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木内 昇 櫛挽道守(2013年 集英社) [日記(2019)]

櫛挽道守 (集英社文庫)  中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞・親鸞賞のトリプル受賞作です。
 幕末の中山道の宿駅、藪原で櫛を挽く女性・登瀬の物語です。幕末の木曽の宿駅を舞台にした小説というと、藤村の『夜明け前』があります。『夜明け前』は、尊皇攘夷(というか勤王)という時代のうねりの中で本陣の当主・青山半蔵が生きるの物語です。『櫛挽道守(くしびきちもり)』でも、幕末の政治状況が宿駅に落とす影がモチーフとなっていますが、主題は櫛職人・登瀬の女の半生です。時代が変転する中で「櫛を挽くのは男の仕事、磨くのが女の仕事」とされる因習を破り、女性が男性の職場に進出する物語です。これもやはり『夜明け前』ということができます。

 登瀬が作るのは「お六櫛」。女性が髪を梳かす櫛のことで、四寸ほどのミネバリの木に、百二十本ほどの細かい櫛の歯が並ぶ梳き櫛です。耕地面積の少ない宿場・藪原では、この櫛の生産が農民の副業となり、中山道で江戸に運ばれ「お六櫛」として流通します。登瀬は、名人と言われた父親吾助のもとで櫛挽の技術を習得し、父親も、長男が早世したこともあって登瀬を技術の後継者として育てます。登瀬は櫛を作ることに生き甲斐を感じ、女は家庭内の雑事をこなし、嫁して子をなすという当時の常識の外で生きようとしたことになります。嫁すこともなく櫛挽一筋の登瀬に対置されるのが、母親と妹の喜和。母親は嫁に行こうとしない登瀬に気を揉み、喜和は自分の婚期が遅れることに苛立ちます。喜和は祭礼で男を見つけ、男の子を宿して嫁します。因襲を破るこの姉妹は、時代の先端を走っていたのか、あるいは新しい時代が木曽の山中まで浸透してきたのかも知れません。

 お六櫛の流通を握るのは藪原の問屋。櫛職人は櫛の材料を問屋から買い、挽いた櫛を問屋に納め日々の米を購うという仕組みです。この問屋から登瀬に縁談が持ち込まれます。吾助はお六櫛の技継承のためこれを断ったため、一家は問屋から謂れのない差別を受け、宿場で浮いた存在となります。藪原の共同体原理を壊したため共同体から疎外されます。

 「いかず後家」への偏見、固陋な流通組織、偏狭な地域社会といういう三つ旧弊が出ました。これらが如何に解消されるか、登瀬が如何に立ち向かうかが後半の主題となり、実幸が登場します。実幸は奈良井の脇本陣の四男で、江戸で塗り櫛の職人となった人物。吾助の櫛挽きの業に憧れ弟子入りします。母親は、実幸を登瀬の婿養子となり跡継ぎのない一家を支えてくれることを期待し、その期待を感じ取った登瀬は、櫛挽の競争相手でもある実幸に異様な闘争心を燃やします。櫛挽きに飛び抜けた才能を持ち、出自と垢抜けた立ち振る舞いの実幸は白馬の王子というわけです。
 実幸はこの三つ旧弊を見事にひっくり返します。土産用の塗櫛を作って経済的基盤を確保し、自分の櫛に刻印を打ってブランドを確立し、問屋を通さず江戸、京大阪に販路を広げ、母親の希望通り入り婿となります。登瀬は妻となり母となり、櫛挽の職人として共同体に定着します。「夜明け前」の女の誕生です。

 ペリーの来航や桜田門外の変など幕末の政治トピックがストーリーの底流をなしています。『夜明け前』の青山半蔵は、豪農や商人の知識層に浸透していた平田派の国学を学んだ知識人です。その半蔵がペリーの来航や尊皇攘夷を語る分には違和感はありませんが、櫛職人という環境を考えると、登瀬や実幸に幕末の政治を語らせることには少し無理があります。和宮降嫁の行列、水戸天狗党の通過などで十分ではないかと思います。そうした時代のうねりは、中山道の宿場の生活にも及んだはずであり、それが人々の意識を変え、共同体の有り様を変え、櫛の流通を変えていったことでしょう。そうした変化を感じ取った登瀬が、旧時代の壁を突き破ったのか、新しい時代が登瀬に追いついたのか…。

 旅人が行き交い、和宮降嫁の行列、水戸天狗党が通った宿場を舞台に、女の命とも言うべき黒髪を梳く「櫛」を挽く登瀬をヒロインに、幕末から明治を生きた女の物語です。宮尾登美子の衣鉢を継ぐのは木内 昇かも知れません。

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映画 ヒッチコック 海外特派員(1940米) [日記(2019)]

