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絵日記 日除け [日記 (2022)]

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 夏日になったので遮光カーテン吊りました。

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伊集院 静 ミチクサ先生 (上) (2021講談社) [日記 (2022)]

ミチクサ先生 上 子規
 『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』の続篇です。今度は漱石が主人公。タイトルの『ミチクサ』は、自伝小説と言われる小説『道草』に由来するものと思われます。上巻では、誕生から大学予備門、帝国大学、松山、熊本の教師時代までが、子規との交流を軸に漱石の「青春」が描かれます。多くが『ノボさん』と重複しています。子規の他、秋山真之、森鴎外、陸羯南まで歴史上の人物が登場しますから、小説としては「絵」になります。寄席で秋山真之、子規と漱石が出会うシーンは笑ってしまいます。主人公は漱石なのですが、ベースボールに興じ、俳句革新運動にのめり込む天才・子規に比べ、秀才漱石は絵になりにくい人物です。

 漱石と子規はともに慶応3年生まれ、日本の近代国家形成とともに成長し、国家の青春と漱石、子規の青春が重ねられます。秋山好古、真之、子規を描いた司馬遼太郎『坂の上の雲』に比べると、本書には彼らに及ぼしたであろう明治という「時代」が希薄です。大学を卒業し中学教師として社会に出る夏目金之助と、日本が初めて体験した近代戦争=日清戦争が無縁であった筈はない思うのですが、子規が日本新聞社の特派員として病を押して従軍するエピソードが描かれる程度。漱石の初恋のは多くのページが割かれていますが。

熊本時代
 子規が登場しない熊本五高の教師時代になると、やっと夏目金之助が動き出します。熊本時代、漱石は鏡子と結婚しています。鏡子が精神に変調をきたし夜中に徘徊するため、鏡子と自分の手首を寝間着のヒモで結んで寝たエピソードが登場しますが、熊本時代の漱石はそれなりに幸せだっと描かれています。

熊本の夏目家の収入は金之助の俸給百円である。この時代、すべての官吏は来たるべき列強との海戦に備えて、軍艦製造のための製艦費として月給の十分の一を政府から差し引かれていた。その残りから進学の折の父、小兵衛からの借金の返済が月々十円。数年前から姉へ三円の仕送り。本代が二十円。

鏡子に本代を23円に増額して貰ったくだりです。『こころ』『道草』を読むと漱石は金銭に敏感でした。当時漱石の住んだ家の家賃は13円、「名月や十三円の家に住む」の句があります。
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 子規庵(台東文化ガイドブック
 熊本時代に子規を根岸の「子規庵」に見舞った描写は、冗長な上巻の白眉です。子規の結核はカリエスを併発し、書斎の6畳にほぼ臥せった日常です。漱石は病床で眠る子規の枕元で、

金之助は思わず息を止めた。そこにいくつもの花をつけた葉鶏頭が光の中で揺れていた。
・・・十坪にもみたないちいさな庭なのに、限りなくひろがって映った。その花たちに抱かれて、子規は少年のごとく眠っていた。
「ここが、ここが君の宇宙なのか……」
金之助は静かに枕元に座った。

『病牀六尺』を著し、鶏頭の十四五本もありぬべし糸瓜咲て痰のつまりし仏かな、と詠んだ鷄頭とヘチマのあった庭です。作者は、どうも漱石より子規への思いが強いようです。 →下巻へ

タグ:読書
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映画 団地(2016日) [日記 (2022)]

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 久々に映画。面白いのですが、どこが面白いかよく分からない映画です。大阪の団地に住む夫婦を巡る荒唐無稽な話、それだけなんですが、藤山直美、岸部一徳はじめ役者の絶妙の演技なのか、ストーリーなのか...。

 団地に住むヒナ子(藤山直美)、清治(岸部一徳)夫婦の話です。夫婦は、ひとり息子が交通事故で亡くなったことで漢方薬局を畳み団地に引っ越した様です。ヒナ子はスーパーのレジ係のパートタイマー、清治は毎日近所の雑木林で植物観察の日々。漢方が忘れられず薬剤原料を団地に持ち込んいます。この辺りは退職した年金生活者の典型的な姿です。夫婦を取り巻くのが、君子(大楠道代)、正三(石橋蓮司)夫婦他の団地の面々。団地の主婦が近所の噂話に興じ、バックに浜村淳のラジオ番組が流れ、これぞ大阪の団地!。大阪人なら千里ニュータウンの団地を思い浮かべます、監督の阪本順治は、団地は「時代に取り残された“昭和な空間”」だとインタビューで語っていますから『団地』は昭和の映画だと云えます。

