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呉 善花 韓国を蝕む儒教の怨念 ② 小中華思想 (小学館新書2019) [日記 (2020)]

  韓国を蝕む儒教の怨念: 反日は永久に終わらない (小学館新書) 続きです。第2章「自己中心主義民族の情と理」から、「小中華思想」と所謂「国民情緒法」について考えてみます。

小中華思想
 明治元年、王政復古のなった明治新政府は朝鮮(李朝)に修好を求めます。李朝は、その外交文書に「皇」「奉勅」の文字が入っていたことを理由に、会見を拒否し国書を突き返します。征韓論が巻き起こる理由のひとつです。「皇」「勅」の文字は、中国皇帝しか使ってはいけない文字で、中国から冊封を受けている李朝にとってみれば、あってはならない日本の無作法だったわけです。この李朝の慌て振り?がよく理解できなかったのですが、これは李朝の「小中華思想」に原因があったようです。
 もうひとつ、司馬遼太郎の『壱岐・対馬の道(街道をゆく)』にある、朝鮮通信使の随員・申維翰と対馬藩の応接係・雨森芳洲の話です。司馬は、申維翰は日本紀行『海遊録』で、雨森を文人としては評価しつつも一日本人としては口を極めて罵倒していることについて、「朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい」と書いています。読んだ当時は「そんなものか」と思った程度でしたが、本書を読むと小中華思想から来る朝鮮の「侮日観」がその根底にあったことがよく分かりました。

中国の統一王朝が世界の中心にあり、その中心から同心円状に遠ざかれば遠ざかるほど、野蛮で侵略的な者たちが跋する文化果てる夷族の地となる。
文化の中心にある「優等なる中華」が、周辺の「劣等なる夷族」に文化・道徳を与えて感化・訓育 し、中華世界の支配下へ組み入れていくことである。

つまり、中華思想では日本は東の端にある蛮族の地であり、朝鮮は、「倭」に文化・道徳を与えて感化・訓育してやったのだ、という優越感が「侮日観」となるわけです。さらに、漢民族の王朝は滅び、蛮族である女真族が中華帝国の主となったため、今や中華の正統は我々であるという「小中華思想」が生まれます。朝鮮こそが世界の中心=中華である、というわけです。その中華の中心に居座るのが「儒教」という世界観であり道徳・倫理です。司馬遼太郎ふうに言うなら

朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい。そのことがすでに十八世紀初頭から存在していたのである。

 申維翰と雨森芳洲の時代には小中華思想による「侮日」だけだったのですが、「倭奴」に35年間にわたって支配されていたという「恨」が加わったのが現代の日韓関係だろうと思います。

儒教
 李朝の始祖・李成桂は、クーデターを起こして高麗を乗っとり1392年に李朝を建てます。革命政府ですから過去を精算し、仏教を廃し儒教(朱子学)を国家原理に据えます。孔子は、古くからある父系血族集団の祖先崇拝を軸とする道徳を体系的に整理し、これを社会、国家へと拡張して普遍的な思想を完成させます。李朝は、高麗の仏教に代えてこの思想を国家統治の原理して導入したのです。

うするに、家父長制家族の倫理・道徳が、そのまま延長されて政治的な国家の倫理・道徳(法)になっていたのです。韓国は、こうした李朝の家族主義国家制度の残滓(残りかすの意味)を強く引きずっており、今なお払拭できていません。
韓国人の意識のなかでは、「法よりも道徳が上位にある」あるいは「道徳が最高の法である」とイメージされているといってよいでしょう。韓国でしばしば、国法や外国と結んだ条約の規定を否定する政治判断や司法判定がなされるのはそのためです。

 朝鮮は元々、祖先崇拝を核とする血族集団によって成り立つ民族ですから、儒教的道徳の浸透は容易だったはずです。逆にいうと、東アジアの「父系血族集団の祖先崇拝」から儒教が生まれたということです。血族集団の延長に国家があるため、国家が定める法も血縁、家族の倫理の上に立つことは出来ないということかと思います。 日本でも儒教(朱子学)は江戸幕府の統治原理となっていますが、生活を律する思想としては庶民に浸透しなかったようです。