海外特派員 [DVD] FRT-257  原題、Foreign Correspondent、ヒッチコックがアメリカに渡って制作した第二作目。ニューヨークの新聞記者が、第二次世界大戦前夜のヨーロッパでスパイ事件に巻き込まれる話です。アメリカに渡って間のないヒッチコックは、当時の複雑な国際情勢を背景に故郷ロンドンを舞台としてスパイミステリーを作ったことになります。

 主人公はNYの新聞記者のジョーンズ(ジョエル・マクリー)。海外特派員としてロンドンに赴任し、オランダの政治家、イギリスの平和運動家をめぐるナチスドイツの謀略に巻き込まれます。
 平和運動家フィッシャーのパーティーでフィッシャーの娘キャロル(ラレイン・デイ)と知り合い、ヒーロー、ヒロインが出揃います。ジョーンズは、オランダの政治家ヴァン・メアを取材するためアムステルダムに向かい、ヴァン・メアはジョーンズの眼の前で暗殺されます。「都合よく現れた」キャロルと新聞記者フォリオットと共に犯人を追い、(オランダですから)郊外の風車小屋に忍び込み、殺されたはずのヴァン・メアを発見します。ジョーンズは、暗殺されたのは替え玉でヴァン・メアは某国の諜報員に拉致され、国外に連れ去られる謀略を知ることになります。オランダは1939年にナチスの侵攻を受けていますから、この謀略の黒幕はナチスドイツということになります。

 事件に首を突っ込んだジョーンズは命を狙われることになります。ロンドンに戻るフェリーの上で、ジョーンズとキャロルのロマンスが生まれます。ロンドンに戻ったジョーンズは、フィッシャーの屋敷で風車小屋で見かけた誘拐犯のひとり(バビロニア大使館の外交官、架空)と出会ます。フィッシャーは誘拐犯と裏で繋がっており、ジョーンズがヴァン・メア誘拐を新聞に書くこと恐れ、殺し屋をさしむけます。

 ヴァン・メイはオランダが結んだ条約の密約条項を知る人物で、その密約条項を聞き出すために誘拐したのです。某国はこ秘密条項を理由にオランダに侵攻し、覇権を全ヨーロッパに及ぼそうという野心を持っているという設定。平和運動家が戦争を企む国に加担しているわけで、フィッシャーとはいったい何者なのか?。これだけで政治サスペンスとなるはずですが、映画ではサラッと流します。ヒッチコックが狙うのは、ハリウッドが期待するのは、あくまで海外特派員vs.スパイ組織の活劇とそれに付随するラブロマンスのエンターテインメントです。

 この謀略を暴くのが、何故かジョーンズではなく新聞記者のフォリオット。フィッシャーがヴァン・メアを拷問する現場を押さえ活劇を演じ警察に通報します。フィッシャーは、自分の諜報が戦争を引き起こすことを知っていますからアメリカ亡命を企てます。このアメリカ亡命は、ハリウッドに移ったヒッチコックを連想させます。フィッシャーとキャロルの乗った旅客機(何故かジョーンズとフォリオットが同乗)はドイツの戦艦の対空砲火を受けて墜落。フィッシャーは、自分の国籍は英国ではなく自らの行動は祖国のための戦いあったことをキャロルに伝えます。これはヒッチコックのアメリカ行きの言い訳でしょう。フィッシャーはそれを後悔していると言い、ヒッチコックの言い訳は続きます。乗客は墜落した飛行機の主翼に乗って漂流し、定員オーバーとなった為フィッシャーは自らを犠牲にしますが、これはヒッチコックの懺悔でしょうか。

 Wikipediaによると、ヒッチコックはハリウッド入りするに当って、イギリス保守党から反ナチスのプロパガンダ映画を作るように指示を受けていたそうです。ヒッチコックは反ナチスのプロデュサーのウェンジャー(駅馬車のプロデュサー)と組んで『海外特派員』を制作したといいます。ナチスの宣伝相ゲッペルスは、この映画は最高のプロパガンダ映画だと言ったとか。ゲッペルスのお墨付きですから、『海外特派員』は名作と言えるかも知れませんが、斜めから見るとヒッチコックの「言い訳」映画だと思います。

監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ジョエル・マクリー ラレイン・デイ

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丹波の黒豆 [日記(2019)]

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 ビールのアテにはこれです!

