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映画 死の谷間 (2015 米、スイス、アイスランド、ニュージーランド) [日記 (2021)]

死の谷間 ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]  原題は”Z for Zachariah”、「ザカリアのZ」。ザガリアって何?、検索すると聖書に登場するユダヤ教の司祭、預言者で「洗礼者ヨハネ」の父親だそうで妻エリサベトとともにキリスト教に聖人です。

 放射能に汚染され人類が滅亡した世界の話で、よくあるデストピア映画。世界は放射能で死に絶えていますが、ヒロインの住む「谷間」だけは汚染を免れ清浄な水と空気と自然が残っているという設定です。これでは「死の谷間」ではなく楽園ではないのか?。聖書で楽園といえば「エデンの園」です。

 このエデンの園で、若い女性アン(マーゴット・ロビー)がひとりで農作物を育て狩りをし魚を獲って自給自足の生活をしています。汚染された世界の映像は一切ありませんから、「死の谷間」は楽園そのもの。その楽園に黒人のジョンが闖入します、『それでも夜は明ける』のキウェテル・イジョフォーです。アンは、放射能で息も絶え絶えのジョンを自宅に連れ帰り看病し、ジョンは谷間の住人となります。長い間ひとりで暮らして来たアンは、ジョンにモーションをかけますがジョンは何が障害となっているのかなかなか「なびき」ません。
 モヤモヤの積もるアンとつれないジョンの前に、ケイレブ(クリス・パイン)が現れます。若い白人女性、黒人男性、イケメンの白人青年の3人を隔絶された環境に置けばどうなるのか?、大体ストーリーは読めます。アン巡ってジョンとケイレブのバトル?...。

 死の谷間を「エデンの園」とすれば、アン=イヴであり、ジョンとケイレブのどちらかがアダムか蛇。イヴは蛇に誘惑され知恵の実(禁断の果実)を食べますから、どう見てもイケメンのケイレブが蛇。映画でもアンはケイレブの差し出す「禁断の果実」を食べます(つまりジョンがアダム)。イヴに促されてアダムもまた禁断の果実を食べ、ふたりは「原罪」を負って楽園を追放されるわけです。ヘビは何処へ行ったのか?、という宗教風サスペンス映画です。ジョンはアンの誘惑を退けますが、禁断の果実を食べることを恐れたのだと考えると辻褄があってきます →結局食べますがw。

5.jpg ウィリアム・ブレイク

 タイトルの”Z for Zachariah”に戻ります。 wikipediaによると、天使が長い間子供が生まれなかったザガリアにヨハネの誕生とその将来(イエスに洗礼を与えること)を予言します。ザガリアはこれを信じなかったため、ヨハネが誕生するまで口がきけなくなります。エリサベトがヨハネを産み、この子の名前は?と聞かれたザガリヤはヨハネだと文字に書くと、ザカリアは口が利けるようになった、・・・ユダヤの神とイエスをヨイショする話です。
 ヨハネはイエスに洗礼を与えますからキリスト教の生みの親。ザガリアとエリサベトからヨハネが生まれますから、アン=イヴ=エリサベス、ジョン=アダム=ザガリアとなります。Zはアルファベットの最後の文字と考え、Z for Zachariahとは「ザガリアの末裔」という意味だとするなら、この映画はアダムとイヴの楽園追放とキリスト教の誕生(洗礼者ヨハネの誕生)を重ね合わせていることになります。つまり「原罪」の誕生でもあるわけです。
 映画そのものより、アンとジョン、ケイレブのその後を想像する方が楽しいという映画ですw。

監督:クレイグ・ゾベル
出演:マーゴット・ロビー キウェテル・イジョフォー クリス・パイン

タグ:映画
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絵日記 アシナガバチ (2) [日記 (2021)]

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6/29                 7/27
 こっちの続きです。1ヶ月で巣が大きくなりました。ベランダに出ると、狩から帰ってくるハチとよく出くわしましますが、人間を気にも掛けていない様子。悪さもしないし、アシナガバチは益虫らしいのでこのまま「飼ってやる」ことにしますw。ベランダの側の柿に付く毛虫も、今年は心なしか少ない?。
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タグ:絵日記
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ポケモン・キーボード(1) [日記 (2021)]