 この道徳は、人であれば誰もが持っている「情理」によって支えられているといいます。その情理はどんなものかいうと、

「大多数の韓国人(国民)が今このときに常識として抱いている正しさの感覚」というよりほかにないものです。民族的な主観による「この辺が正しい」という(暗黙の・いわずもがなの)国民的合意といえばよいでしょう。

情理が変われば道徳も変わるというのです。大多数の国民が「それが正しい」と言えば、その時々の情理は法を超えるということです。名高い「国民情緒法」のこれが正体だといいます。国民的合意があれば、黒いカラスも白です。これって、ポピュリズムとどう違うんでしょう?。

【余談】
韓国では、「現在の価値観に立って過去の歴史を全否定する」ことが盛んに行われるのですが、韓国ではこれを「歴史を真っすぐに立てる」と表現しています。

 文在寅大統領が8/14の「慰安婦の日」の記念式典に寄せたメッセージに、この「歴史を真っすぐに立てる」という表現がありました。

文氏は「(慰安婦)問題解決の最も重要な原則は“被害者中心主義”だ」とした上で、「おばあさん(元慰安婦)らが『もういい』と言うまで受け入れ可能な解決策を探す。歴史を立て直すための研究、教育をより発展させる」と語った。(産経デジタル8/14)

「歴史」はその時の為政者によって都合よく書き換えられますから、文在寅をどうのこうの言うつもりはありませんが、それを公言し国民が受け入れるというのは、如何なものでしょう。日韓関係は、本当に難しい。

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映画 新感染 ファイナル・エクスプレス(2016韓) [日記 (2020)]

新感染 ファイナル・エクスプレス [DVD]  原題は「釜山行き」、韓国のゾンビ映画です。
 ゾンビ映画は数多く作られていますが、高速列車の車内でゾンビに襲われるという設定に新味があります。高速で移動する密室ですから逃げ場はないわけで、如何にゾンビから逃げるかというところが見どころです。
 主人公はファンドマネージャー、というところがいかにも韓国?)のソ・ソグ(コン・ユ)。ソグは、小学生の娘スアン(キム・スアン)を釜山行きの新幹線(韓国高速鉄道KTXと言うらしい)で別居する妻の元に連れてゆき、車内でゾンビに遭遇します。離婚した?主人公が娘とゾンビに遭遇するという設定は、スピルバーグ+トム・クルーズの『宇宙戦争』のパクリ?。列車ですから、様々な事情を抱えた人々が同じ車内に乗り合わせる「グランド・ホテル方式」。ソグ父娘のほか身重の妻ソンギョン(チョン・ユミ)を郷里に送るマッチョなサンファ(マ・ドンソク)、野球の大会に参加する高校生のヨングクとジニ、郷里に帰る老姉妹などなど。ジーン・ハックマンが乗客を率い沈没船から脱出を図る『ポセイドン・アドベンチャー』と似ていなくもないです。

 ゾンビ映画ですから、ゾンビに襲われワーワーと逃げ回る辺りは退屈ですが、新幹線が途中停車し、カップルが離ればなれとなる辺りから面白くなります。ソグ、サンファ、ヨングクは9号車、スアンとソンギョンは13号車のトイレ、ジニは5号車とそれぞれのカップルは離れ離れになります。ソグたちは、スアン、ソンギョンを救出に向かいます。間にはゾンビがひしめく4両の客車。列車がトンネルを通過する間、暗闇となった客車でゾンビの活動が止まること、暗闇でゾンビは音に反応することを利用し、4両の客車を通り抜けスアンたちを救出、ジニたちのいる5号車に向かいます。5号車の乗客は扉をロックし、感染の恐れのあるソグたちを締め出します。進むこともできず後ろからはゾンビが迫る絶体絶命のピンチ。サンファが身を呈してゾンビと闘い壮絶な最期をとげます。『ポセイドン・アドベンチャー』では、ジーン・ハックマンが他の乗客を助けるため我が身を犠牲にしますが、この手の映画の定番シーンです。