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映画 ヒッチコック バルカン超特急(1938英) [日記(2019)]

バルカン超特急 [DVD] FRT-035  原題はThe Lady Vanishes、消えた婦人。パンドリカからロンドンに至る国際列車の中で老婦人が消える話です。ハンドリカなどという国はありませんが、この国がバルカン半島にでもあったと想定して邦題は『バルカン超特急』。
 ヒッチコックは1939年にハリウッドに招かれ、以後のすべて制作国はアメリカで、イギリスで制作した最後の(ではないですが)ヒッチコック作品となります。1938年はナチスがオーストリアを併合した年で、翌1939年にはポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まります。ヒッチコックは第二次世界大戦前夜にアメリカに渡り、大戦中に『レベッカ』『疑惑の影』『逃走迷路』などの名作を手掛けます。イギリスにいればとても映画どころではなかったでしょうから、大戦を見越してアメリカに行ったのかもしれません。『バルカン超特急』は、この第二次世界大戦前夜のヨーロッパを映した映画です。

 雪崩でバルカン超特急が立ち往生、乗客はホテルで一泊することになります。結婚を控えて最後の自由を満喫するアメリカ人のアイリス(マーガレット・ロックウッド)、クリケット試合に熱心なイギリス男性、音楽教師のイギリス婦人、国籍不明の音楽家、等々雑多な人々がホテルで一夜を明かします。イギリス婦人は窓辺でギター弾きの歌を聞き、唐突にこのギター弾きは殺されます。ラスト近くで謎解きがありますが、この歌が映画の重要な小道具。除雪が終わった翌朝、様々な国籍の乗客を乗せてバルカン超特急は発車します。駅で、アイリスは落ちてきた植木鉢が頭に辺り昏迷。「取って付けたような」植木鉢事件もプロットの構成要素。

 アイリスとイギリス夫人はコンパーメントで顔を合わせ、食堂車でお茶を呑み、夫人はフロイ(メイ・ウィッティ)と名乗ります。このフロイが走る列車から煙の如く消え去ります。アイリスは、ホテルで知り合った音楽家のギルバート(マイケル・レッドグレイヴ)とともにフロイを探しますが、コンパートメントの乗客はイギリス婦人など最初からいなかったと証言。食堂車のボーイも紅茶の伝票を見せて一人でお茶を飲んだと主張し、乗り合わせた脳外科医は植木鉢が頭に当ったためだと診断します。イギリス人、イタリア人、ドイツ人などの乗る国際色豊かな特急列車、走る列車という密室で人ひとりがどうやって消えたのか?、何故消えたのか?、乗客たちは何故嘘をついたのか?というミステリーです。

 アイリスと観客はフロイの実在を知っていますから、コンパートメントの乗客やボーイは嘘をついていることになります。外科医は、町の病院で手術をするため途中の駅で患者を乗せます。この患者は顔も分からないほど包帯でグルグル巻、付添いのシスターは聾唖でしかもハイヒールという怪しさ満点。これは、患者とフロイをすり替えて誘拐しようという魂胆、怪しいのは外科医だ!とアイリス、ギルバートはもちろん観客も推理するわけです。そもそもフロイとは何者なのか?。外科医はフロイを秘密裏に拉致する作戦に加わり、コンパートメントの乗客やボーイもフロイ消失に一役買っていたわけのです。アイリス、ギルバートに救出されたフロイは自らがイギリスのスパイであり、情報を本国に伝える途中でパンドリカ国の官憲に捕まったことを告白します。その情報を音楽旋律でギルバートに伝え列車から逃亡します。ホテルで殺されたギター弾きもスパイで、歌でフロイに情報を伝えたわけです。音楽がスパイの情報戦の手段となるプロットは、斬新と言えば斬新。

 フロイ拉致に現れた軍人はどう見てもナチス、乗る車もベンツに似ています。ということは、パンドリカ国とはドイツのこと?。『バルカン超特急』は、イギリスとドイツの諜報戦ということになります。この後、列車切り離し、銃撃戦などがありますが、アクション慣れCG馴れした観客にはモノ足りません。面白いかというと、ヒッチコックといえど80年前の映画ですから古さは否めません。モノ足りませんが、1938年の国際情勢を考え合わせると、何やら違って見えてきます。

監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:マーガレット・ロックウッド マイケル・レッドグレイヴ  

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映画 ヒッチコック パラダイン夫人の恋 (1947米) [日記(2019)]

  パラダイン夫人の恋 [DVD] ヒッチコックのモノクロです。原題:The Paradine Case。caseは訴訟、事件という意味ですが、『パラダイン事件』より邦題の『パラダイン夫人の恋』の方が映画の内容を適確に表しています。

 舞台は1946年のロンドン。弁護士のキーン(グレゴリー・ペック)は、パラダイン大佐毒殺容疑で起訴された夫人を弁護することとなります。キーンは美貌のパラダイン夫人(アリダ・ヴァリ)に一目惚れし、夫人の無実を証明するために奔走し始めます。この手の映画では、美貌のヒロインが殺人犯ということはマズありませんから、誰だって弁護士がパラダイン夫人の無実を晴らすサスペンスと考えます。これが落とし穴。
 キーンは愛妻のゲイ(アン・トッド)と結婚11年目で、結婚記念日にイタリア旅行に行こうと相談していまいます。倦怠期の弁護士が依頼人に惚れ、それを感じ取った妻がこれを克服しようというのがこの映画のサイドストーリーです。面白いのは、判事(チャールズ・ロートン)がゲイに不倫を持ちかけるシーン。リズは軽くいなしますが、ストリーの進行と無関係なこうしたシーンが挟まれることこそが、この映画の本質を表していると思われます。婦人の弁護で妻との関係がギクシャクしてきたことに気づいたキーンは、弁護を降りようとしますが、はゲイは反対しキーンを励まします。

