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小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 宮沢賢治「永訣の朝」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)  教科書・指導書の真っ当な解説は『最後の3日で仕上げる「読書感想文」』で取り上げたので、こちらでは小森センセイの「"アブない"読み方!」です。「永訣の朝」には「修羅が書き付けた涙」というキャプションが付きます。
 最後の方の「天上のアイスクリーム」が「兜率の天の食」に書き換えられた2つの版があるそうですが、私が習ったのは「兜率の天の食」の方でした。以外と憶えているものです。

宮沢賢治にとって、妹トシは最愛の肉親であった。その死に臨んで、死にゆく者への思いやりと願いを兄として汲み取る作者の姿と、兄を思う妹のけなげな姿を押さえさせたい。更に、個人の死の悲しみを超えて、万人の幸福を祈ろうとする、作者の心境の崇高なまでの高まりを味わわせたい。また、方言やローマ字を使用することによって、詩にどのような奥行きをもたせているかを考えさせたい作品である。(東京書籍、指導書)

全くその通りで、言い訳の小説『舞姫』とは違って、死にゆく妹へ捧げられた崇高な詩に「"アブない"読み方」をして良いものだろうか?、です。

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)

「今度生まれてくるときには、こんなに自分のことで苦しまない様に生まれてくる」と言うんです。臨終の言葉としては結構重いです。指導書はこの言葉を

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

に繋げ、詩の方向を「希望」に誘導していると言います。

Ora Orade hitori egumo

も「自分は一人で死んでゆくのだ」というトシの強い決意であり、故にローマ字表記となっているとします。
 果たしてそうか?と著者は問います。

あめゆじゅとてきてけんじゃ
 著者よると詩集『春と修羅』の()内は修羅の言葉だそうです。(阿)修羅とは修羅道で帝釈天と戦うことを運命付けられた戦いの仏。光が溢れる春と、負の側面を背負った修羅が対比されます。「永訣の朝」の()で括られたトシの言葉は修羅の言葉とするなら、この詩は指導書の言うよな「妹の崇高な態度にうたれて、祈りの言葉に気持ちを託す」予定調和の詩ではなさそうです。賢治の脳裏で繰り返される「あめゆじゅとてきてけんじゃ」というトシの言葉は、修羅の側居る賢治の言葉でもあるわけです。

 あめゆじゅとはミゾレのことで、雪でもない雨でもない「二相系」で、生と死の間にあるトシそのものです。

この詩は、そうした二相系を保とうとしている言葉だといえるのですから 、いわば「修羅」のあがきでもあるわけです。その修羅が、すでに向こう側へ逝ってしまった妹の(あめゆじゆとてちてけんじゃ)という言葉を( )の中に書き付けてもう一度、こちら側に呼び戻そうとしているのが「永訣の朝」なのではないでしょうか。

したがって、キャプションは「修羅が書き付けた涙」。小森センセイは、「小森くん、書いてないことまで考えなくていいんだよ」と云う高校時代の教師の言葉を思い出したのか、この項は割りと真っ当ですw。詩は手強いです。

一時限目 森鴎外「舞姫」
五時限目 中島敦「山月記」

タグ:読書
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図書館での「過剰購入」、ルール作り検討へ [日記 (2023)]

toshokann.jpg スクリーンショット 2023-08-28 123709.jpg
 朝日デジタル版の記事です。800を超えるコメントが付いています。

図書館がベストセラーを過剰に購入しないように、ルール作りを――。国がそんな検討の場を今秋にも設ける。急減している書店の支援策として、自民党の議員連盟が出した提言を受けたものだ。

そうです。日々図書館を利用していますが、記事にあるようにベストセラーは待たされますね。『街とその不確かな壁』は図書館の在庫16冊で、5/2に申し込んで現在11人待ち。『黄色い家』は5/30に申し込み229人待ち。先ほどチェックしたら在庫が13冊と増えていますから、あわてて購入したようです。