 なんとか5号車に入ったものの、感染を恐れる乗客はソグたちを拒み、連結部分へと追いやり扉を閉ざします。後方の扉をゾンビが破り5号車に侵入し乗客は全滅。乗客とゾンビの闘いを乗せて列車は釜山へと走ります。ソグたちは無事釜山へとたどり着けるのか?...。

 いろんな映画のハイライトを集めて上手にまとめた映画で、それほどの新鮮さはありませんが、韓国では大ヒットしたようです。ソウル、釜山のほか天安牙山駅、東大邱駅と韓国人にはお馴染みの街と風景なかでソグたちがゾンビと戦うのですから、韓国の観客にとってはリアリティがあったんでしょうね。続編の『半島』が公開されました。全土がゾンビランドと化した朝鮮半島に、逃げ延びた韓国兵士が上陸する話らしいですから、『28日後...』の続編『28週後...』のような映画?。
 面白いと言えば面白い、B級と言えばB級。ゾンビ映画は、(TVドラマですが)『ウォーキング・デッド』と『ゾンビランド』に止めをさすと思うのですが、どんなもんでしょう。

監督:ヨン・サンホ
出演:ソグ - コン・ユ、キム・スアン、チョン・ユミ、マ・ドンソク

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スマイルゼミ タブレット zoom導入 →失敗 [日記 (2020)]

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 コロナウィルで学習塾とヨガ教室が一時閉鎖となり、古いPCを引っ張り出してリモートゼミリモートヨガをやっていました。ゼミ(学習塾)は再開されましたが、コロナの猖獗でまたリモート復活となるかもしれません。スマイルゼミ タブレットがAndroido化できたことだし、これにzoomをインストール出来なかと試してみました。zoomのサイトにはandroid4.0.X以降で可能とあり、スマイルゼミ タブレットは4.4.2ですから可能の筈。
 GooglePlayには5.0X以降のアプリしかありません。検索するとandroid4.0Xのapsがあります。これをダウンロードしてインストールしてみました。立ち上がりますが、すぐさまアップグレードがかかって、アップグレードすると「このアプリはお使いのデバイスには対応しなくなりました。」となり、キャンセルをタップしてもアップデートをタッチしてもzoomが立ち上がりません。

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 あれこれやってみましたが、4.4.2で日本語のzoom利用は無理。分かったのは、rom焼きしたタブレットはroot仕様になっていること。Xperiaのroot化は、スマイルゼミタブレットで余分なアプリを消しバックアップを取る必要もないので、これは宝の持ち腐れw。zoomサイトのandroid4.0.X以降というのは嘘?、試していません英語版だけの話かも知れません。どなたか、スマイルゼミ タブレットでzoom使えているよ、という方がいらしたら教えて下さい。
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 家人のリモートヨガの方は、PC+スマホカメラは面倒だ!ということで、iPad買わされました。後で考えると安価なFireHDでもzoomができると分かってガックリ。保護フィルムを貼れ!ということで、買った家電量販店に持っていったところ、なんと2000円以上します。百均で400円ですが強化ガラスフィルムというのを買ってきました。貼付で気泡が発生せずこれはいいです。

@手元に無いので実験できませんが、「アプリのアップデートを止める」設定にすれば、使えるかも。

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呉 善花 韓国を蝕む儒教の怨念 恨嘆文化 (小学館新書2019) [日記 (2020)]

韓国を蝕む儒教の怨念: 反日は永久に終わらない (小学館新書) 文在寅大統領の顔写真と「だからダメなんだ」と謳う本の帯は、土下座する安倍首相の像と同じ様なもので、いかにも嫌韓読者に媚びるようでどちらも品格に欠けます。
 『親日派のための弁明』の著者・金完燮氏は、閔妃の子孫に名誉毀損で訴えられ罰金刑を受けたといいます。閔妃という100年以上前の歴史上の人物が訴訟の要件となるという法理論と、反日であればすべての無理は通ることに驚きます。「親日称賛禁止法」が通れば、この『親日派のための弁明』などの親日の書籍はすべて処罰の対象となるでしょう。何しろ「法の不遡及の原則」が通用しない国ですから。ことほどさように韓国という国は本当に面白い。日韓併合という歴史が禍しているにしても、こと日本が絡むと何故かくまで激しい反応を示すのか?。その根底には何があるのか?。