 団地のありふれた日常に、ネクタイ姿の真城(斎藤工)が登場します(ネクタイ姿で登場するのは真城のみで逆に怪しい)。真城は清治の薬局の元常連客で、店が閉まったため漢方薬を求めて清治の元を訪れます。この日本の怪しい真城が映画の肝。
 清治は、団地の自治会会長に落選し落ち込んで床下収納庫に引き籠もります、押し入れではなく何で床下収納庫?。収納庫には漢方薬の材料が入っているからでしょうか。団地の住人たちは、2ヶ月も清治の姿を見かけないため、ヒナ子に殺され死体が部屋に隠されているのではないかと噂し始め、この辺りからドタバタコメディーの本領発揮となります。真城が”仲間”のために5,000人分の漢方薬を清治に依頼し、落ち込んだ清治は元気を取り戻し、夫婦揃って5,000人分の漢方薬の製造を始めることになります。
 真城とは何者なのか?、5,000人の”仲間”とは?。ラストのオチでこの映画のテーマが解明されます、ナルホド。

 「多忙な藤山さんのスケジュールが「2週間ほど空く」と聞きつけ、企画をにわかに立ち上げ、一気に自分でオリジナル脚本を書き上げたんですよ。」と阪本順治が語っていますが、2週間で制作されたんでしょうか。 舞台は、ほぼ団地とヒナ子と清治の住む部屋(セット)だけ。B級もここに極まった映画ですが、役者、脚本が揃うと面白い映画が作れると云う見本みたいなものです。

監督:阪本順治
出演:藤山直美、岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司

タグ:映画
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山本淳子 枕草子のたくらみ ⑤ 枕草子とは何か? (2017朝日新聞) [日記 (2022)]

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)  続きです、これが最終。

 和泉式部は敦道親王との恋の真実を世に問うため『和泉式部日記』を書き、紫式部は藤原道長の要請で彰子出産のルポルタージュ『紫式部日記』を書きます。では清少納言は何のために『枕草子』を書いたのか?。長徳事件のあおりで清少納言が引きこもり、定子が「慰めに何か書いてみれば」と紙を送ったことがキッカケで身辺雑記、随筆の『枕草子』が生まれます。定子の女房ですから、定子中心とした後宮の生活が描かれたわけです。

 定子は990年14歳で11歳の一条天皇に入内します。母・貴子に漢学の素養を仕込まれた定子は、学問好きの天皇との仲も良好だったようです。敦康親王を産み、1000年次女の出産で亡くなります、享年24歳。父親が藤原北家の筆頭・道隆で皇后に登り、順風満帆の筈だった人生は、18歳の時に道隆が亡くなり、兄と弟が長徳事件を起こし道長が台頭したことで暗転します。謀反人の家系となったのですから貴族社会での風当たりは強く、内裏を出て出家してしまいます。つまり皇后の地位から身を引いたのです。

 清少納言は993年に定子に出仕します(定子より10歳ほど年長)。定子は、漢学の素養があり、機知に富んだ清少納言がお気に入りだった様です(例えば「香炉峰の雪」など)。著者によると、定子と清少納言を中心に?定子の後宮は華やかな文化的サロンを形成していた様です。996年に長徳事件よって定子は内裏を去り、清少納言も道長派という噂が立ったため定子の元を去ります。この頃『枕草子』が書き始められたようです。自宅に引き籠もってヒマだった、定子の華やかな後宮を懐かしんだ、ということでしょう。草紙を記す紙(ノート、当時紙は貴重品)は以前に定子から貰ったものですから、『枕草子』は、定子を慰めるために彼女と後宮の女房を読者として書かれたものです。事実、『枕草子』は定子の元に届けられます。

 定子は次女の出産で命を落とし、清少納言も内裏を去り、翌年には藤原棟世と再婚しています。清少納言は定子没後も『枕草子』を書き継いだと考えられています。登場人物の官位からそれが伺われるそうです。枕草子』は、定子存命の間は定子を慰めるために、定子が没して後は定子鎮魂のために書かれたと云うのが著者の意見です、ナルホド。

 年表にすると、

990:定子入内
993: 清少納言、定子に仕える
995:道隆没、道長藤原氏の長者となる
996:長徳事件、定子出家
    清少納言『枕草子』の執筆を開始
997:定子内裏を出る
    清少納言復職
999:定子内裏に戻る、敦康親王を出産、彰子入内
1000:定子没
    清少納言内裏を去る(『枕草子』執筆を継続)

紫式部 vs. 清少納言、② 清少納言、引きこもる、③ 女房の勧め、④ 清少納言を取り巻く男たち、 ⑤ 枕草子とは何か? →この項、終わり。

タグ:読書
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絵日記 BBQ [日記 (2022)]

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 コロナも下火になったので、BBQしました。「一発着火の技」 →コレ大した技では無いのですが着火剤要らずのスグレモノ。確かに一発で炭に火が付きます。今回好評だったのが子供が始めたマシュマロ。ポテトチップスに挟んで食べる美味しいと云うのですが、オヤツですね。BBQも肉と野菜を焼くだけでは飽きてきたので、新しいレシピが要ります、次回課題。

タグ:絵日記
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山本淳子 枕草子のたくらみ ④ 清少納言を取り巻く男たち (2017朝日新聞) [日記 (2022)]

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)
 続きです。清少納言はけっこうモテたらしい。道長からも歌を贈られ(道長は清少納言のお気に入りと定子にからかわれている)、長徳事件で道長に寝返った藤原斉信も、引き籠もった清少納言の住まいを熱心に探すほど彼女に執心していた様で、彼女には藤原実方という恋人もいたらしい。枕草子には清少納言と関係深い男性、橘則光、藤原行成が登場します。