 確かに図書館が大量に在庫を持つと、書店の売り上げに響くでしょうが、近所の書店に行くならAmazonか電子本を買いますから、図書館の「過剰購入」を規制しても街の本屋さんの応援にはなりませんね。そもそも書店を保護する必要があるのかどうか。保護すべきは、本の作り手(著者)だと思うのですが。コメントを読むと、図書館から本を借りるとなにがしかの印税が著者に入る国があるようです。活字文化を護るのであればソッチでしょう。どちらにしろ自民党の議員連盟の提言は悪手でしょうね。

 最近出版された本では、天路の旅人(2023新潮社) 、同志少女よ、敵を撃て(2021早川書房)、地図と拳(2022集英社)は図書館でわりとスンナリ借りることが出来ました。評判になった様ですが、個人的にはイマイチ。ベストセラーだから面白いとは限りません。図書館に みすず『ゾルゲ伝』があったので申し込みました。読んでみて価値があるようなら購入、5,700円ですからおいそれとは買えません。図書館は本棚の延長線ですから、資料的価値のある図書が希望なんですが。

タグ:読書
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新解さん in my pocket [日記 (2023)]

1.png 4.jpg
 「広辞苑 in my pocket」の続きです。「新解さん」とは、言わずと知れた『新解さんの謎 』(赤瀬川原平)で有名になった三省堂「新明解国語辞典」。試しにスマホに入れてみました。第四版が面白いらしいですが、入れたのは第五版。「恋」を表示させると、

新解さん 第五版
こい【恋】コヒ[1]
特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が昂揚(コウヨウ)する一方、破局を恐れての不安と焦躁(シヨウソウ)に駆られる心的状態。
「道ならぬ―に落ちる/―は盲目/―は思案の外ホカ〔=恋する人の気持や行動は常識や理性では割り切れないものだ〕/老いらくの―

広辞苑 第四版
一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。万二○「常陸さし行かむ雁もが吾(あ)が―を記して付けて妹に知らせむ」。「―に身を焼く」

 「新解さんの方が明らかに面白い!。新明解国語辞典の最新版は第八版ですが、版を重ねる毎に普通の国語辞書になり第四版が一番面白いらしいです。第五版でも十分楽しめます。電子辞書にすると、ページをパラパラめくって読めないのが欠点です。
 広辞苑は百科事典の性格があり、新解さんは言葉の解釈(語釈)に特徴があります。 串刺し検索で広辞苑と新解さんの両方が参照できるので便利。辞書をひく楽しみがで出来ました。英和辞書は「英辞郎」を入れてますが、用例の多い定番の「英和中辞典」を入れてみようと思います。

メモ:Epwingのファイル構造

SDー辞書名ー辞書名
       ーcatalogsーDATAーHONMON
            ーGAIJIーGAI16F00
                ーGAI16H00

DATAには、HONMON2(圧縮)、HONMONG(グラフィックス:図版)、HONMONS(サウンド:音声)があるようです。

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広辞苑 in my pocket [日記 (2023)]

1.jpg 3.jpg 3.jpg 2.jpg

 1991年の広辞苑第四版(CD-ROM)の贅肉(音声・画像)を落として、ZAURS →WimdowsMobile →Androidと使ってきました、未だ現役です。中身はEPwingですからWindowsでもMacでもiPhoneでも使えます。netが高速になって、今では辞書をスマホに入れる必要は無いわけですが、「辞書をひく」ことがnetを介さず端末内で出来ること、Evernoteからダイレクトに使えることは便利です。
 広辞苑第四版(CD-ROM)に画像、音声データがあるので、贅肉を落とす前の肥満体(と言っても475M)をスマホに入れてみました。ViewerはFreeのEBpocket。中身は、
    広辞苑
       ーBKSLCT
       -FUROKU
       -GUIDE
       -KOUJIEN
       -CATALOGS