 目次は、
序章:韓国を祟る李朝の亡霊
第1章:徴用工・慰安婦問題の核心
第2章:自己中心主義民族の情と理
第3章:「虚言癖-盗用癖」の民族病理
第4章:権力闘争明け暮れる国家・社会
第5章:強固な理念主義と愚民政策
第6章:恨嘆文化と火病社会

恨嘆文化
 面白いのは第6章の「恨嘆文化」。文字どおり恨み嘆くこと。韓国は「恨」の文化だとよく言われます。この恨ついての考察で、元韓国人(著者は日本に帰化)ならではの踏み込んだ考察です。

恨は単なる「うらみ」の情ではなく、達成したいのに達成できない自分の内部に生まれるある種の「くやしさ」に発しています。一般的にはそれが自分に対する「嘆き」として表され、具体的な対象をもつとそれが「うらみ」として表され、相手に激しく恨をぶつけることになっていきます。

これ、「駄々っ子」の理屈です。また、親しい者同士で、自分の置かれた環境がいかに不幸なものかということを嘆く「恨嘆」という習慣があるそうです。

韓国では何事につけても、加害者は悪なる者であり、被害者は善なる者です。ですから、何かの対立があれば、多くの韓国人が被害者の位置に立ちたがります。・・・「自分のほうがあなたよりもっと被害者=善なる者だ」

今度は不幸の比べっこ、不幸自慢で、恨嘆によって癒されるというわけです。恨嘆は、伝統的な歌謡では「打令」として演じられます。

「身世打令」というのがあります。これは自分の不幸な身の上や運命の歌物語のようなもので、半分は節をつけて歌い、半分は物語るようにして演ずるものです。打玲のルーツは。何かというと、朝鮮半島南部のムーダン(巫女=女性シャーマン)がクッ(祭儀)の際に踊りながら演じる巫歌・祈禱歌です。それらの歌のなかの、支配権力者たちの理不尽な圧服に耐えていく庶民の悲憤・嘆きを表現したものが「打令」であり、自分の身の上を嘆く表現が「身世打令」です。

 ムーダンは神がかり状態のなかで、自分がどれほど不幸な立場に置かれているのか、私の人生はなぜこんなにも悲しいのかと嘆くのだそうです。この恨は、身世打令を経てパンソリとなりユネスコの無形文化遺産に登録されますから、恨は立派な文化です。恨みですから恨む相手があるわけです。「恨の文化」は恨みを向ける相手とワンセットになっているわけです。そうした心情の典型を朝鮮の伝統歌謡「アリラン」にみることができるといいます。アリランは、男に捨てられた女の恨みと嘆きを歌ったものであり、また恨を解き放ってゆく喜びを歌った「恨解の歌」だといいます。

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アブラゼミ、クマゼミ (2) [日記 (2020)]

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 捕れた!               アブラゼミ!
 大阪のセミは80%クマゼミではないかという話の続きです。子供たちが来たので、3時過ぎに公園にセミ取りに行きました。1時間ほどで10匹ほど捕れたのですが、ナント80%がアブラゼミ。へぇ~という結果です。

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携帯扇風機の修理 [日記 (2020)]

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 直してくれ!と持ってきました。開けてみると、予想通り単3電池でモーターを回すだけ。バネの付いたレバーでタクトスイッチをon offする構造。回らなかったのはこのスイッチの接触不良。手持ちがあったので交換して修理完了。オモチャですから、こんなチャチなもので涼しくなるわけはないのですが...。
 同じモーターと乾電池のオモチャ「タミヤ 電動ハンディドリル」。電子工作で、プリント基板に1mmの穴を開けるのに使っていますが実用的です。

@持ち主に聞いたところ、携帯扇風機ではなく、シャボン玉製造機だそうですw。
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映画 ミッション・ワイルド(2014米) [日記 (2020)]

ミッション・ワイルド [DVD]  原題:The Homesman。トミー・リー・ジョーンズ監督の西部劇ですが、アクションを期待すると裏切られます。原題のThe Homesmanとは、移民を家に連れ戻す仕事だそうで、これは通常、男性の仕事。男のする仕事を女性がしますから「ミッション・ワイルド」と邦題を付けたのでしょう。Homesmanの意味が分かると、この映画が分かってきます。従って、この映画の主役は、トミー・リー・ジョーンズではなくヒラリー・スワンク。