1.jpg ポケモン.jpg
 今更なんですがポケモン・キーボードを引っ張り出してきました。ノートPC持ち歩くよりスマホ+キーボードの方が軽くていいんじゃないかと。「ポケモン・キーボード」は2011年発売のニンテンドーDS用キーボード、骨董品ですw(未だにamazonにあります)。文章を書くにはソフト・キーボードは鬱陶しい、やはりハード・キーボードを使った方が言葉がスムーズに出てきます(肩も凝らないしw)。久々に使ったので接続できない →昔のblog記事を参照、blogは備忘録としても便利です。

使い勝手(POBoxの場合)
 アルファベットと数字は問題ないのですが、記号入力はけっこう癖があります。よく使う“「”は →@キー、“」”は →{キーと、キー表示からズレています。ちなみに@はshift+2となります。「かっこ」と入力してその都度必要な記号を選ぶ方が速いです。同様に「アットマーク」「イコール」「スラッシュ」ですw。
 かな・英字の切り替えは半角/全角キー、Shiftで大文字が打て、CapsLockも効きます。まぁ慣れですね。Control+C、+X、+Vでコピー、カット、ペーストが当 たり前にできます、英字キーが使えれば、問題の99%は解決です。いずれも、POBoxで使えてますが、ATOKやGoole日本語の場合は?です。

 久々に「ポケモン」でタイピングしてみましたが快適で、キーボードに向かうと文章がスラスラ出てきます。ハードキーだとCtrlキーが使えますから、下書きしたテキストのSSblogへのペースが可能となり、投稿ができます。スマホのソフトキーだと寝っ転がって使えるのでこちらも捨てがたいw。

文書の共有
 Evernoteを使っています。Evernoteの「ユーザーの共用」を使うと、デスクトップ、ノート、スマホ、タブレットで文書が共有できます。1アカウント端末2台、アップロードできる容量の制約はありますが、無料で使えて便利です。アカウントを2つ取れば、4端末で使えますw。

 windows10につないでみました

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夏目漱石 夢十夜(1908青空文庫) [日記 (2021)]

夢十夜 夢十夜・草枕 (集英社文庫)  村上春樹の『一人称単数』を読んで、漱石の『夢十夜』を思い出し読み返してみました。夢かどうかは別にして、フロイトかユングで分析すれば面白そうな小説です。中身はこの辺りをご参照。「夢」だと言って、漱石の本音が出ていそうです。

第一夜
こんな夢を見た。 腕組をして枕元に 坐っていると、 仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。

 その女性は、「輪郭の柔らかな 瓜実顔 ・・・真白な頰の底に温かい血の色がほどよく差して、 唇 の色は無論赤い」。「私」は、長い睫に包まれた大きな潤のある真黒な眸の奥に映っている自分の姿を見るわけですから、ほとんど覆い被さるように女性に接していることになります。その女性が「もう死にます」というのです。

死んだら、 埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また 逢いに来ます。
・・・「百年待っていて下さい・・・百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ます。

百年の恋です。漱石にこんな直截的で艶っぽい文章ありました?。夢だから書けるわけです。その墓に白い百合が咲きます。百合の花は匂い花びらに露の雫が垂れ、

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子 に思わず、遠い空を見たら、 暁の星がたった一つ 瞬いていた。 「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

「白い百合」は、2年後の『それから』で、代助が友人の妻・三千代を訪ねる際に持参する花でとして結実します。「禁断の恋」の象徴です。

「覚えてゐますか」
「覚えてゐますわ」
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立(きたて)だつたんですもの。ぢき已(や)めて仕舞つたわ」
「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」・・・

『第一夜』のこの女性が「銀杏返し」かどうか分かりませんが、きっとそうですw。夏目漱石というと硬派の文豪のイメージですが、『こころ』で三角関係を、『それから』で不倫を描いていますから、『第一夜』ような「夢」も不思議ではありません。漱石は禁忌の恋を秘めていたのかも知れません。現世では叶わね恋ですから、その恋は死の影を纏うことになります、恋の成就が百年後(来世?)となります。なかなか切ない…。

第三夜
 こんな夢を見た。六つになる子供を 負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主 になっている。