これをスマホのSDカードにコピーして、EBpocketの設定で辞書検索パスを通しておくだけ。わたしの場合こんなふう

SD-EBPOCKET-KOUJIEN-BKSLCT 以下
               -EIJIROU・・・英辞郎

 で、普通に使えました。広辞苑がホーホケキョと鳴くのは笑いました。辞書は基本言葉の世界の道具ですから、画像や音声は付録みたいなものです。広辞苑第四版は1991年の版ですから、30年以上前の辞書。22万語が収録され日本語の基本はキッチリ押さえてありますから、国語辞書としては十分。但し新しい言葉は載ってませんから、webと組み合わせる必要があります。このCDは、1995年に発売された富士通FM-Vに添付されていたものです。ヤフオクでも安価で見かけますから、入手してスマホに仕込んでおくのも一興です?。「広辞苑 in my pocket」 →何か得した気分になりません?(アンタだけ)。

 2006年頃の広辞苑 in my pocket

 画像やサウンドデータにどんなものがあるかというと、「分野別図版一覧」に載ってます。サウンドは鳥の声だけですが、バードウォッチングには便利かも。

   分野別図版一覧
〈動物〉★鳥  ★獣  ★昆虫 ★魚・貝  ★爬虫類・両生類他
〈植物〉★草(あ~こ)  (さ~と)  (な~ん)
    ★木(あ~こ)  (さ~と)  (な~ん)
    ★シダ・コケ他
〈民俗・芸能〉★芸能  ★民族・遊戯・人形・玩具  ★面
〈服飾・風俗〉★衣類  ★冠・笠・傘・かざし  ★履物・装身具・小物
       ★髪型  ★結び  ★その他
〈建築・土木〉(様式・構造・門・屋根・塀・柱・格子・装飾・工法など)
       (あ~こ)  (さ~と)  (な~ん)
〈道具・機器〉★家具・調度  ★器物  ★乗物(輿・駕籠・車・船)
       ★武器・武具・馬具  ★楽器  ★仏具・祭具  ★農具・漁具
       ★工具・機器・装置  ★その他
〈文字・図像〉★文字・記号  ★図案・文様・装幀  ★紋  ★仏像・印他
〈理科〉   ★星座・地学  ★植物・医学・物理・化学  ★数学
《カラー写真・図版一覧》
★日本の山 ★外国の山
★鳥
★草花(ア行~タ行) ★草花(ナ行~ワ行)
★樹木
★昆虫(ア行~サ行) ★昆虫(タ行~ワ行)
★星座

@関連 →新海さんin my pocket

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小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 芥川龍之介「羅生門」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)senbon_doori-02.jpg
 『あの名作の"アブない"読み方!』今度は芥川の『羅生門』。これも有名な小説です。「"アブない"読み方!」ですから「下人は天皇に物申す」というキャプションが付きます。天皇?…。

羅城門
 芥川龍之介の小説は比較的は分かりやすいです。この『羅生門』も、主人から暇を出された下人が、羅生門の二階で死人の髪の毛を抜いてカツラを作って生活している老婆に出会い、生きるために老婆の着物を奪う話です。生死の境では悪もまた許される?という小説です。はっきりした主題を持った『羅生門』を、小森センセイはどんな「アブない"読み方”」をするのか?。羅生門と羅城門は違うそうです。

 羅城門は、御所(内裏)を起点に平安京を右京と左京に分ける朱雀大路の南端にある門です。著者よると、朱雀大路は内裏に在る天皇が南を向く「まなざし」そのもので、その視線の先に都の内と外を隔てる羅城門があります。中国の皇帝が南を向いて儀式を行い、臣下を統べる南面思想に基づくものだそうです。「天皇のまなざしとは、統治のための法それ自体」です。

 都は天変地異や戦乱で荒れ果て、人々は死人を羅城門に棄て、羅城門には鬼が棲むと言う時代の話で、天皇の統治(律令制)が崩れた時代の話です。著者は、この背景を抜きにして『羅生門』を善と悪の二項対立の物語とするのは教科書指導書の誘導だと言います。