橘則光
 清少納言が10代の頃、最初に結婚した男性です。一子をもうけますが後に離婚(破綻)。清少納言は定子の後宮に出仕して間まもなく、蔵人(天皇の秘書官)として後宮に出入りする則光と再会します。

気まずい関係であったに違いないという気がするが、そうではなかった。二人は互いに「妹、兄」と呼び合い、さばさばした「きょうだい分」という新しい関係をスタートさせたのだ。二人のことは天皇をはじめ皆が承知で、則光は同僚や上司からまでも「兄」というあだ名で呼ばれた という。(第80段)

清少納言はこの頃の二人の在り方を、こう記しています、

かう語らい、かたみのうしろ見などする
(こうして親しく付き合い、お互いの助けとなり合った)
「語らひ」は男女の深い間柄を言う言葉なので、ここから清少納言と則光の仲は内裏で再燃したのだと推測する向きもある。

 二人の離婚にどういう経緯があったのか、性格の不一致?、則光の浮気(平安時代にあっては当たり前)などと想像してしまいますが、離婚しても互いに「妹、兄」と呼び合うという関係は不思議です。当時は、正妻という地位はあるものの一夫多妻ですから、婚姻による男女の結びつきは現代より緩い関係だったのではないかと想像します。何しろ、男が3夜連続して女の元に通えば結婚成立?ですから、通わなくなったら離婚というか破綻。離婚という概念も曖昧だったのでしょう(女性の財産は保証されていた様ですから、離婚しても困らない?)。正妻であれば北の対から実家に戻れば離婚。従って、清少納言と則光も、再会して気持ちが通じ合えば撚りが戻ってもそう不思議ではないのでしょう。則光も清少納言への手紙で、

便なき事など侍りとも、なほ契りきこえし方は忘れ給はで、よそにてはさぞと見給へとなひ思ふ
(不都合な事などがありましても、やっぱり昔のよしみは忘れないで下さい。よそでは今まで通り私を『元夫で今は兄貴の則光だ』と見てほしいと思います。)

「契った仲ではないか」と未練を残し、清少納言の方は、

 崩れ寄る  妹背の山のなかなれば  さらに吉野の 川とだに見じ
(私たち、山崩れでくっついてしまった妹背山の中のような仲だもの、川は堰かれて流れないわよね。私たちもそう。あの『古今集』の歌のような男女の仲ではもうないのよ。だから私は、もう決して「彼」とは見ないわ。よそだって、どこだって。)

甘えるな!というわけですw。清少納言は、何故こんな元夫婦の痴話喧嘩のような話を書いたのでしょうね。

藤原行成
 蔵人頭(天皇の秘書室長)若手官僚で、清少納言より6歳年下。天皇の使いとして定子の元を訪れ清少納言と親しくなります。

行成は)派手に見せたり言葉を飾ったりして風流面をすることはなく、ただありきたりの人のようにしているので、皆はそうとしか思っていない。でも私は彼がもっと深みのある人だと知っているので、「凡庸ではありません」など中宮様にも申している・・・彼は、いつも「『女は己を喜ぶ者のために化粧をする。士は己を理解してくれる者のために命を捧げる』と言うよね」と「史記』の好きな私に合わせて一節を引いて言って下さったりしていて、私が理解者だということをよくご存じだ。第130段

漢学を通じて清少納言は行成とウマが合う様で、時に深夜まで語り明かす関係となります。

つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、「今日は、残り多かる心地なむする。 夜をとほして、昔物語も聞こえ明かさむとせしを、鶏の声にもよほされてなむ」と、いみじう言多く書き給へる、いとめでたし。

翌朝、清少納言に行成から手紙が来ます。手紙が 役所の用紙だという辺りは行成と云う人物が想像されます。「名残惜しい」「昔話でもしたかったのに鶏の声にせきたてられて」と書くあたりは、後朝(きぬぎぬ)の別れ、男女の仲だったのかどう。彼女の返信は、

夜をこめて 鳥の空音 にはかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ

関所には番人がおりますのよ、そう簡単には会えません(男女の仲にはなれません)と。行成が返します、

逢坂は 人越えやすさ 関なれば  鳥鳴かぬにも あけて待つとか

逢坂の関は今はありませんから通行自由、別に鶏など鳴かずとも開いています。清少納言さんあなたも私を通してくれるのでしょう、と。これはもう恋の贈答歌です。著者は、

清少納言は行成とのエピソードを記すことで、職の御曹司転居後の定子に、中関白家文化とは別の、実のある力強い味方がいたことを示している。 彼を登場させたことには、明らかに政治的意図があると言ってよい。

「御曹司転居」とは、定子の兄弟が上皇を襲った長徳事件で彼女が内裏を去ったことを指します。著者によると、清少納言は、内裏を去っても定子には天皇の庇護があると言いたかったと云うのですが、私はモテたんだと云う自慢話に聞こえます。


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