 キーンは、歳の離れた盲目のパラダイン大佐と結婚した夫人の過去を知りたがります。美貌の若い女性が年配の、しかも盲目の男性と結婚したわけですから、結婚は遺産目当てと考えるのが普通。パラダイン夫人の美貌に眼の眩んだキースは、夫人の無実を疑わないわけです。弁護のためにはあなたの過去を知必要があると夫人に持ちかけますが、夫人は語りません。キースはパラダイン大佐の館を訪れますが、これも夫人を知りたいためです。館でキースは大佐の使用人ラトゥール(ルイ・ジュールダン)と出会います。映画ではラトゥールの顔を影で隠し、こいつが犯人だ!と言わんばかり。その夜、ラトゥールはキースの宿に現れ、パラダイン夫人は悪魔のような女だと告げます。夫人とラツゥールの間には何がある?謎は深まるばかり。大佐を殺したのはラトゥールでパラダイン夫人は無実という描写で映画は進行します。

 裁判が始まり、判事はキースの妻を口説いたチャールズ・ロートン。検事、弁護士、判事の駆け引きが始まり、検事はラトゥールを証人に呼び、弁護士はパラダイン夫人を証人に召喚します。キーンとパラダイン夫人がメインキャストですから、キースがラトゥールの犯罪を暴き、夫人の無罪を勝ち取ってメデタシで終わるはずですが、そうはなりません。ヒッチコックが用意したのは、夫人が有罪となってキースは裁判に破れ、妻の元に帰る結末です。この結末を面白いと見るかどうか。

 ヒッチコックの妻アルマ・レヴィルは脚本家、編集者としてヒッチコックの映画を支えるパートナー。ヒッチコックは金髪フェチで女優にセクハラするマザコンで、『ヒッチコック(2012)』では妻の浮気を疑い嫉妬の炎を燃やす人物として描かれています。すべてをお見通しの妻アルマが怖いヒッチコックは、『パラダイン夫人の恋』でキースと夫人の恋を成就させる勇気がなく、妻の元に帰る結末しか描けなかったわけです。タイトルをつけるすれば「弁護士キースの恋」、裏の題は「ヒッチコックの恋」です。
 と考えると、ヒッチコックの中ではマイナーなこの映画もけっこう楽しめます。ヒッチコックの映画は斜めから見ると面白い映画が多いです。

監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:グレゴリー・ペック、アリダ・ヴァリ、ルイ・ジュールダン

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木内 昇 漂砂のうたう(2010集英社) [日記(2019)]

漂砂のうたう (集英社文庫)  第144回直木賞受賞作です。御一新から九年、新政府は地租改正、徴兵令などで近代国家の衣を纏おうとしますが、東京市民は未だ江戸時代を生きている頃の物語です。根津の遊郭・美仙楼を舞台に、立番(客引き)の定九郎を主人公に「廓」に生きる人々が描かれます。
 定九郎は上野の墓地で三味線の音を耳にします。音に近づくと、首から上の無い男が

ねェお願いだよォ。こん中のどこかにアタシの首ィ埋まってるはずなんだ。戦で吹っ飛ばされちまった首がさあ。どうか、一緒に、探しておくれよォ

 腰の抜けた定九郎に、カランコロン カランコロン と駒下駄の音が近づき、嫌だようォ、お兄さん。ちょいと起きてくださいくださいよォ。アタシですよ。ポン太ですよ。上野の山に近い根津ですから、「彰義隊」の亡霊が出ても不思議ではありません。

ほんの十年前まではさ、怪しいものを見るとね、おお怖い、なんだありゃ幽霊じゃないか、それとも狐かえ、天狗かえなんてことをォ言ったもんですよ。ところが昨今じゃ、ちょいと変なものを見たって言やァ・・・あァそいつは神経だ・・・幽霊なんざ、はなからこの世にいねえェんだから、おまえの頭がいかれっちまてるんだよ、ってさァ。

 近代化は人の心から幽霊を奪ったことになります。ポン太を見て腰を抜かした定九郎は、近代化とは無縁の人間ということになります。
 定九郎の情人、常磐津の師匠が川を流れるウサギの話を定九郎にします。明治六年に新政府は太陽暦を公布し、太陰暦が廃止されたため、月の兎を哀れんだ人々の間に兎を飼うことが流行ったそうです。兎一羽が百円二百円に高騰し、政府は兎一羽に1円の税金をかけたため兎は川に流されたというオチ。