盲目の我が子を捨てる夢です。

自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか 打遣 ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端 に、背中で、 「ふふん」と云う声がした。 ・・・「御父さん、重いかい」と聞いた。 「重かあない」と答えると 「今に重くなるよ」と云った。
漱石には2男5女の子供がいます。子供を重荷に思っていたかどうかは分かりませんが、「個人主義」の漱石にとっては我が子といえど他者。他者との関係性を主題としてきた小説家は、心の何処かではこれを「重荷」と感じていたのでしょう。子供を「盲目」にして「背負う」という表現にそれを垣間見ることができます。
「私」は杉の根本に盲目の我が子を捨てようとします、

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、 忽然として頭の中に起った。おれは 人殺 であったんだなと始めて気がついた 途端 に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった

 漱石は生まれてすぐ古道具屋に里子に出され、夜店で品物の隣に並んで寝ている金之助を見た姉が不憫に思い実家へ連れ戻したという逸話があります。2歳の頃またも養子に出され9歳で実家に戻っています。そうした幼少期の記憶が『第三夜』に顕れているのかどうか?。捨て子の記憶が自分も子を捨てるのではないかというトラウマに発展し、背中の子供が石地蔵(地蔵は子供の護り神)となって人殺しの恐怖へと増幅されます。漱石の心の闇の深さです。

タグ:読書
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雑感 オリンピックが面白い [日記 (2021)]

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 今回のオリンピックは、ことのほか前哨戦で盛り上がっています。いわずと知れた韓国です。

李舜臣 と 旭日旗 と 弁当
 やって来るや否や宿舎に反日の横断幕。選手団本体の来日は19日ですから、このために先発隊が来たんでしょう。IOCから文句を付けられるとこれは応援の横断幕だと論じ、撤去を命じられると、交換条件に旭日旗の競技場への持ち込みを禁止しろ、と。大韓体育会よるとIOCはこれを認めたと云うことですが、自衛隊旗を禁止するはずはない。国内向けの言い訳でしょう。李舜臣の反日横断幕を引っ込めたと思ったら、朝鮮半島を虎に見立てた懸垂幕、用意のいいことです。竹島缶バッジもあるらしいので、楽しみです。

 「福島産の食材は口にするな」と選手の食べる食材を故国から運び込んで独自の給食を目論むも組織委員会に断られ、弁当を供給を供給するようです。この弁当は「放射能フリー弁当」と言うそうですw。参加205カ国(地域)の中、韓国だけです。選手村では、老舗ホテルのシェフのレシピによる食事が24時間提供されるようですから、誰が考えても、韓国の選手は選手村の食事を選択すると思います、キムチ以外はw。

輸出規制 と 為替スワップ と ワクチン
 文在寅大統領より、オリンピックの開会式に引っかけて日韓首脳会談の要請がありました。最悪の日韓関係打破のためらしいです。「3大懸案」1)歴史問題(慰安婦、強制徴用、竹島)、2)福島原発処理水放流、3)輸出規制撤廃、が議題の様ですが、菅首相は15分の儀礼的会見しかやらない!と突っぱねました。政府にとってみれば、ボールは韓国にある、行動で示せという従来のスタンスです。水面下の折衝では、ボールは投げ返されず会談要請だけだったのでしょう。

 韓国とって歴史問題(慰安婦、強制徴用、竹島)は生命線ですから、話し合う余地すらない筈。原発処理水もIAEAが認めており、どう足掻いても勝ち目がないことは承知の上、いずれも建て前。輸出規制は(国産化が進んだらしいですが、チップの歩留まり落ちているようで)これは本音。
 「3大懸案」の裏にはもうひとつ、為替スワップがあると思われます。不動産と株のバブルに加え家庭債務の膨張、1ドル1150ウォン越えで→金融危機の懸念があるわけで、韓国は2012年で終了した為替スワップの再開が急務。9月期限の米国との為替スワップも12月末まで延長、空前の外貨準備高があるようですがその辺りは謎です(映画『国家が破産する日』を観たので心配になります)。それと、確保に失敗したワクチン。日本は台湾、インドネシアに無償供与したのだからウチにも、ということでしょうか。
 輸出規制、為替スワップ、ワクチンの「3大懸案」が水面下で断られため「訪日見送り」となったわけです。3つの内ひとつでもOKなら文在寅大統領は来たでしょうね。
 これに文在寅大統領を揶揄した駐韓公使の「不適切発言」が加わります。IOCに叱られ、日本の公使にはバカにされ、交渉は失敗、会談が儀礼的な15分であれば、大統領の地位さえ危ない、じゃあ止めるかとなった様です。

