャン=ルイ・トランティニャン)は麻薬を運んでいるのではなく、運び屋に適しているかどうか組織からテストを受けているという設定。パリの街角で鞄を交換し、パリ北駅からTEEに乗ってベルギーへ向かいます。途中、列車のコンパートメントに席を取りますが。そこにいる三人の男女は、TEEを舞台にサスペンス映画の脚本を練っている、三人のひとりが監督のアラン・ロブ=グリエ。監督の脚本通りエリアスは行動するわけで、アラン・ロブ=グリエが現実とすればエリアスの世界は虚構。映画そのものが虚構ですから、コンパートメントで映画の脚本を作る3人も虚構。映画を製作しているアラン・ロブ=グリエと、映画を観ている観客だけが現実という世界です。
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 で、映画はというと、麻薬を密輸するという犯罪のシミュレーション、これも虚構。犯罪組織、麻薬の密輸、国際列車、拳銃と道具立てだけは揃っていますが、拳銃は発射されず、エリアスを追うのは警察ではなく、エリアスの運び屋としての適正をテストする犯罪組織。サスペンスには美女が付きものというわけで、アントワープで娼婦エヴァ(マリー=フランス・ピジェ)がエリアスに近づきます。エリアスとエヴァが演じるのは、なんとSMプレイ。

 後半、”007”のジェームズ・ボンドのポスターとエリアスが写るシーンで、納得します。この映画は”007”をカリカチュアだと考えるとすべての辻褄が合ってきます。エリアスの観るSMショーも、”007”によく似たシーンがありました。スペクターが犯罪組織で、娼婦エヴァはボンドガールというわけです。007が戯画であれば、ボンドガールには娼婦、ラブロマンスよりSMプレイがふさわしいわけです。

観客(アラン・ロブ=グリエ(ヨーロッパ横断特急(エリアス(ジェーム・ズボンド))))

とでもいう入れ子構造で、マトリョーシカの最後の人形がジェーム・ズボンドという虚構、戯画、絵空事、フィクション、ロマン。結局エリアスはエヴァを殺し、エリアスは組織に殺されます(映画のヒーローとヒロインは死ぬ必要があった)。アラン・ロブ=グリエ等映画製作の3人はパリ北駅で列車を降り、その背後で、これも列車を降りたエリアスと出迎えるエヴァが抱き合います。まさに虚構。『ヨーロッパ横断特急』とは、映画の本質を記述する”メタ”映画と言うことができます。
 面白いかというと、全然、全く、面白くありませんが、不思議と眠くもならず最後まで観てしまいます。お薦めかというと全然、全く、お薦めしません(笑。ジャン=ルイ・トランティニャンは『男と女』のレーサー・ルイです、懐かしい人には懐かしい。

監督脚本:アラン・ロブ=グリエ
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン マリー=フランス・ピジェ

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角田房子 閔妃暗殺 ① (1988新潮文庫) [日記(2019)]

閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)  イザベラ・バード『朝鮮紀行』で、英国人旅行家がの眼に李朝末期の朝鮮をがどのように映ったかが分かりました。大院君と閔妃の政争、壬午軍乱から甲申政変、甲午農民戦争 、日清戦争に至る経緯を知りたかったので、角田房子『閔妃暗殺』を再読しました。

大院君(興宣大院君)
 高宗の父親で閔妃と権力闘争を演じ、近代朝鮮の混乱を作った元凶のような人物です。高宗以前の朝鮮の病弊は、安藤金氏の勢道政治と貴族である両班(文班・武班)階級の党争で、いずれも国民そっちのけで賄賂、売官で私利私欲に走った政治であり、農民一揆も頻発したようです。
 大院君、本名は李昰応、祖父が李朝22代王の弟という王族で、安東金氏の勢道政治のもとで不遇を囲っています。”あいつは出来る、傑物”と噂されると金氏一族に潰されますから、昰応は酒色にふけり、王族であれば足を踏み入れることもない酒家に入り浸り、金氏一族の邸に行って金を無心するなど、”宮乞人”と呼ばれていた。つまり乞食貴公子を装い、裏では王族が勢道政治から権力を取り戻す手を着々と打っていた、それが後の大院君の若き日の姿。1863年、王が世子を残さずに死ぬと「世継はどうするんだ」ということになり、水面下で手を打っておいた第24代朝鮮王の実母・趙大王大妃から自分の次男を後継に指名させます。次男は11歳、趙大王大妃に「あんたが執政となって政務を取れ」と言わしめ、見事朝鮮国の最高権力者に上り詰めます。手品です。