右と左
 下人vs.老婆のくだりです。老婆は言います、この死体は蛇を干し魚と偽って売っていた女だと、

わしは、この女のした事が悪いとは思うてゐぬ。せねば、 飢死にするのぢやて、仕方がなくした事であろ。されば、今又、わしのしてゐた事も悪い事とは思はぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの。ぢやて、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。(芥川、羅生門)

飢えに苛まれる下人は、老婆の理屈を逆手に取り、老婆の着物を奪います、

下人は嘲るやうな聲で念を押した。さうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の上をつかみながら、噛みつくやうにかう云つた。「では、己が引刷をしようと恨むまいな。己もさうしなければ、餞死をする體なのだ。」(芥川、羅生門)

著者は、ここで芥川が右と左(天皇のまなざし)に拘ったと言います。下人は

この場面では、”にきび”と太刀の関係が非常に注意深く書かれています。つまり「太刀」で老婆を支配し、その「太刀」を「鞘」におさめたので、「左手」で柄をおさえ、「右手」でにきびに触れられるようになったのです。その「にきび」が右頬にあることも繰り返し指摘されています。「右手」と「左手」両方に言及されていることからも、平安京が朱雀大路、すなわち天皇の法のまなざしの線によって右京と左京に分かれていることを強くこだわった表現で書いていることがわかります。 主人の家から羅生門まで歩いてきた下人は、天皇と同じ方向を向いていました。つまり、律令制の法の眼差しとしての天皇の眼差しに刺し貫かれていたわけです。しかし向きを反対に変えれば、その関係は転換します。法を破る者になるのです。(p133)

”にきび”は、指導書では若さの象徴ということになっていますが、著者は右(京)と左(京)つまり天皇の視線を喚起するための小道具だと考えます。

善と悪
ここでいったい何が問われているのかといえば、善悪の境界とはいったい何なのかという、国家と法と権力をめぐる根本問題です。
私たちはこれまで、善悪は二項対立するものだというふうに教えられてきており、指導書でも、最初は善の立場に立っていた下人が悪の方向に転換したというかたちで『羅生門」をまとめています。 しかし、善悪の境界は、そんなに簡単に二分化できるものではないということがここで提示されます。(p141)

多くの教師用指導書の最後には、芥川龍之介が『羅生門』を書くベースにした『今昔物語』の一節が出てきています。その『今昔物語』では、盗人になるためにわざわざ都に来た男が羅城門の上で老婆に会うという設定になっています。しかし、『羅生門』の下人はそうではなく、洛中で主人から免職にされて羅生門に来たたわけです。先に述べたように、その際には、洛中から洛外に出る羅生門に向かって歩くことになり、北から南へと進み、天皇の視線に射貫かれていたことになります。そして、羅生門に着いて、さあどうするかと考えますが、盗人になるなら都に残るしかありません。 盗んだものは売らなければ金には換えられないからです。そこで、都に残って天皇の眼差しに対抗して盗人になるという決断をしたならば、その瞬間に下人は天皇から見た右左とは真逆の右左を進む、つまり「盗人」に転換することになるのです。(p146)

文学はこう読むのだ!という著者の高笑いが聞こえてきそうです。読者は、「小森くん、書いてないことまで考えなくていいんだよ」と言ってもいいでしょうねw。

 『あの名作の"アブない"読み方!』では、教科書指導書の真っ当な読み方をサカナに、小森センセイが"アブない"読み方をするわけです。鴎外の挫折と戦争責任を重ねる『舞姫』、精神的な男色を持ち込んだ『こころ』、そして下人と天皇制の『羅生門』。それコジツケじゃないの?と言いたくなります。『あの名作の"アブない"読み方!』の読み方は、指導書の読み方を「正」として(これはこれで参考になる)、小森センセイの"アブない"読み方を「楽しむ」、これが正しい読み方ではないかと思いますw。