 「レジスト、フッ化水素、フッ化ポリイミドは第三国に転売しました、二度としません、輸出規制を解除して下さい」、慰安婦、徴用工、竹島問題もICJに行きます」、と言えば済む話です(言えるわけないか)。ことごとく韓国の自作自演自、自縄自縛、「韓国の外交は自慰行為」と言い放った駐韓日本公使の発言は的を射ています。
 日韓併合を相対化しない限り、問題は解決出来ないと思います。

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絵日記 アゲハチョウ [日記 (2021)]

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 連日猛暑!、この夏は虫たちが繁殖しますね。柑橘類にイモムシ発見、よく見るとけっこうカワイイ →と言いつつ駆除!。飼ってもいいんですが、ミカンの木が丸坊主になりそう。飼っているアシナガバチが処理してくれればよかったんですが、ここまで大きくなってはねぇ。
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 コイツ等は、チョウの如く華麗に変身できそうもないですw。4コマ漫画にしてみました、イマイチ?。
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柚月裕子 孤狼の血(2015角川文庫) [日記 (2021)]

孤狼の血 「孤狼の血」シリーズ (角川文庫) 映画孤狼の血の原作です。映画を観ているので、ストーリーも結末も分かった上で原作を読んで面白いかというと →これがけっこう面白い。捜査の為には脅し、暴力、収賄と何でもありの悪徳刑事・大上(映画では役所広司)と、「それは違法捜査でしょう、服務規律違反です」と諌める新米刑事・日岡(映画では松坂桃李)のコンビネーションの面白さです。
 
 大上は、刑事二課の仕事は何かと日岡に問い、日岡は「暴力団を壊滅させることです」と答えます、
 
くくっと、大上は喉の奥で笑った。「お前、自分の飯の種を自分で根こそぎ摘むんか。暴力団がのうなってしもうたら、わしらおまんまの食い上げじゃろうが」
屁理屈だ。日岡は唇を噛んだ。「だいたいのう」、と大上は煙草をふかしながら言葉を続ける。
「世の中から暴力団はなくなりゃァせんよ。人間はのう、飯ィ食うたら誰でも、糞をひる。ケッ拭く便所紙が必要なんじゃ。言うなりゃあ、あれらは便所紙よ」
 
 ヤクザは社会の底辺に溜まった「澱、オリ」だと言います。さすがに映画ではこうしたセリフありません。
 
わしらの役目はのう、ヤクザが堅気に迷惑かけんよう、目を光からしとることじゃ。あとは・・・やりすぎた外道を潰すだけでえ。
 
 「付いて来い」と言われて日岡が後ろに付き従うと、後輩は先輩の前を歩けと大上に叱られます。
 
ええか、、(刑事ニ)課のけじめはヤクザと同じよ。平たく言やあ、体育会の上下関係と一緒じゃ理屈に合わん先輩のしごきや説教にも、黙って耐えんといけん。これにはのう、まっとうな理由があるんで。ヤクザっちゅうもんはよ、日頃から理不尽な世界で生きとる。
上がシロじゃ言やあ、ク口い鴉もシロよ。そいつら相手に闘うんじゃ。わしらも理不尽な世界に身を置かにゃあ……のう、極道の考えもわからんじゃろが。
 
ヤクザの世界では、下っ端は「弾除け」として前を歩くことがキマリで、ヤクザを取り締まる刑事もヤクザでなければならないというのです →理屈合ってますw。で、大上がタバコを取り出すと、日岡がサッとライターで火を付けるわけです、あのヤクザ映画でお馴染みの所作です。
 
 したがって大上の捜査は脅迫、暴力、収賄と何でもあり。取り調べで拷問を振るう大上にヤクザが言います、
 
「あんた、狂うとる……」唇がわなわなと震えている。
大上は膝を割ってしゃがむと、吉田の顔を見下ろした。
「おお、狂うちょるよ。わしは捜査のためなら、悪魔にでも魂を売り渡す男じゃ。お前がしゃべらんでものう、お前が密告した言うて、後で加古村(敵対するヤクザ組織)に吹き込むこともできるんで」
 
