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呉 善花 韓国を蝕む儒教の怨念 ② 小中華思想 (小学館新書2019) [日記 (2020)]

  韓国を蝕む儒教の怨念: 反日は永久に終わらない (小学館新書) 続きです。第2章「自己中心主義民族の情と理」から、「小中華思想」と所謂「国民情緒法」について考えてみます。

小中華思想
 明治元年、王政復古のなった明治新政府は朝鮮(李朝)に修好を求めます。李朝は、その外交文書に「皇」「奉勅」の文字が入っていたことを理由に、会見を拒否し国書を突き返します。征韓論が巻き起こる理由のひとつです。「皇」「勅」の文字は、中国皇帝しか使ってはいけない文字で、中国から冊封を受けている李朝にとってみれば、あってはならない日本の無作法だったわけです。この李朝の慌て振り?がよく理解できなかったのですが、これは李朝の「小中華思想」に原因があったようです。
 もうひとつ、司馬遼太郎の『壱岐・対馬の道(街道をゆく)』にある、朝鮮通信使の随員・申維翰と対馬藩の応接係・雨森芳洲の話です。司馬は、申維翰は日本紀行『海遊録』で、雨森を文人としては評価しつつも一日本人としては口を極めて罵倒していることについて、「朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい」と書いています。読んだ当時は「そんなものか」と思った程度でしたが、本書を読むと小中華思想から来る朝鮮の「侮日観」がその根底にあったことがよく分かりました。

中国の統一王朝が世界の中心にあり、その中心から同心円状に遠ざかれば遠ざかるほど、野蛮で侵略的な者たちが跋する文化果てる夷族の地となる。
文化の中心にある「優等なる中華」が、周辺の「劣等なる夷族」に文化・道徳を与えて感化・訓育 し、中華世界の支配下へ組み入れていくことである。

つまり、中華思想では日本は東の端にある蛮族の地であり、朝鮮は、「倭」に文化・道徳を与えて感化・訓育してやったのだ、という優越感が「侮日観」となるわけです。さらに、漢民族の王朝は滅び、蛮族である女真族が中華帝国の主となったため、今や中華の正統は我々であるという「小中華思想」が生まれます。朝鮮こそが世界の中心=中華である、というわけです。その中華の中心に居座るのが「儒教」という世界観であり道徳・倫理です。司馬遼太郎ふうに言うなら

朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい。そのことがすでに十八世紀初頭から存在していたのである。

 申維翰と雨森芳洲の時代には小中華思想による「侮日」だけだったのですが、「倭奴」に35年間にわたって支配されていたという「恨」が加わったのが現代の日韓関係だろうと思います。

儒教
 李朝の始祖・李成桂は、クーデターを起こして高麗を乗っとり1392年に李朝を建てます。革命政府ですから過去を精算し、仏教を廃し儒教(朱子学)を国家原理に据えます。孔子は、古くからある父系血族集団の祖先崇拝を軸とする道徳を体系的に整理し、これを社会、国家へと拡張して普遍的な思想を完成させます。李朝は、高麗の仏教に代えてこの思想を国家統治の原理して導入したのです。

うするに、家父長制家族の倫理・道徳が、そのまま延長されて政治的な国家の倫理・道徳(法)になっていたのです。韓国は、こうした李朝の家族主義国家制度の残滓(残りかすの意味)を強く引きずっており、今なお払拭できていません。
韓国人の意識のなかでは、「法よりも道徳が上位にある」あるいは「道徳が最高の法である」とイメージされているといってよいでしょう。韓国でしばしば、国法や外国と結んだ条約の規定を否定する政治判断や司法判定がなされるのはそのためです。

 朝鮮は元々、祖先崇拝を核とする血族集団によって成り立つ民族ですから、儒教的道徳の浸透は容易だったはずです。逆にいうと、東アジアの「父系血族集団の祖先崇拝」から儒教が生まれたということです。血族集団の延長に国家があるため、国家が定める法も血縁、家族の倫理の上に立つことは出来ないということかと思います。 日本でも儒教(朱子学)は江戸幕府の統治原理となっていますが、生活を律する思想としては庶民に浸透しなかったようです。

 この道徳は、人であれば誰もが持っている「情理」によって支えられているといいます。その情理はどんなものかいうと、

「大多数の韓国人(国民)が今このときに常識として抱いている正しさの感覚」というよりほかにないものです。民族的な主観による「この辺が正しい」という(暗黙の・いわずもがなの)国民的合意といえばよいでしょう。

情理が変われば道徳も変わるというのです。大多数の国民が「それが正しい」と言えば、その時々の情理は法を超えるということです。名高い「国民情緒法」のこれが正体だといいます。国民的合意があれば、黒いカラスも白です。これって、ポピュリズムとどう違うんでしょう?。

【余談】
韓国では、「現在の価値観に立って過去の歴史を全否定する」ことが盛んに行われるのですが、韓国ではこれを「歴史を真っすぐに立てる」と表現しています。

 文在寅大統領が8/14の「慰安婦の日」の記念式典に寄せたメッセージに、この「歴史を真っすぐに立てる」という表現がありました。

文氏は「(慰安婦)問題解決の最も重要な原則は“被害者中心主義”だ」とした上で、「おばあさん(元慰安婦)らが『もういい』と言うまで受け入れ可能な解決策を探す。歴史を立て直すための研究、教育をより発展させる」と語った。(産経デジタル8/14)

「歴史」はその時の為政者によって都合よく書き換えられますから、文在寅をどうのこうの言うつもりはありませんが、それを公言し国民が受け入れるというのは、如何なものでしょう。日韓関係は、本当に難しい。

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