大人のための国語教科書 目次
一時限目 森鴎外「舞姫」
三時限目 芥川龍之介「羅生門」・・・このページ
四時限目 宮沢賢治「永訣の朝」
五時限目 中島敦「山月記」

タグ:読書
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最後の3日で仕上げる「読書感想文」 宮沢賢治『永訣の朝』 [日記 (2023)]

『春と修羅』 1.jpg
 小森陽一『大人のための国語教科書 -あの名作の"アブない"読み方!』を読んで、最短最速の「読書感想文の書き方」を見つけました。同書には宮沢賢治『永訣の朝』の詳しい解説が載っています。そうだ、詩を読んで読書感想文を書けばイイ!、詩は短いからすぐ読める!、青空文庫『春と修羅』にある!。で、小森センセイの本を参照にやってみました。但し、小森センセイの本は"アブない"読み方!ですから、これを丸写しにすると☓です。同書は、小森センセイが教科書の「指導書」を批判的に読んで「正しい」解釈を施すという本です。従って、この本の「指導書」の通りに感想文を書けば「合格」となります。原文の引用を使って原稿用紙3枚に収めます。

 教科書には『永訣の朝』以外にも、中原中也:サーカス、萩原朔太郎:竹、谷川俊太郎:二十億光年の孤独、高村光太郎:道程、石垣りん:表札、吉野弘:I was born などが掲載されているようです。これはという詩で感想文を書いてもいいでしょう。詩と言うのは意外と穴だと思います、詩はダメだと云う教師はいないはずです。
 俳句は17文字です、正岡子規と法隆寺をネタに「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の感想文を書いていいわけです。

 で『永訣の朝』です。永訣とは永遠の別れ、宮沢賢治が妹のトシの臨終を看取る詩です。起承転結の4段から成り立ち、それぞれに賢治の心の動きが詠まれています。詩の文言を引用して、賢治の心の動きを書きます。

 ポイントは、死に行く妹を前になす術のない賢治を、逆にトシが励ますことです。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」、雨雪(みぞれ)を取ってきて下さい、がそれに当たります。トシの優しさと「Ora Orade hitori egumo」(私は私でひとりで死を引き受けます)というトシの決意に賢治は勇気付けられます。そしてこれがポイントなんですが、妹の死という個人的な悲しみを、普遍的な祈りに昇華させます。「どうかこれ(賢治がトシのために取ってきた”あめゆじゅ”)が兜率の天の食となって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ」がこれに当たります。つまり「オチ」です。

 と云うことを、各段を適当に膨らませて書けばイイわけです。では書いてみます。

   ### 感想文 ###
宮沢賢治『永訣の朝』
           駄犬 ターボ

 『永訣の朝』は、宮沢賢治が妹のトシの死を看取る詩です。『永訣の朝』は4段から成り立っていると思われます。

第一段▼けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ ~ わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛び出した 
 →トシがあめゆじゅ(雨雪)を食べたいと賢治に頼み、賢治は庭に飛び出します。

第二段▼蒼鉛いろの暗い雲から ~ まつすぐにすすんでいくから
 →賢治は、トシが「あめゆじゅとてきてけんじゃ」と頼んだことは、彼女の気遣いだと気づきます。妹の死に兄である賢治は何もしてやれないわけです。トシは兄のその無念さを少しでも和らげようと、雨雪を取ってきてくれと頼むわけです。賢治はトシの優しさに気づおきます。
 第一段では、雨雪は「うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な雲」、「蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から降る」と表現され、気付いた後の第二段では、雨雪は「銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいのそらから降る」と肯定的に表現されます。

第三段▼はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから ~ このうつくしい雪がきたのだ
 →トシの (Ora Orade hitori egumo) が引用され、死に臨んで彼女の強い決意が記されます(だからローマ字?)。その姿は「やさしくあをじろく燃えているけなげないもうと」と表現されます。「雪と水の二相系」とはトシが生と死の間にいることを指していると考えられ、賢治が取ってくる「あめゆじゅ」の言い換えです。
 (うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)
このトシの言葉を賢治は第四段で受けます。