こうした大上というキャラクターを彩る挿話は、セリフより活字で読むほうが面白いです。そんなジャンルがあるかどうか知りませんが「極道小説」です。極道と対峙する極道刑事の話ですが、途中から日岡を主人公とした警察小説に入れ替わります。日岡は、大上を潰すためにに広島県警・監察が送り込んだスパイ。小説の語り手であった日岡は実は「信頼できない語り手」で、スーパー刑事がヤクザ組織を潰す構造をひっくり返します。日岡が体制のスパイではストーリーが成り立たないのでもうひとヒネリ、この辺りが面白いところです。
 
 日岡を主人公とした続編『凶犬の眼』『暴虎の牙』があるようですから、シリーズは日岡のビルドゥングスロマンのようです。大上のキャラクターで持っている小説ですから、大上を外して成立するのかどうか?。
 緑陰エンタメ小説としてはお薦めです。作者は女性なんですねぇ。
 映画『孤狼の血』の原作です。(映画を観ているので)ストーリーも結末も分かった上で原作を読んで面白いかというと →これがけっこう面白い。捜査の為には脅し、暴力、収賄と何でもありの悪徳刑事・大上(映画では役所広司)と、「それは違法捜査でしょう、服務規律違反です」と諌める新米刑事・日岡(映画では松坂桃李)のコンビネーションの面白さです。
 
 大上は、刑事二課の仕事は何かと日岡に問い、日岡は「暴力団を壊滅させることです」と答えます、
 
くくっと、大上は喉の奥で笑った。「お前、自分の飯の種を自分で根こそぎ摘むんか。暴力団がのうなってしもうたら、わしらおまんまの食い上げじゃろうが」
屁理屈だ。日岡は唇を噛んだ。「だいたいのう」、と大上は煙草をふかしながら言葉を続ける。
「世の中から暴力団はなくなりゃァせんよ。人間はのう、飯ィ食うたら誰でも、糞をひる。ケッ拭く便所紙が必要なんじゃ。言うなりゃあ、あれらは便所紙よ」
 
 ヤクザは社会の底辺に溜まった「澱、オリ」だと言います。さすがに映画ではこうしたセリフありません。
 
わしらの役目はのう、ヤクザが堅気に迷惑かけんよう、目を光からしとることじゃ。あとは・・・やりすぎた外道を潰すだけでえ。
 
 「付いて来い」と言われて日岡が後ろに付き従うと、後輩は先輩の前を歩けと大上に叱られます。
 
ええか、、(刑事ニ)課のけじめはヤクザと同じよ。平たく言やあ、体育会の上下関係と一緒じゃ理屈に合わん先輩のしごきや説教にも、黙って耐えんといけん。これにはのう、まっとうな理由があるんで。ヤクザっちゅうもんはよ、日頃から理不尽な世界で生きとる。
上がシロじゃ言やあ、ク口い鴉もシロよ。そいつら相手に闘うんじゃ。わしらも理不尽な世界に身を置かにゃあ……のう、極道の考えもわからんじゃろが。
 
ヤクザの世界では、下っ端は「弾除け」として前を歩くことがキマリで、ヤクザを取り締まる刑事もヤクザでなければならないというのです →理屈合ってますw。で、大上がタバコを取り出すと、日岡がサッとライターで火を付けるわけです、あのヤクザ映画でお馴染みの所作です。
 
 したがって大上の捜査は脅迫、暴力、収賄と何でもあり。取り調べで拷問を振るう大上にヤクザが言います、
 
「あんた、狂うとる……」唇がわなわなと震えている。
大上は膝を割ってしゃがむと、吉田の顔を見下ろした。
「おお、狂うちょるよ。わしは捜査のためなら、悪魔にでも魂を売り渡す男じゃ。お前がしゃべらんでものう、お前が密告した言うて、後で加古村(敵対するヤクザ組織)に吹き込むこともできるんで」
 
こうした大上というキャラクターを彩る挿話は、セリフより活字で読むほうが面白いです。そんなジャンルがあるかどうか知りませんが「極道小説」です。極道と対峙する極道刑事の話ですが、途中から日岡を主人公とした警察小説に入れ替わります。日岡は、大上を潰すためにに広島県警・監察が送り込んだスパイ。小説の語り手であった日岡は実は「信頼できない語り手」で、スーパー刑事がヤクザ組織を潰す構造をひっくり返します。日岡が体制のスパイではストーリーが成り立たないのでもうひとヒネリ、この辺りが面白いところです。
 