 1864年に権力を握ると、汚職官吏の首を切り、法典を整備し税制改革を行い、賄賂政治の元凶である両班を抑え込みます。金氏一族を追い出し、結局勢道政治を始めたことになります。内政改革は意欲的ですが、大院君は保守で”衛正斥邪論”朱子学を第一義とする攘夷主義者。鎖国政策をとり、キリスト教を弾圧、フランス人宣教師9人と信者8000人を死刑にし、フランス軍に砲撃を加えアメリカ商船を焼き討ち。

(キリスト教弾圧は)天主教という宗教を禁じただけではなく、天主教を信奉する欧米列強のすべてを否定するものであった。その結果、各先進国の社会制度や科学技術に対する研究心までが、斥邪思想によって圧殺された。こうして次第に進んでいた西学(西洋の学問、宗教などの研究)の道が絶たれたことは、朝鮮の近代化を遅らせ、やがて世界の体制に対処する準備不足のまま、開国という新事態をむかえる結果となる。

 大院君は、長年の勢道政治下に弱体化した王室の権威を高め、中央集権的な君主制を敷くことによって、対内対外の危機を乗りきろうとします(但し、その政治思想が朱子学であったことが足枷となった)。権威の象徴である景福宮(文禄の役で焼失)再建に着手し、農民を使役、財源を確保のため、売官、田税引き上げ、通行税、粗悪貨幣鋳造などで、庶民は困窮を極め特権を取り上げられた両班の反発を招きます。これが後の閔妃のクーデターにつながったわけです。鎖国をして外国を遮断し古来の伝統を護っていれば、朝鮮=自分の権力は安泰だと考えます。兵士には麻布で作った防弾服を着せ、鶴の羽で造った”鶴羽船”で欧米列強と戦おうとしたことに、大院君の固陋振りを見ることができます。
 李朝末期の混乱を、大院君ひとりの責任を押し付けるのは気の毒。もとはと言えば安東金氏の勢道政治と、イザベラ・バードが『朝鮮紀行』で書いた両班階級の汚職と農民搾取にあります。この政治の背後には朝鮮の国教儒教(朱子学)があります。儒教には民を統治する政治イデオロギーがあり、朝鮮の伝統的なシャーマニズムは祖先崇拝を第一義とします。これが一族の結束のために身内を取り立てる勢道政治を生み、民を「愚民」とする支配階級の奢りを産んだのではないかと考えます。
 日本にもの勢道政治に似た摂関政治がありましたが、10,11世紀の話。キリスト教弾圧、鎖国もあり、幕末には外国船を砲撃していますから似たようなものですが、18世紀に大院君や閔妃の勢道政治は無く、攘夷思想や蘭学は体制変革の原動力となります。

閔妃
 もうひとりの主役が高宗の后閔妃です。勢道政治で王権をないがしろにされた大院君が、高宗の后とする第一要件は係累の無いこと。大院君夫人(閔氏)の推薦した閔妃は孤児で、おまけに才色兼備という大院君の望みにかなう后候補。1866年ふたりは結婚、高宗14歳、閔妃15歳の姉さん女房。ところが高宗は側室や宮廷の官女を寵愛し閔妃には無関心、閔妃は孤閨を余儀なくされます。この間閔妃は読書で寂しさを紛らわせますが、愛読書は歴史書の『春秋左伝』だったといいます。高宗は決断力の無い覇気に乏しい人物。イザベラ・バードによると、

国王は背が低くて顔色が悪く、たしかに平凡な人で、・・・落ち着きがなく、両手をしきりにひきつらせていたが、その居ずまいやものごしに威厳がないというのではない。国王の面立ちは愛想がよく、その生来の人の好さはよく知られるところである。会話の途中、国王がことばにつまると王妃がよく助け船を出していた。・・・王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。・・・その意志薄弱な性格は致命的である。

だったそうで、閔妃は政治の実権が大院君から高宗移った時、高宗を助けるために着々と布石を打っていたわけです。

王宮とは闘争の世界だ、と見きわめている閔妃は、夜ごとの鏡の前の自問自答で、その闘争に勝ちぬく手段を検討する。こうして彼女は勉学に励む決意をかためたーーと私には想像される。

 夫が他の女性にうつつを抜かしている時に、将来を見据え『春秋左氏伝』を読む閔妃にはけっこう怖いものがあります。側室が世子を産み閔妃の地位は不安定となり、彼女は閔氏一族を次々と要職に付け権力基盤を固めます。閔妃にもやがて第一子が誕生しますが死亡、子供の供養のため彼女はシャーマニズムの世界に入り浸り国庫を濫費したといいます。こうした閔妃の努力が実り後高宗は妻に傾倒し、閔妃は名実とも后の地位を固め、大院君に冷遇されていた大院君の兄と長子を自陣営に率いれ、反大院君派を形成します。1873年、閔妃一派によるクーデタが起こり(高宗の親政と大院君追放)、閔氏の勢道政治が始まります。閔妃は、高宗が重臣を接見する屏風の後ろから高宗をコントロールする政治を開始します。