これからはね 、古いもんにしがみついている奴は、切って捨てられるんだって

 新政府は明治6年に「内務省」をつくり国内の安寧と人民の保護を謳いますが、定九郎は、

誰も保護できず、自由も民に訪れはしない。米価はやみくもに上がり、農民たちが一揆を起こし、士族は職と家禄と矜持を奪われ暴動に走り(不平士族の乱)、貧民は貧民のままだ。

 身分制度は廃され、職業選択の自由が保証され、明治5年には芸娼妓解放令まで出ますが、厳然と遊郭は存在し、元御家人の次男で没落氏族の定九郎は郭の立番で遊客に声をかけます。定九郎には、「あやかし」を信じ、新時代の落ちこぼれという「江戸」のキャラクターが与えられ、『漂砂のうたう』が始まります。

 定九郎を中心に、三遊亭圓朝の弟子で前座の噺家・ポン太、妓夫・龍造、廓の下働きの嘉吉、賭場の管理人・山公、遊郭・美仙楼のお職・小野菊など多彩な人物が登場します。龍造は、ひと目で遊客の素性を見抜き、値踏みして相応しい相方まで見繕う立番。嘉吉は、『学問のすゝめ』を読んで廓からの脱出を夢見、長州人の山公は西南戦争の勃発を聞くや鹿児島を目指します。小野菊は、大身の商人の身請け話を断り、遊女の誇りを賭けて「花魁道中」を企てます。

 「あやあかし」が消え「自由と平等」が空回りする時代を背景に、彼等「漂砂」が「うたう」わけです。ハイライトは、小野菊の「花魁道中」。ポン太が筋書きを書き、定九郎が仕掛け、三遊亭圓朝の怪談『鏡ヶ池操松影』の「あやかし」に乗って小野菊は「自由」へ跳躍します。

 「漂砂」とは何か?。ポン太の解説によると

どんなにシンとしたとこでもね、動いているものは必ずあるんですよ。海だの川だのでもさ、水底に積もっている砂粒は一時たりとも休まないの・・・何万粒って砂がねェ・・・静かに静かーに動いていっているんだねェ・・・そうやって海岸や河岸を削っていくんだねェ。水面はさ、いっつもきれいだけどなんにも残さず移り変わっちまうでしょう。でも水底で砂粒はねェ、しっかり跡を刻んでるんだねェ。

 物語に登場する定九郎やポン太たちを指していることになります。そんなちっぽけな砂粒が川の流れを変え、砂州をつくるわけです。遊郭、圓朝の怪談噺など江戸情緒を背景に、明治維新に生きる東京庶民の姿が描かれます。

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木内 昇 地虫鳴く 新選組 裏表録(2010集英社) [日記(2019)]

新選組裏表録 地虫鳴く (集英社文庫)
新選組 幕末の青嵐』の視点を変えた続編に当たります。
 「新選組」は、池田屋事件(1864)の前と後で大きく変わります。長州の京都焼き討ちを未然に阻止した功によって、幕府、会津藩から感状と200両の報奨金を得、隊士を拡充して屯所を西本願寺に移し、名実とも京都の治安を握ります。新選組内部では、近藤の独断専行と人斬り集団化に異を唱える永倉、斉藤、原田など試衛館以来の古参隊員よる造反(非行五箇条を会津藩に提出)、伊東甲子太郎の入隊、翌年には山南敬助の切腹などがあり、組織拡大に伴う求心力低下に見舞われます。
 『地虫鳴く』は、この後期新選組を背景に土方vs.伊東の権力闘争が描かれます。新選組創設から池田屋事件に至る経緯は勃興期、成熟期は書き尽くされた感があります。池田屋事件以降は、新選組の分裂、伊東甲子太郎暗殺、鳥羽伏見の戦いに至る崩壊期みあたります。この崩壊期を、御陵衛士を創り組織を割った新選組参謀・伊東甲子太郎、副長助勤で会津まで転戦する尾形俊太郎、天性の諜者の監察・山崎丞、御陵衛士に入り墨染で近藤を射撃する阿部十郎、伊東派の重鎮篠原泰之進など脇役の眼から描きます。『地虫鳴く』の「地虫」とは土中に住む昆虫の幼虫のことで、「秋の夜、土中、何とも知れぬ虫が鳴いている」(広辞苑)という秋の季語だそうです。新選組の無名隊士(でもないですが)を地虫に例えたものです。よって『新選組・裏表録』です。