第四段▼お前がたべるこのふたわんのゆきに ~  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
 →賢治は、取ってきた雨雪がトシとみんなの聖なる糧となるよう祈ります。
「どうかこれが兜率の天の食となって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ」で、賢治が妹の死を悲しむ個人的な感情が、「妹とみんな」に昇華されます。普遍性に昇華されるわけです。

 この四つの情景を「方言」で結び、情景=賢治の想いが際立つ仕組みになっています。

 死んでゆく妹が食べたいと頼んだ雪の一椀が、妹を失う賢治の悲しみを癒し、自分を思いやるトシへの感謝、そして、天国き行く妹の幸せしあわせ及びみんなのしあわせを願う気持ちに変るという詩です。

   ### 感想文ここまで ###。
 これで1,077字、原稿用紙3枚。

【余談】
 わたしのblogの読書感想文では、山際淳司『スローカーブを、もう一球』、坂口安吾『ラムネ氏のこと』にアクセスが多いのですが、この夏は 馳星周『少年と犬』に多くのアクセスを頂いています。震災のトラウマで一言も口をきかなくなった少年と、震災の釜石から熊本まで旅した犬・多聞の物語です。これもこの夏亡くなった駄犬ターボの応援かもw。

【当blogの読書感想文】

小林多喜二 『蟹工船』・・・青空文庫利用
芥川龍之介 『藪の中』・・・映画併用、青空文庫利用
山際淳司  『スローカーブを、もう一球
須川邦彦  『無人島に生きる十六人』 ・・・青空文庫利用
坂口安吾  『ラムネ氏のこと』 ・・・青空文庫利用
藤沢周平  『蝉しぐれ』・・・原稿用紙約3枚
吉村昭   『漂流』 ・・・原稿用紙約3枚
笹本稜平  『春を背負って』 ・・・原稿用紙約3枚
遠藤周作  『沈黙』 ・・・原稿用紙約3枚
百田尚樹  『海賊とよばれた男
夏目漱石  『こころ』・・・定番!
西村 淳  『面白南極料理人』・・・映画もあり
佐藤 剛  『上を向いて歩こう』・・・お馴染みの歌の話
門井慶喜  『銀河鉄道の父』・・・宮沢賢治です
馳星周   『少年と犬』・・・1910文字
伊集院静  『ノボさん』・・・1100文字
司馬遼太郎 『故郷忘じがたく候』・・・原稿用紙約3枚
川村裕子    『現代語訳 和泉式部日記』・・・原稿用紙約5枚
田渕久美子   『ヘルンとセツ』・・・原稿用紙約3枚
宮沢賢治  『永訣の朝』・・・このページ

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小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 森鴎外「舞姫」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)トラウマ
 この本が出版された平成20年の時点で、『舞姫』を採録している高校教科書は15種あるそうです。著者は、明治21年の『舞姫』が平成の教科書に採用される要因を教師用指導書に沿って推理します。

本教材の主題は戦後長く、敗戦後知識人の屈折した意識を反映し、〈近代的自我の覚醒と挫折〉の物語とされ、〈挫折〉の原因を明治という時代の過渡性や近代的自我覚醒の度合いに求めてきた。(三省堂、教師用指導書)

自分の子供を身ごもった恋人を棄てる小説が〈近代的自我の覚醒と挫折〉の文学とされます。近代的自我の「覚醒」とは

留学した直後は、立身出世コースを目指して豊太郎は頑張っているわけですが、ドイツで三年間暮らしているうちに、そうした望みを持っていたのは「まことの我」ではなかったことに気がつきます。これまでの生き方は母親に方向づけられたり、国家に方向づけられたりしていたのであって、自分の考えに基づいていなかったことに気づく。その「近代的自我の覚醒」を前提に、留学三年後に「まことの我」に目覚める...(p26)