 日岡を主人公とした続編『凶犬の眼』『暴虎の牙』があるようですから、シリーズは日岡のビルドゥングスロマンのようです。大上のキャラクターで持っている小説ですから、大上を外して成立するのかどうか?。
 緑陰エンタメ小説としてはお薦めです。作者は女性なんですねぇ。

タグ:読書
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万葉集の花・夏 (2) [日記 (2021)]

続きです。画像は使いまわし、訳はいろんなサイトから引用させて頂きました。

むくげ(芙蓉、かほ花)
DSC_0484.jpg PH_153.jpg
高円の 野辺のかほ花面影に 見えつつ妹は 忘れかねかねつも(大伴家持)
 →高円の野辺に咲く容花のように 面影がちらちら見えて あなたを忘れかねているのですよ
こいまろび、恋ひは死ぬとも、いちしろく、色には出でじ、朝顔の花(作者不詳)
 →身悶えするほどに恋い焦がれて死んでしまおうとも、朝顔の花のように、はっきりと顔には出しますまい

@家持に比べて作者不詳の歌は「こいまろび、恋ひは死ぬとも」と...この作者は女性なんでしょうか?。
かほ花も他の花にもれず特定が出いていないそうです。ヒルガオ、アサガオ、ムクゲ、など諸説あるそうです。

ツユクサ(ツキクサ)         トキワツユクサ
DSC_6302.jpg 2.jpg
朝露に 咲きすさびたる 月草の 日くたつなへに 消ぬべく思ほゆ(作者不詳)
 →朝露を浴びて我が物顔に咲き誇る露草が、日が傾くにつれてしぼむように、日暮れが近づくにつれて、私の心もしぼんで消え入るばかりです

@いい歌ですね、揺れる女心?がよく出ています。

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村上春樹 一人称単数 (2020文藝春秋) [日記 (2021)]

一人称単数 (文春e-book)  本書は、2018年~2019年に『文学界』に発表された7編の短編と、書き下ろしの『一人称単数』の都合8編を集めた短編集です。最後尾の「書き下ろし」がタイトルとなっているということは、7本の短編の総括が『一人称単数』ということだと思われます。

 19歳の僕がアルバイト先で知り合った年上の女性と一夜を共にする『石のまくらに』。ピアノ演奏会の招待状に導かれて出掛けた会場は無人のホール、ホール近辺の公園で「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」について語る老人と出会う『クリーム』。チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏する<架空>のレコードと出会う『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』。高校時代のガールフレンドとの顛末を語る『ウィズ・ザ・ビートルズ』。底なしに弱かったスワローズ愛を語る『ヤクルト・スワローズ詩集』。女性の容貌の美醜をテーマにした『謝肉祭』。温泉宿で出会った人語を解する猿の話『品川猿の告白』。見知らぬ女性から謂われなき非難をあびる『一人称単数』。いずれもテーマらしきものもあるにはありますが、時折々の想念を短い物語に定着させたエッセー風の小説です。味わいがあると言えば言えます。印象にのこったものを少し、

石のまくらに
 冒頭の1篇です。19歳の僕が年上の女性と一夜を共にする、いつもの”Boy meets Girl”です。どんな女性だったかというと、これが村上春樹的で、この女性は短歌を詠み、「僕」に歌集を贈ってくれます。

歌集のページを開き・・・声に出して読んでいると、あの夜に目にした彼女の身体を、僕は脳裏にそのまま再現することができた。それは翌朝の光の中で見た、あまりぱっとしない彼女の姿かたちではなく、月光を受けて僕の腕に抱かれている、艶やかな肌に包まれた彼女の身体だった。・・・彼女はオーガズムを迎え、タオルを思い切り噛みしめたまま目を閉じ、僕の耳元で別の男の名前を、何度も何度も切なく呼び続けていた。

 死のイメージをはらんだ歌は僕の心の奥に今も残り、彼女は生きているんだろうか?と回想するわけです。タイトル『石のまくらに』は、石を枕に横たわり死を迎える歌から採られています。”Boy meets Girl”の話が短歌を機にオチに入ります、