王は自ら建白書を読み・・・時々後ろの屏風の方をふり返りながら、儒生たちの処分を命じた。屏風の内には、王の発言を助け導く閔妃が控えている。これが”高宗親政”の実体であることを、閣僚たちはすでによく知っていた。

見てきたような話ですが、甲斐性なしの夫を支えるしっかり者の妻閔妃の姿が目に浮かびます。この後どうなっかというと、

1873:閔妃がクーデターを起こし大院君追放、大院君派が閔妃の住む景福宮を爆破
1874:大院君派が閔妃の義兄を爆殺
1881:大院君クーデター未遂事件
1882:大院君が壬午軍乱を煽動、清が大院君を幽閉
1884:甲申政変(開化派によるクーデター)
1885:大院君帰国、露朝密約事件
1894:甲午農民戦争(裏に大院君あり) →日清戦争
1895:閔妃暗殺
1897:大韓帝国成立
1898:大院君死去

 1864年に大院君が政治の世界に登場し2年後に閔妃が高宗と結婚して以来、朝鮮の歴史はこのふたりの政争とそれによって引き起こされる事件と事変の連続です。閔妃の存在が混乱を引き起こしたわけではないでしょうが、「牝鶏が時を報ずれば国や家が滅びる」ももっともなことかも知れません。この後1910年に朝鮮は日韓併合で日本に飲み込まれます。大院君vs.閔妃の混乱に日本がどのようにつけ入り、何故閔妃は暗殺されたのか、その辺りを読んでみます。
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絵日記 庭も紅葉 [日記(2019)]

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銀杏も紅葉(笑

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古田博司 東アジアの思想風景(1998岩波書店) [日記(2019)]

東アジアの思想風景
 元筑波大学の東洋史(政治思想史)の先生による東アジア3カ国(中国、韓国、北朝鮮)にまつろうエッセイです。擬古文調、古典漢文の言辞にあふれる文章で、広辞苑とwikipediaが必携かも知れません。著者はソウルで「淫蕩懶惰の日々」を送り、「青楼一覚の夢に酔い痴れ、微醺を漂わせつつ、暮靄蒼然とした町を徘徊」するわけです。何のことはない、酒色にふける怠惰な生活を送り、娼家で遊んで酔っ払って夕暮れの町を徘徊するわけです。こうした文章に抵抗がなければ、「読書」を満喫できます。

天皇制とコタツ
 著者は、1980~1986の6年間、韓国延世大学に招かれて日本語講師を努めます。当時、韓国人の眼に日本人はでどのように写っていたか。
 朝鮮は、陽明学すら異端としてこれを退けたほどの、朱子学を国教とした儒教国家です。16世紀に明国を訪れた朝鮮の使節は、当時の明を「陽明学の流行する鄙賎な国」、「禽獣に近い国」としてこれを日記に記しているらしい。明は、李氏朝鮮が夷狄と蔑む満州族に滅ぼされ、征服王朝・清が誕生します。李朝は自らを明の後裔と認じて「小中華」を自称、夷狄の清国からは一切の学術を学ぶこと拒否したということです。

李承晩政権以来、儒教教育復興が叫ばれ、日本植民地期を卑属倭敵に対する民族闘争史観で輝かしく塗り込めた韓国。その韓国に、20世紀後葉訪れた私に付けられた新たなる名前は、すなわち「夷狄」であり、「倭奴(ウェノム)」であった。

著者は日本を棄てる気持ちで渡った韓国で、夷狄、倭奴の扱いを受けることになります。

夷狄には夷狄らしい振る舞いがあてがわれる。・・・日本文化について一言でも発しようなものなら、学生たちは苛立たしそうに耳を塞いだ。・・・日本にあるのは、すべて朝鮮文化の流出といった亜流である。彼らはそう答えた。私は否といった。天皇制とコタツだけは朝鮮には無いぞ。コタツと天皇制だけは日本独自である。しかし彼らは日本天皇制すら否定した。それは韓国人の祖先が、めくるめく古代の曙に、日本に渡って作ったものだ、と。私の「民族主義」を支えるものは、もはやコタツしか残されていなかった。