 メアリー(ヒラリー・スワンク)がロバで畑を耕すシーンから始まります。米西部の農業は、見渡す限りの荒れ地を耕すことから始まります。この地で生きるということが如何に過酷かということを、この数秒シーンに集約しています。メアリーが如何なる理由で西部に移住したのか?ですが、布に描いた鍵盤で架空のピアノを弾く様子から彼女の出身が暗示されます。メアリーは、近所の農夫を食事に招き、結婚を切り出します。私の農地と家畜とアンタの力を合わせれば素晴らしい家庭が築けると。19世紀の女性の少ない西部で、女性から求婚することはかなり異例。逆に言うと、そこそこの財産もある独身のメアリーに、男は誰一人言い寄らなかったわことになります。男は、アンタは偉そうに振る舞うし平凡だ、妻は東部で探す、とメアリーの求婚を一蹴します。女は結婚して子供を生むということが社会通念であり、メアリーも女として結婚を希求したわけです。男が去ったテーブルで、一人となったメアリーはそっと髪に手を触れます。31歳の女の悲哀がにじみ出るようで、ジョーンズ監督の演出は冴え渡ります。演じるのが『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクですから、絵になります。
 過酷な自然、31歳の婚期を逸した勝ち気な女性、冒頭で描かれるこのふたつが映画の主題です。

 3人の女性が精神に異常をきたします。3人の子供を流行り病で亡くした19歳の女性、飢餓で自分の子供を殺したデンマークの移民、夫から虐待を受ける妻。カウボーイと先住民と騎兵隊の西部劇では決して描かれることのなかった「西部」です。
 村の教会は、この3人をアイオワ州の教会に送ることを決め、3人の夫のひとりがその役目を引き受け、クジ引きで決めようとします。ひとりが拒否したため、メアリーが自ら申し出て代わりにクジを引き、彼女が当たります。つまり、Homes manがHomes womanとなります。メアリーは護送用の馬車を調達し、3人を押し込めてアイオワ州に向かいます。男に求婚して断られたオールドミスが、既婚の3人の女性を護送するという構図です。

 アイオワ州への途上、リンチで殺されそうになった流れ者のブリッグス(トミー・リー・ジョーンズ)を助け、300ドルで雇います。メアリーとブリックス、三人の女達のロードムービーが始まります。先住民が現れたり、女の一人が逃亡を図ったりと、まぁいろいろ事件は起こるわけです。
 あと一週間でアイオワ州に到着するという夜、メアリーはブリッグスに問います。3人を無事に送り届けたらどうするのかと。メアリーは、自分には家と土地と家畜もある、銀行には預金もある、健康だし子供も産める、いい夫婦になれる、とブリッグスに結婚を持ちかけます。(農夫への求婚も同じでしたが)結婚の要件は、愛ではなく財産と子供の産める健康な身体です。トミー・リー・ジョーンズが演じますからブリッグスは初老の男。誰でもいいというわけではありませんが、メアリーの結婚願望の激しさでしょう。ブリッグスはこれを断ります。妻は東部で探すとは言いませんが、孤独がいいと。メアリーはなおも言い寄り、ブリッグスが言葉は無意味だと言ったためか、彼女は全裸となって彼の毛布に忍び込みます。その光景を3人の女達がじっと見ています。メアリーの求婚は成功したのか? →翌朝、ブリッグスは首を吊ったメアリーを発見します。