もし幸運に恵まれればということだが、ときとして いくつかの言葉が僕らのそばに残る。彼らは夜更けに丘の上に登り、身体のかたちに合わせて掘った小ぶりな穴に潜り込み、気配を殺し、吹き荒れる時間の風をうまく先に送りやってしまう。そしてやがて夜が明け、激しい風が吹きやむと、生き延びた言葉たちは地表に密やかに顔を出す。

 生き延びた言葉が僕に語りかけます。

彼らはおおむね声が小さく人見知りをし、しばしば多義的な表現手段しか持ち合わせない。それでも彼らには証人として立つ用意ができている。正直で公正な証人として。しかしそのような辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに載せなくてはならないのだ。

 言葉を擬人化したなかなか叙情的な一節です。人の心に届く言葉を「こしらえる」小説家の自負と、そうした行為は自らの首を(斬首台の)石のまくらに載せる行為でもあるのだと…。『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』、『ウィズ・ザ・ビートルズ』も死をテーマとしています。

品川猿の告白
 群馬県の鄙びた温泉宿で、人語を解する「猿」に出会う抱腹絶倒の1編です。村上春樹的にブルックナーが好きな猿に背中を流してもらいもらい、一人と一匹はビールを傾けます。ちなみに「品川猿」は、件の猿が品川で飼われていたことから来ているらしい。どうオチをつけるのかと読むと、猿離れした猿は、雌猿ではなく人間の女性に恋情を抱くようになり、女性の名前を「盗む」ことでその代償とするようになったと言います。千と千尋の「湯婆々」か!。名前を盗むことで女性の存在を自分の中に取り込む →恋情の成就となるらしい。で、猿は語ります、

愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのできない燃料であります。その愛はいつか終わるかもしれません。あるいはうまく結実しない かもしれません。しかしたとえ愛は消えても、愛がかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります。もしそのような熱源を持たなければ、人の心は――そしてまた猿の心も―酷寒の不毛の荒野となり果ててしまうでしょう。その大地には日がな陽光も差さず、安寧という草花も、希望という樹木も育ちはしないでしょう。私はこうしてこの心に(と言って猿は自分の毛だらけの胸に手のひらをあてた)、かつて恋した七人の美しい女性のお名前を大事に蓄えております。私はこれを自分なりのささやかな燃料とし、寒い夜にはそれで細々と身を温めつつ、残りの人生をなんとか生き延びていく所存です。

『一人称単数』
ポール・スミスのダーク・ブルーのスーツ(必要があって買ったのだが、まだ二度しか袖を通したことがない)をベッドの上に広げ、それに合わせてネクタイとシャツを選んだ。淡いグレーのワイドスプレッドのシャツに、ローマの空港の免税店で買ったエルメネジルド・ゼニアの細かいペイズリー柄のネクタイだ。

 小説家の僕は普段はラフな服装でスーツなんか着ないわけです。気まぐれにスーツを来てネクタイを締め、鏡の前で「悪くはない」。スーツがポール・スミスというのもいかにも。その姿でバーに出かけ、スツールに腰掛けてミステリーを読んでいると、五十前後の女性から声を掛けられます。

小柄でほっそりとした体つきで、髪はぴったり程よい短さにカットされている。着こなしがなかなか洒落ていた。柔らかそうな布地の縞柄のワンピースに、ベージュのカシミアのカーディガンを羽織っていた。とりたてて美人という顔立ちではないものの、そこにはうまく完結した雰囲気のようなものが漂っていた。

「五十前後の女性」でいいわけですがこの辺りが村上春樹。

「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と彼女は尋ねた。彼女が何を言おうとしているのか、うまく理解できなかった。・・・その顔には見覚えがなかった。私は人の顔を覚えるのが決して得意ではないけれど、これまでその女性に会ったことがないということにはかなりの確信が持てた。もしこの女性に以前に会っていたとしたら、間違いなくそのことを記憶しているはずだ。彼女はそういう種類の女性だった。「そんなこと?」と私は聞き返した。
「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」

「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」とは、この短編集の7篇の小説、小説を書いている作家自身を指すわけでしょう。「そんなことをしていて、なにか愉しい?」という女性の言葉は、作家の「照れ」に他なりません。最後の書き下ろしが、この短編集のオチです。

 7篇の小説を読んで、これは村上春樹版『夢七夜』(漱石の『夢十夜』)ではなかろうか。それなりに村上春樹のファンですから、それなりに楽しめました。

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映画 孤狼の血(2018日) [日記 (2021)]