 鬱屈した著者は「淫蕩懶惰の日々」を送り、「青楼一覚の夢に酔い痴れ、微醺を漂わせつつ、暮靄蒼然とした町を徘徊」するわけです。

朱子学
 1997年、韓国は通貨危機に陥りIMFに救済を要請します。韓国メディアはIMFの支援を屈辱とし、背後には日本とアメリカがあり、経済とともに政治・社会・文化まで侵犯された、と報じた話から

自己を中華と措定し、まわりを夷狄、禽獣と見、まわりが強ければ悪人、弱ければ牛馬と見なす意識を朝鮮のインテリたちに教えたのは、実は女真族やモンゴルの異民族に押しまくられていた頃の、宋の人、朱氏その人であった。この宋儒の固陋な伝統が彼らの国民国家形成をうながし、云々。

 半島国家朝鮮は、安全保障上中国の国教である儒教を選択せざる得なかったわけでしょう。司馬遼太郎によると、朱子学というのは、考証や訓詁といった実証性よりも、大義と名分を重んじ、それについての異同を飽くなくたたかわせる、極度にイデオロギー色の強い体系だということのようです。

大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅が狭く鋭くなり、ついには針の先端の面積ほども無くなってしまう。その面積以外は、邪なのである。(司馬遼太郎の『耽羅紀行』)

 「科挙」のためにこの朱子学を頭に詰め込み、大義名分論で、オレが正しいオマエは間違っているという議論を戦わせ、派閥闘争を繰り返してきたのが李朝500年。朱子学も小中華も政治を支えた官僚=両班(全人口の3%)の世界の話。97%の庶民は無関係だったと思うのですが、500年儒教で統治されれば庶民も朱子学の小中華に染まるのでしょうか。朱子学と小中華思想の尾を引く韓国は、通貨危機でもIMFを非難し、またも日本が侵略を目論んでいると考えたわけです。韓国は日韓通貨スワップ協議を再開したいでしょうが、夷狄に頭を下げることはしないでしょう。

楼妓
 夷狄、倭奴の扱いを受ける著者は、韓国という国と儒教を非難しますが、一方で下宿の下女や「青楼」の妓には温かい眼差しを向けます。

知識はないが聡明であり、野ではあるが卑ではなかった。韓国のインテリたちに牛馬同然に扱われ、店の搾取で一飯食にも事欠いてはいたが、舌鋒鋭く彼らと国を非難していた。当時、世人はナショナリズムの痙攣を繰り返していたが、妓たちは、「韓国の文化なぞ、まわりの侵略者がやってきて、その置き忘れが溜まったものよ」などと平然と言って憚らなかったものである。韓服は蒙古服だし、唐辛子は秀吉が持ってきた。どこで習ったかと問うと、学校の教科書にみんな書いてあるという。

 「青楼一覚の夢に酔い痴れ」る自らを「濹東」に彷徨った永井荷風に重ね、儒教の国には荷風のような文人墨客は絶無であること、紙幣に描かれる李退渓や李栗谷などの儒家も妾を囲っていたことなどに思いを馳せます。荷風が出ましたから、本書にも『濹東綺譚』があります。1997年、著者は失われた時を求めてソウルの城北洞を訪れ白日夢を見ます。ちょっと長いですが引用、著者渾身の一文です。

すでに道は夜明皎々、きらきらと輝き、傍らを蒼ぬめり川が静かに流れている。と、一閣の尼寺。木の扉は風雨に曝され・・・戸の隙間より身を滑らせて境内に入ると、浅茅が宿の有様・・・と、突然本堂より榔々たる木魚の声。
 はっと、振り返ると白い韓服の女が門外からこちらを手招きしている。

これは荷風ではなく鏡花です。一室に招き入れられ

ふと見ると薄紅梅の韓服、おじぎをする女、鼈甲の簪、髪の分け際、カルマも麗し、チマのひらりと片膝にかかり、広げた両手は川蝉の羽のごと蟬翼羅、衣通る腕のしなやかさ・・・目はほんのりと腫眼縁、手を取れば夜気に馴染んでひんやりと、この世のものか、あの世のものか。蛾眉秀で、切れ長の眼にちょっと検。
 やがては朝の雲となり、暮れては雨となる巫山の仙女、蒼海原はいつしか桑畠と化し、桑中に卿、卿、卿とよぶ声、女はいう鶏鳴と、男はいう昧旦(まだくらし)と。

 男女の姿は、いつの時代もどの国も変わることはありません。
 著者愛憎の韓国です。後で知ったのですが、著者は「韓国を助けるな、教えるな、関わるなの『否韓三原則』」を唱えた人だそうです。本書はその辺りの「嫌韓」本とはちょっと違います。お薦めです。


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