 メアリーは何故自殺したのか?。初老の男にまで結婚を断られ絶望した、セックスで誘惑した自分を恥じた、結婚できない人生に絶望した →答えはありません。

 メアリーの自殺で映画は終わったと言っていいと思います。後は、ブリッグスがメアリーの任務を引き継ぎ3人をアイオワ州の教会に送り届けます。3人を引き取る人物としてメルリ・ストリーブが登場しますが、意味があるとも思えません。
 トミー・リー・ジョーンズはこの映画で何を描きたかったのか?。
 メアリーは、農場を持ち家畜を育て、過酷な西部で男に頼らなくてもやってゆける自立した女として描かれます。ひとりは寂しいと考えたことも無かったでしょう。逆に、メアリーが護送する3人に女は、男に頼り男に裏切られた女たちです。そんなメアリーが自分から2度結婚を持ちかけ、2度とも断られます。男に惚れたわけでもなく、結婚それ自体が目的化された強い結婚願望です。結婚の要件は、愛などではなく財産と子供の産める健康な身体だと男に迫る様は、痛ましささえ感じます。メアリーを結婚へと駈り立てたものは、女とは結婚して子を産む存在だという当時の通念、彼女に結婚を強いる社会的な圧力だと思われます。そうした圧力は一切描かれていませんが、財産や健康をたてに男に結婚を迫るメアリーの行動はその圧力の強さを感じさせます。
 一方で、メアリーが護送する3人は、彼女が渇望する結婚をして破綻した女性。映画は、彼女たちを救うために奮闘するメアリーが、社会的圧力に屈して?自殺するというアイロニーを描いています。今風に言えば、ジェンダーの映画ということになり、Homes manではなくHomes womanの物語です。

監督:トミー・リー・ジョーンズ
出演:ヒラリー・スワンク トミー・リー・ジョーンズ 

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呉善花 漢字廃止で韓国に何が起きたか(PHP新書2008) [日記 (2020)]

「漢字廃止」で韓国に何が起きたか Ⅰ 漢字廃止・ハングル専用政策の災禍
Ⅱ 韓国の言い回し~生活感覚、社会感覚の日常性~
Ⅲ 韓国のことわざ~価値観と人生観の伝統~

 前々から気になっていたのですが、半島では何故漢字が姿を消し、ハングル一辺倒になったんでしょうね。ハングルは14世紀に作られた表音文字で(それ迄漢字以外に文字は無かった?)、19世紀末まで殆ど使われなかったようです。

日本の「漢字仮名混じり文」と同じ形の「漢字ハングル混じり文」は、李朝末期に一部で用いられたことはありました。しかし本格的には、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた李朝の「官報」の役割をも果たしていた新聞『漢城周報』(1886年)が最初です。そして、日本統治時代に近代学校制度が敷かれてから、「漢字ハングル混じり文」は一般の人々の間にまで広く普及したのです(識字率は1910年6%→1943年22%と上昇)。しかし韓国は、建国するとすぐに漢字廃止・ハングル専用政策を打ち出し、朴正熙政権時代に大きく推進されて現在に至っています。

表音文字
 例えば、「はんぐるは ひょうおんもじですから ぶんしょうを ぜんぶかなでかくようなもの。どうおんいぎごもあるし」、読むのはけっこう難。1970年の春から小学校では漢字が廃止されたようです。
 著者によると、韓国語の語彙のうち一般文書の70%、公文書の90%は漢字語だそうです。その漢字語を漢字を連想せずに音だけで理解するということになります。でどうなったかというと、漢字語をやさしい言葉に置き換えるようになり、抽象概念を扱う学術用語や文学的表現の漢語などの80%が失われつつあるといいます。もうひとつの弊害が読書離れ。現代の韓国国民一人当たりの読書量は年0.9冊だそうです。著者は、知識の荒廃が進んでいると嘆きます。日本も似たようなものかも知れませんが、漢語の80%が失われつつあるというのは深刻です。

1970年代以前に発行された人文・社会科学の大部分の専門書は、国(ハングル)漢混用で書かれている。高校までの十二年間、大学までの十六年間の教育を受けて社会に出る人々の大部分は、一般教養紙の記事や題目を読めない。こんなことは、世界のどこの国にあり得るだろうか。ましてや、博士論文を書く大学院生が、20年前に出された 指導教授の論文を漢字のせいで理解できないとは(1999朝鮮日報、ソウル大教授の談話)

 たとえば「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」とか「国破山河在 城春草木深」みたいな古典が彼の国にもあると思うのですが、漢字が読めないと折角の古典、文学も宝の持ち腐れ?、古文の授業はあるんでしょうか?、漢文の授業は無いでしょうね。漢字が読める、架ける世代とそうでない世代で、文化の伝承は滞っているというのです。