 伊東甲子太郎は、水戸学を学び勤王思想の洗礼を受けていますから、尊王攘夷で公武合体論の新選組とは路線が異なります。後ろ楯の無い伊東は、新選組を乗っ取って勤王に切り替え世に出ようとします。思想好きの近藤ひとりなら可能だったはずですが、主義思想などどうでよく、新選組=近藤を世に出すことだけを考える土方に阻まれます。新選組乗っ取りが無理だと考えた伊東は、孝明天皇の崩御を利用し、孝明天皇の陵墓を護る「御陵衛士」という組織を幕府に認めさせ、この組織を背景に薩長と結んで勤王運動を展開します。
 この新選組分裂を、尾形俊太郎山崎烝、篠原泰之進、阿部十郎等に語らせます。

 山崎烝の書きっぷりは面白いです。司馬遼太郎の小説などでは、山崎は古高俊太郎の存在を嗅ぎつけて池田屋事件の端緒を作り、事件当日は薬屋に変装して潜入し、志士達の刀を始末したということになっています。
 第二次幕長戦争の諜報から山崎が帰り、近藤、土方、尾形の三人は山崎の報告を聞きます。近藤は、

「俺はこの新選組を残さねばならねぇんだ。ここには百人を超える隊士がいる。そいつらを確実に生きさせる方策を知りてぇんだ」
山崎はペロッと人差し指を舐め、それで眉間を圧した。思案の仕草らしい。
「まぁ、そうですな。一番確実なのは薩長につくこですわ」

近藤は烈火の如く怒ります。

「これからの世はな、体面保とうとしたら勝てまへんて。義侠心も不要です。筋を通すのもあきまへん・・・そやからまあ、今までと同じようにやったらええんちゃいますか
せやし、利を見て動くなぞ、そないな器用なこと、ここにおる人たちにはでけへんでしょう。万全を尽くしたらあとは勝ち負け考えず、どーんと己のやり方を貫くゆうのもええもんでっせ」

 不逞浪士として勤王の志士を斬ってきた新選組が、薩長と手を結べる筈はありません。この不可能を可能にしてみせたのが伊東です。伊東は暗殺されて結果的に野望は潰えますが、生き残っていれば新政府でそれなりの位置を占めたでしょう(大正7年に従五位贈位)。新選組が「薩長につく」という奇策は、動乱期ならではのことです。
 伊東は、御陵衛士を薩長の動向を探るための新選組の別働諜報組織と偽り、土方は伊東の裏切りを承知のうえで脱退を認め、薩長情報を得るため斎藤一をスパイとして潜り込ませます。斉藤から御陵衛士の近藤暗殺計画がもたらされ、気勢を先して土方は伊東を暗殺します。のこの辺りは、池田屋事件に匹敵する、諜報という意味では池田屋以上の「新選組」の見せ場でしょう。

 近藤も伊東も町道場の道場主で、西郷、大久保、木戸等が藩という後ろ盾の元で活動したのに比べ、二人には何の後ろ楯もありません。近藤は浪士隊に参加し、芹沢鴨を粛清してこれを乗っ取り、新選組をバックに今日の地位を築き上げます。伊東は、新選組に入隊し、新選組を乗っ取って勤王の志を遂げようとして失敗し、御陵衛士を組織してこれを後ろ盾に世に出ようと図ります。身分制度が崩れ、農民や浪人が武士となって打って出るには、当時の流行思想、尊皇攘夷、勤王の組織を作り、その組織を幕府なり雄藩に認めてもらうしか方法が無かったわけです。篠原が中岡慎太郎と出会う場面で、篠原は第三の道があったことを知ります、

都落ちした五卿を守りながら、京と筑前を行き来し、また薩摩の西郷や長州の桂と談じ、二藩を結びつけた。徒党を組まずにほとんど個人で、それをしたのである。・・・
陸援隊は、土佐藩からの許しを得て結成したものだという。思うところに従ってなんの後ろ楯もなく、誰に従うわけでもなく、ひとりで奔走し続け、その実績を持って脱藩の咎まで鮮やかに払拭した。藩主に頼りとされ、一軍を率いるまでになった。ひとりで立つというのはきっと、こういうことだ。

 伊東への違和感が中岡に会うことで明確に自覚されたことになります。

 伊東は新選組によって油小路で暗殺され御陵衛士は潰れ、新選組は鳥羽伏見の戦いで破れ崩壊の道を辿ります。作者は、伊東甲子太郎という視点を導入することで、新しい新選組の物語を作ったことになります。

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映画 ブリムストーン(2016蘭英独仏米ベルギー、スエーデン) [日記(2019)]

ブリムストーン [DVD]  開拓時代のアメリカ、リズ(エリザベス)の苦難の物語。導入部でリズの現在が説明され、その過去、さらに少女時代に遡って描かれ、現在に戻ってカタストロフィに至るという4部構成です。

