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浅田次郎 大名倒産 上 (文藝春秋2019) [日記 (2020)]

大名倒産 上 (文春e-book)  キャプションに曰く、

思いも寄らね舞台に 引きずり出されてしまった 若き殿様の運命やいかに!?
泣く泣く人助けする貧乏神と どうにも頼りない七福神は 丹生山に宝船を呼べるのかーーー

 この若き殿様は、越後丹生山松平家の当主・和泉守信房、通称小四郎。小四郎は先代松平和泉守がお女中に生ませた子。母子共々家臣に押し付け、跡継ぎが亡くなったため21歳で殿様となります。
 貧乏神と七福神?、これが登場するんですねぇ。

 幕府に出した目録(手形)が三度にわたって不渡となったことを老中から叱責されます。三万石の大名家が5~6両ほどの手形を不渡りにする筈はないのですが、丹生山松平家は、借財25万両で利息が年3万両、歳入が1万両しかなく、日々借金で賄っているありさま。小四郎はとんでもない藩を押し付けられたことになります。
 当時の大名は、貨幣経済に乗りきれず商人から金を借り藩財政は火の車。藩士の知行まで借り上げるのが普通ですが、幕府に振り出した手形が落ちず破産寸前の丹生山松平家は、この借り上げをしていない。そこに秘密があります。

この負け戦は、どこかでしまいにせねばならぬ。

そう考えた先代藩主は、自己破産を目論みます。出すものは舌も出さず、取り込めるものはすべて取り込んで、借りれるだけ謝金をして、一方で裏金を作りに励みます。倒産の暁には裏金を藩士に与え、藩士を路頭に迷わせないという計画。
 小説にもありますが、500万両の借金を抱えた薩摩藩の調所笑左衛門は、借金を無利子の250年の分割払いにし、砂糖の生産と密貿易で財政を再建し、明治維新に乗り出す経済的基盤を作ります。その調所笑左衛門と真逆の人物登場させ、大名が倒産、自己破産する時代劇、それが本書です。財政再建の時代物など面白くも何ともない、ここはひとつ裏から行こう、と浅田次郎センセイは考えたわけです。従って小説は講談調、貧乏神に七福神まで登場します。

 財政逼迫の丹生山松平家ですから、次兄・新次郎の結婚も難題。結納金の500両も、支払期日を1年後とした手形です(嫁取手形五百両)。新次郎の結婚費用も嵩んで、参勤交代の費用が無い。江戸から越後までの百里、9泊10日、伴揃え150人と400百両が必要なところが、にひねり出し費用がなんと40両。これを5泊7日、54人に縮小して『超高速!参勤交代』で乗り切ります(道中百里五泊七日、会津道中御本陣憂患)。

 とまぁ、計画倒産を目論む先代藩主 VS. なんとか藩主の勤めを果たそうと奮闘する真面目な若殿の、智謀を尽くした闘いとあいなります。 →下巻へ

タグ:読書
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田川建三 イエスという男 ② イエスの歴史的場(1980三一書房) [日記 (2020)]

イエスという男 第二版 増補改訂ガラリヤ.jpg
第一章 逆説的反抗者の生と死
第二章 イエスの歴史的場
第三章 イエスの批判─ローマ帝国と政治支配者
第四章 イエスの批判─ユダヤ教支配体制に向けて
第五章 イエスの批判─社会的経済的構造に対して
第六章 宗教的熱狂と宗教批判との相克

イエスの歴史的場
 ではイエスとはどんな男だったのか。父親が大工だったことから、イエスも農具や漁具、具を作る大工だった想像されます。ガラリア湖が近いので、舟も作ったかも知れない。

ここから我々は、イエスの活動の幅を想像することができる。多くの家庭に比較的富裕な家庭にも、かなり貧困な家庭にも、仕事のために出入りしたであろうし、農民、漁民と生活の上で日常的に接触していた。彼が漁や湖上の舟行について、相当詳しい知識を持ちあわせていたことも、後世の伝説化した物語から知ることができる。

 イエスは、当時のガリラヤ地方で生活する庶民の中で生きています。仕事であちこちに行き、様々な人と会いその暮らしを見ます。その「大工のイエス」がどのように「ナザレのイエス」になったのか?。ともあれ、イエスの言葉はこの庶民の生活の場から発せられたことになります。きっとヘロデ王家とエルサレム神殿に税金を払っていたのでしょう。このローマとユダヤ教の支配、税金の話は、イエスを想像する重要な手掛かりだと著者はいいます。

 AD6年、パレスチナはローマ帝国の直接支配となります(それまではヘデロ王を通しての間接支配)。ローマは住民台帳を作り、住民から税金の徴収します。住民台帳を作るくらいですから、税の徴収は厳しかった筈です。ガリラヤのユダと呼ばれる男が、エルサレムで反ローマ抵抗運動を始めます。エホバを唯一神とし律法が生活の隅々までを支配するユダヤと、ユダヤを属州として支配するローマ帝国、という構図です。AD66年にはユダヤ戦争が勃発していますから、この時代、民衆は反ローマの風潮を共有していることになります。この抵抗運動はイエスとは直接関係しませんが、ローマ支配とユダヤの関係一端を示しています。

宗教家ではないガリラヤのユダのような人物が、かえって宗教的な運動を徹底して展開する。それは、徹底して展開される時には、「宗教」という観念空間にとどまることはせず、歴史的現実の全体に切りこむものとなる。神以外は支配者としては認めない、ということを本気になって主張し、行動するとすれば、いかなる政治権力をも容認しない、民衆の上に特定の階級が支配することを容認しない、徹底した運動となりうる。宗教がそのたてまえを実際にラディカルに遂行しようとすれば、 「宗教」の枠を根源的につき破る。

反ローマ抵抗運動に則して書かれたこの一文は、以外と本書の核心となっています。宗教や神をイデオロギーと置き換えれば、歴史の何時の時代にも当てはまりそうです。イエスの説く「宗教」も宗教の枠を突き破ったのか?。ついでに宗教のパラドクスが語られます。

(ガリラヤのユダの反ローマ抵抗運動は)一世紀全体を通じてのユダヤ人の果敢な独立運動に一般的にあてはまる。神以外には誰も支配者として認めない、という主張を、単純かつ強力に推進することは、素手で強大な支配者に立ち向う時には、歴史の根源をつく真理たりうる。けれども、自分達が何ほどか権力を持った時には、それではすまなくなる。自分達の力を民衆に向けて、これが神の支配だ、とせまることになる。

所々に現れるこいう脱線?が本書の魅力でもあります。

帝国の税金と神殿税

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