 「竪穴式石室発掘」を「人を殺してその血を墓の中に入れること」と理解した話(前掲 朝鮮日報)を例に、漢字を廃止した弊害を説きます。1999年に漢字復活が論議されたらしいですが復活はボツ。漢字には「日帝の残滓」があるというのがその主な理由だそうです。じゃぁ、ムンジェインさんは何故文在寅という漢字名を持っているんでしょうか?。

抽象化
 (漢字を廃止して)そのため韓国人一般は、いまでは日常的な肌触りから離れた言葉を用いて議論を深めていくことがまったく苦手な国民となってしまっている。日本の朝鮮統治の問題について、およそ日常的な感性から抜け出た議論をすることができない韓国人がほとんどなのも、だいたいはそのためである。「日帝問題」となると、韓国人はインテリだろうと庶民だろうときまって感情論となり、世界的な水準から歴史をみつめた冷静な議論になることがまずない。
それは通常、反日教育や固陋な小中華主義のせいだとされてきた。しかし、そればかりではない。そもそも現代韓国は、漢字を廃止したため、世界を論ずるにふさわしい抽象度をもって議論を展開するための言語的なベースが、ほとんど崩壊状態にあるのである。

なるほど。抽象を外れ日常的な感性では論議は深まりません。
 例えばこの「抽象」、日本人であれば抽象という熟語を思い浮かべ「抽」と「象」の漢字の意味を含めた概念として理解します。「物または表象の或る側面・性質を抽(ぬ)き離して把握する心的作用」とまでは理解しなくともです。抽象という語は当然ハングルにもあるわけですから、韓国人はこのハングルは如何なるイメージで捉えているのでしょう。英語のabstractionを英英辞書でひくイメージでしょうか。

 著者は、外国語として日本語を学んだ経験から、日本語の漢字を分析します。漢字の読みには音と訓があります。音は呉音、漢音で、訓は日本独自の音=和語です。日本語の漢字は音と訓で成り立っており、例えば「傍若無人」は「傍に人無きが若く」と漢音の後ろ(中)に和語=大和ことばが潜んでいると著者はいいます。この和語使った漢字の理解が、日本人の言語を支えているというのです。漢詩という外国語も、返り点、送り仮名を付けて和語として理解することが可能となります、これは素晴らしいことだと言います。改めて言われれば、なるほど。

 著者は漢字復活論者です。漢字復活は、日本の訓読みのように漢字に韓国固有語を訓として付けて復活すべきだと主張します。それこそ日帝の残滓でしょう。漢字が復活して韓国人が抽象を振りかざせば、手強いでしょうね。日本は、漢字を捨てなくてよかった。
 Ⅰが主題ですかから、Ⅱ、Ⅲは斜め読みでいいでしょう。

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アブラゼミ、クマゼミ [日記 (2020)]

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 梅雨が明けて悩まされるのが、暑さとセミです。2Fの窓から3mほどのところにある柿の木にクマゼミが来て大合唱。網を持ってセミ取りに励んでいた頃、セミと言えばアブラゼミで、クマゼミは希少でした。たまに捕れると自慢したものです。今では近所のセミは殆どクマゼミじゃないかと思います。夕方涼しくなるとアブラゼミが鳴き始めます。

 平成16~23年の、「セミの抜け殻調査」によると、大阪府全体でクマゼミが74%、アブラゼミが24%、その他2%。大阪市内に限ると、クマゼミが98%、アブラゼミが2%、その他ゼロだそうです。(2014産経west)。住んでいるのは郊外なんですが、気分としては80%以上がクマゼミです。今日も暑そう!。

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浅田次郎 大名倒産 下 (文藝春秋2019) [日記 (2020)]

大名倒産 下続きです。下巻口上、

倒産を目論む父と阻む息子の対決は 神仏までをも巻き込んで いよいよ後段の幕が開くーーー
御家を、御国を守らんと必死の若殿に 家臣も民も商人も力を貸すが...
サァ、神様の出番となる否や!?