孤狼の血 [DVD]
 久々に東映「ヤクザ映画」を観ました。今どき「ヤクザ映画」なんか作ってるんですね、東映が。基本は、1960年代の「広島抗争」を描いた『仁義なき戦い』です。『仁義なき戦い』は、暴力団同士の抗争を暴力団の側から描きましたが、『孤狼の血』は、これを刑事の視点から描きます。ヤクザ映画での警察はソレこそ刺身のツマみたいな存在でしたが、『孤狼の血』では堂々の主役。舞台は広島ですからセリフは広島弁で、かつての『仁義なき戦い』ファンは郷愁というか既視感というか、ワクワクしますw。惨殺死体に生首が出てきますから、その辺りが苦手な方は観ない方が良さそう、放送禁止用語も堂々と →けっこう笑います。

 暴力の世界に身を置く刑事ですから、刑事もヤクザまがいの”ワル”です。この悪徳刑事・大上(オオガミ)を演じるのが役所広司。大上の相棒で新米刑事の日岡を演じるのが松坂桃李。広島県呉市を思わせる「呉原市」で、暴力団を潰すために役所広司が抗争に割って入り、その捜査に同行する松坂桃李も次第に大上の悪に染まって「堕ちて」ゆくというストーリーです。どこかにあったような設定です。
 暴力の世界に身を置く大上の捜査は、日岡が「それは違法でしょう」と止めるのも聞かず、脅し、暴力、収賄、放火と何でもあり。真っ当な刑事では絵になりません、暴力刑事vs.暴力団となって初めて映画として成立するわけです。

 呉原市では五十子(いらこ)会傘下の加古村組と尾谷組が対立しています。キャストはこうなります、

 ・五十子(いらこ)会:会長=石橋蓮司 →加古村組:組長=嶋田久作
 ・尾谷組:組長=伊吹吾郎(収監中)、若頭=江口洋介
 ・呉原東署:刑事二課、暴力班捜査係主任=役所広司、同暴力班捜査係=松坂桃李
これに
クラブのママ里佳子=真木よう子、薬剤師、桃子=阿部純子、新聞記者=中村獅童が絡みます。

 加古村組系のサラ金(闇金)会社の金庫番が行方不明となり、これを殺人事件と考えた大上は捜査に乗り出します。加古村組と尾谷組が対立しているように、呉原東署の刑事たちも加古村組系と尾谷組系に分かれ、それぞれの組を陰で支援しているという暴力団と警察が持ちつ持たれつの関係。大上は尾谷組系で且つ五十子(いらこ)会傘下の右翼団体とも繋がっているという鵺(ヌエ)的存在。日岡はというと、大上の不正を暴いて葬り、大上が記す「捜査日記」を盗ませるため送り込んだ広島県警・監察官のスパイ。「捜査日記」には県警幹部と暴力団の癒着が記され、大上を潰さないと県警自体が潰れるという、暴力団vs.暴力団、暴力団vs.地元警察vs県警と二階建て三階建ての構図。

 役所広司演じるヒーローですから、ありきたりの悪徳刑事ではなく、ヤクザを飼い慣らしカタギ護るという大義名分を与えられます。『仁義なき戦い』の広能昌三(菅原文太)の大義名分に比べると幾分安っぽいですが。大上の大義名文を象徴するのがクラブ梨子のママ里佳子。里佳子が絡む14年前の加古村組幹部の殺人事件に大上が関わり、これを嗅ぎ付けた地元新聞によって大上は捜査から外され...。悪と悪、悪と善が絡み合ってなかなか良くできたストーリーです。

 日岡は、正義感から大上の違法捜査を逐一監察に報告し大上潰しに荷担しますが、次第に大上に染まり堕ちてゆきます。あんたのやっていることは綱渡りだと言う日岡に、大上は、

極道と関わる人間は曲芸師みたいなもんや。綱の上に乗ったら最後、極道の側に傾き過ぎても、警察の側に傾き過ぎても落っこちてしまうけのぉ。落ちんようにするには歩き続けるしかない。落ちて死なんように前に進むしかない、と。

 進む先に何が待っているのか?。

監督:白石和彌
原作:柚月裕子
出演:役所広司、松坂桃李、真木よう子、石橋蓮司、江口洋介

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