第1章 啓示:黙示録
 たぶん18世紀のアメリカ開拓地。助産婦のリズ(ダコタ・ファニング)は、教会で産気づいた妊婦の出産を介助し、子供を助けるか母親を助けるかの選択を迫られ、母親を助けます。リズは聞こえるが話せないという障害を持ち、会話は手話で幼い娘が通訳。教会は開拓地の核であり、牧師(ガイ・ピアース)は精神世界の王として開拓民を支配しています。牧師は、母親が生きるか子供が生きるかは神の意思であり、リズが決めることではないと言い放ちます。牧師とリズには因縁があるようで、ふたりの過去が謎1として提出されます。
 子供を失った父親はリズに復讐するため、家に火をつけリズの夫を撃ち殺し、リズと息子、娘の三人は夫の実家を目指すことになります。

第2章 脱出:出エジプト記
 荒野を彷徨う少女ジョアナ(エミリア・ジョーンズ)が登場し、中国人一家に拾われ娼館(売春宿)に売られます(リズは何処へ行った?)。この売春宿は西部劇でよくあるsaloonの雰囲気でよくできています。立派?な娼婦に成長したジョアナのエミリア・ジョーンズは、ダコタ・ファニングに交代、第1章のリズはこのジョアナだったことになります(やっと第1章と繋がった)。ジョアナは何故リズと名乗る様になったのか?謎2、第1章で喋れないジョアナはここでは普通に会話ができていますから、何故ジョアナは話せないという障害を負ったのか?謎3
 売春婦エリザベス(リズ)が登場します。キスを拒むエリザベスは、キスを強要した客の舌を噛み切り、罰として舌を切り取られます。エリザベスは、結婚仲介所を通じ妻を亡くした地方の寡夫と婚約します。
 娼館に牧師が登場し、娼婦全員を買い切るという豪遊となりジョアナを指名します(リズと牧師の因縁はここにあったのか!)。清貧のはずの牧師が何故は売春宿を借り切ることができたのか?謎4。牧師はジョアナを探していたと言い(つまりジョアナと牧師は以前からの知り合い、謎5)、単なる欲情にも宗教的理屈を付け、ジョアンナを救済すると彼女に迫るわけです。「天国からも拒まれている、共に地獄の業火で清められよう」などど勝手な言い分。牧師は、拒んだジョアンナをベルトで打ち据え、仲裁に入ったエリザベスを刺殺します。この時エリザベスは牧師の顔面を斬ります。第1章で登場した牧師も顔面に傷がありましたから、この時の傷だったわけです。ジョアナは牧師の喉を切り裂き、売春宿に火を放って逃げます。ジョアナは自ら舌を切ってエリザベスになりすまし、婚約者の寡夫の元を訪れます。謎2、謎3が解かれたことになります。

第3章 起源:創世記
 第3章は、時制でいうと第2章のさらに過去、ジョアナの少女時代です。この章で、牧師とジョアナは父娘の関係であることが明かされます(謎5の解)。ということは、第2章では父親が娘に迫ったことになります。開拓民にキリストの福音を説く牧師は、家庭にあっては家族に嫌われています(よくある話)。妻に迫って拒否され、罰を与えるとムチで打ち据え、口答え出来ないように妻に鉄のマスクを付けます。女性蔑視というより、これはもう歪んだ支配と情欲の世界です。妻に拒まれると、パウロがナントカ言っていると聖書の勝手な解釈で、牧師の欲望は何と娘に向かいます。この牧師の説くキリスト教の胡散臭さは極めつけ。ジョアナの自室の壁にボッシュ風の絵(快楽の園)が掛けられていますが、これも宗教(教会)と快楽(現世利益)の表裏を現したものでしょう。ボッシュもこの映画の監督もともにオランダ出身で、牧師一家はオランダ移民。関連があるのか無いのか?。

 ちなみにこの妻を演じるのが、『ゲーム・オブ・スローンズ』の赤の魔女カリス・ファン・ハウテン。冒頭で金鉱掘りの荒くれ者が仲間割れを起こすシーンが登場しますが、男の一人も『ゲーム・オブ・スローンズ』のキット・ハリントン(ジョン・スノウ役)。この男はジョアナに豚小屋に匿われ、牧師の妻子虐待の観察者、牧師とキリスト教の断罪者となります。右の頬を打たれたら左の頬を出せ、という聖書の言葉は支配被支配の関係なんだ、お前は支配されたいのかとジョアナを励ましますが、中途半端なこの男は、ジョアナを助けようとして牧師に殺され、牧師は男から奪った砂金で娼館で豪遊します(謎4の解)。
 この映画にはキリスト教への呪詛が満ち、それを一身に背負うのが牧師です。ジョアナは牧師の毒牙にかかり開拓地から逃亡し、第2章の冒頭に繋がります。

第4章 報復:審判
 第1章の続きに戻ります。牧師は、ジョアナ=リズを追い詰めジョアナの義父を殺し、ジョアナの娘=孫を鞭打ち、結局ジョアナに焼き殺されます。これで、抑圧され虐待された18世紀の開拓地の娘は開放されたのかというと、さらなる災難に見舞われます。ジョアナが生き延びたのかどうかは?。