 上巻では貧乏神が活躍?し、七福神ひとり寿老人がチラと出ましたから、いよいよ七神が揃ってご登場となるわけです。つまり、若殿のお国入りに付いていった貧乏神が槍傷を受け、薬師如来は治療の見返りに、丹生山に福の神を連れて来いと命じます。貧乏神が福の神!?、貧乏神は寿老人に応援を頼み、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、弁財天が丹生山の里に集結し、もう何がなんだか...。上方落語に『地獄八景亡者戯』というのがありますが、これと似た落語の世界です。

 落語ですから、「いかにも」という人物が登場します。
*御隠居様(丹生山松平家先代藩主)
 →「大名倒産」を目論む張本人。四男・小四郎に跡目を譲り隠居。1万両の裏金作りに励み、藩取り潰しの暁には1万両を藩士に配分してソフトランディングを図ろうという、時代の反逆児。百姓与作、茶人一狐斎、職人左前甚五郎、板前長七などの人格を使い分ける多芸多才の怪物。時に暗殺も辞さない冷酷漢。
*新次郎(丹生山松平家次男)
 →御隠居様曰く「天衣無縫の馬鹿」。庭作りに異能を発揮し、大名が争って作庭を依頼する。新次郎の才能に惚れ込んだ旗本・小池越中守の息女と結婚。この結婚が道中百里五泊七日「丹生山黎明千石船」へと発展する。
*小池越中守(5千石の旗本・大番頭)
 →娘が当代藩主の兄と結婚したことで(この結婚も落語)、丹生山松平家と縁戚関係となる。特産の鮭の味が忘れられず、参勤交代にくっついて丹生山へ。鮭が縁で藩財政再建に多大に貢献。脳ミソが筋肉で出来ており、ジョギングが趣味。
*仙藤利右衛門(一千町歩の田畑を有する丹生山領内きっての豪農)
 →ワイロを使って年貢を誤魔化し、蓄えた米で飢饉に備えるという影の藩主。希代のケチ。
*仁王丸(丹生山の山中で猿たちと暮らす「自称山賊」)
 →上杉謙信の隠し金山を発見し、財政再建に多大に貢献する。作者も思いあぐねて登場させた起死回生の人物。

 落語かといとそうでもなく、背景はそれなりにシリアス。時代は文久年間(1861~1864)、桜田門外の変、生麦事件、和宮降嫁と風雲急を告げる幕末。文久2年には参勤交代が3年に一度、在府100日に緩和され、人質の妻子も領国に帰ることが許されなど、260年続いた体制もタガが緩みだしています。いみじくも、老中・板倉周防守が丹生山松平家の留守居役にグチります、

どこかの御家が抜け駆ければ、われもわれもと続くであろう。そして、そののちは三年に一度だの百日の在府などという定めも守られまい。参勤の制がなくなればすなわち徳川家と諸大名との主従の関係もなくなる。
松平御家門の御尊家が妙な抜け駆け(大名倒産)をすれば、内実はどこも似た者の諸大名家は、それこそ将棋倒しに倒れるぞ。群雄割拠ならぬ群雄倒産じゃ。戦乱の世よりもよほどたちが悪い。

「群雄倒産」が起これば、幕藩体制、朝廷はおろか日本国そもものが崩れ。「大名倒産」はそれほどのインパクトを持つ陰謀だったわけです。

 で小説はというと、七福神の応援もあって、家臣、農民、商人がこぞって若殿を応援します。二人の国家老の妻女は先祖代々の蓄財五千両を差し出し、豪農・仙藤利右衛門は一族を挙げて加担。城下の商人・大黒屋は丹生山特産の塩引鮭を千石船を仕立てて江戸に運び、これがなんと1尾2両2分、しめて二千五百両。小池越中守は、殿中で鮭の試食会を始め屋敷で鮭の直売(番町鮭屋敷)。借金25万両には焼け石に水。極めつけは、仁王丸の見つけた上杉謙信の隠し金山。なにしろバックに七福神がいるわけですから、何でもアリ。
 借財25万両の大半は利子、よって半額にまけさせ残りは現金で払うという決着がつきます。御隠居はどうしたかというと、死神の餌食となりあっけなく幕。4年後に明治維新となります。
 久々の浅田次郎、面白いといえば面白いです。

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