 牧師、教会、宗教の欺瞞、男性優位の世界で生きねばならなかった女性の苦難の物語りということなんでしょう。第1章、第2章で繰り返される牧師の言葉、「偽に預言者を警戒せよ 羊の皮をまとい現れるが その内側は強欲なオオカミだ」これに尽きます。牧師には名前が与えられていません、アノニマスです。
 アメリカの開拓時代+教会というと、セイラム魔女裁判を扱った『クルーシブル』を連想します。中世と近代が混沌となったこの時代は魅力的、ホラーではありませんが似ていなくもないです。

監督・脚本:マルティン・コールホーベン
出演:ダコタ・ファニング、ガイ・ピアース、エミリア・ジョーンズ、カリス・ファン・ハウテン、キット・ハリントン

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映画 昔々、アナトリアで(2011トルコ ボスニア・ヘルツェゴビナ) [日記(2019)]

昔々、アナトリアで [DVD]  分かり辛い映画です、しかも160分弱の長尺。2011年のカンヌ審査員特別グランプリ、『雪の轍』で2014年カンヌパルムドール受賞のトルコの映画です。

 警察が容疑者を連れ、検事、検視医とともに死体を探す、それだけの話です。容疑者の曖昧な供述で埋められた場所は容易に発見できず、夜のアナトリア(トルコ)の丘陵をあちこち移動します。警官たちのとりとめもないおしゃべり、検事と検視医の世間話も焦点を結ばず、そもそもこの映画にストーリーがあるのかと疑いたくなります。会話を補って余りあるのが、ヘッドライトに照らされるアナトリアの夜の丘陵と、その広大な自然の中で死体捜索という俗事に振り回される人間のおかし、矮小さ。

 はかどらない捜索のなかで、苛立つ警部、死体が発見されないため手持ち無沙汰の検事と検視医、三者三様の人物像が明らかになります。
 警察に20年勤めた警部は、病気の子供と煩い女房を抱え、家族と過ごすより仕事をしているの方が心が休まると愚痴ります。検事は、死期を予言し子供を出産後予言通り死んだ友人の妻のエピソードを語ります。映画の進行とともに、この女性は検事の妻でありその死は自殺であることが明かされます。検視医は、子供は無く離婚した過去を明かします。

 妻子のいる家庭から仕事に逃げる男、浮気のため子供を残して妻に自殺された男、子供を持ちたくなかったため妻に去られた男。殺人容疑者は殺した男の子供は自分の子であることを警部に打ち明けます。

 死体は見つからず、一行は近くの村で食事を取ることになり、村長の家を訪れます。村長は、息子、娘がそれぞれ成長して自立し、末娘だけが家にいることを問わず語りに語ります。強風のため停電が起き、闇の中からランプに照らされたこの末娘が登場するシーンが映画のクライマックス。娘の美しさに警部、検事、検視医たちは息を呑み、容疑者は何故か涙を流します。容疑者は、村長の家で飲食する一行の中に、自分が殺した男の幻を見ますから、涙は宗教的体験からくるものだったのでしょう。容疑者の弟は、殺したのは自分だと呟きますが、聞こえなかったのか誰も取り上げません。誰が殺したのか何故殺したのか、一切明かされません。この映画にとってはどうでもいいことなのです。
 アナトリアの雄大な自然の中で、様々な家族、夫婦、親子の関係が示されます。一番身近な人間関係です。村長、警部、検事と検死医とある意味で知的上昇、ムラから都会へと近づくと、その関係性は壊れるということなのでしょうか。容疑者もまた街の住人です。そして聖母マリア(イスラム教にもある)が現れる?宗教的体験は街ではなくムラで起きるということなのでしょう。
アナトリア.jpg アナトリア2.jpg
 死体が発見され、検視のため死体を街の病院に運びます。病院には被害者の妻と子供が待っています。子供は容疑者に石を投げ、無実の容疑者は実の子供に石をぶつけられたことになります。母親はこの情景をどう見たのか?。また一つ家族の形が示されます。

 検視解剖が行われます。検視医は死体の気道と肺に土を見つけ、被害者は生きたまま埋められたことが疑われます。検視医は「気道と肺に異常を認められず」と検視報告書に書き入れます。生き埋めという残酷な事実を隠したことになります、被害者の妻のためか、子供のためか、容疑者のためか。
 検視医が、病院から去ってゆく被害者の妻と子供の姿を窓から眺めるシーンで、幕。

 と考えて再度観ると、難解、冗長だと思ったこの映画も腑に落ちます。名画かも知れません。

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ムハンメト・ウズンエル イルマズ・アルドアン タネル・ビルセル フィラット・タニス

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