ことです。「挫折」とは言うまでもなく、帰国して役人に戻るために身ごもったエリスを棄てることです。「恋」と「立身出世」の二者択一を迫られた豊太郎が、立身出世を選択することです。近代的自我は、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」という明治の倫理にいとも容易く破れます。著者は、この挫折を

戦争を阻止できなかった戦後知識人たちにとって 、「近代的自我の未成立」という論理は、戦争責任を回避する自己弁明のために、党派は違ってもきわめて有効だったわけです。その原点として、明治初期の知識人として太田豊太郎が選ばれたのです。(p22)

豊太郎の挫折と戦争を回避出来なかった言い訳を重ねる高校生はいないと思いますが、著者は教師用指導書はそのように誘導していると言います。この戦争のトラウマが、延々何十年にもわたって高校教科書に掲載される要因だというのです。

裏切りよりも重き罪
 著者は、『舞姫』がエリスを棄て日本に向かう船上(サイゴン)で書かれていることを指摘します。すべてが終わった時点でベルリンでの過去を振り返るわけですから、過去は豊太郎によって「脚色」された過去だと云うのです。つまりは言い訳、正当化が可能。

 豊太郎は天方伯の帰国要請を受け入れエリスと別れると答え、冬のベルリンをさ迷い人事不省となります。

人事不省になって這いながら部屋にたどり着き、ドアを開けるまでは豊太郎の視点です。しかし、「『あ』と叫びぬ。『いかにかし玉ひしおん身の姿は』」というエリスの台詞のすぐあと、「驚きしも宜なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪は蓬ろと亂れて」という部分は、エリスが見たであろう自分の姿を豊太郎が書いているのです。
どうしてエリスに見られた姿を自分で書かなければならなかったのでしょうか。
それは、それほどまでにそのときの自分はぼろぼろで、エリスにもそう見られていたはずだという読者への訴えです。この部分を書かなければ、このあとエリスが発狂してしまったことに対して自分の責任を逃れることができないからです。(p56)

つまりは脚色です。如何に脚色しようが豊太郎の罪は明白です。「伝統的和文脈の中に欧文脈の要素を取り入れた雅文体は格調高く、実に美しい調べを持っている(教育出版、高校教師用指導書)」にしてもです。個人的には、鴎外は豊太郎がエリスを裏切る場面を描けなかった、人事不省に陥らせ、相沢にその役目を押し付けたのだと思いますが。

 本稿には、「裏切りよりも重き罪」というキャプションが付きます。この「罪」とは、雅文体の陰で「裏切りは仕方がなかった」と記す豊太郎=鴎外の「自己弁護」「韜晦」です。三時限目、芥川「羅生門」に続きます。

大人のための国語教科書 目次
一時限目 裏切りよりも重き罪ー森鴎外「舞姫」・・・このページ
二時限目 先生の「愛」の告白―夏目漱石「こころ
三時限目 下人は天皇に物申すー芥川龍之介「羅生門
四時限目 修羅が書き付けた涙ー宮沢賢治「永訣の朝
五時限目 虎より恐ろしき友ー中島敦「山月記

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森鴎外 舞姫(1890日) (2) 明治21年の裏切り [日記 (2023)]

舞姫
IMG_20230118_0001.jpg1886年、ドイツ時代の鷗外(右端)
 続きです。鴎外はなぜエリスを日本から追い返したのか?、エリスの後を追ってドイツに行かなかったのか?。
 鴎外は津和野藩の典医を務める家に生まれ、祖父、父は婿養子、鴎外・森林太郎は久々の跡継ぎとして誕生します(1862,文久2年)。9歳で四書五経をマスターする神童、つまり森家の期待の星。明治5年10歳の頃一家を挙げて上京、明治6年に12歳で東大医学部に入学し明治15年陸軍省に入省、明治17年に選ばれてドイツ留学と順風満帆。明治5年の一家を挙げての上京も森家再興のためであり、これを主導したのは神童・林太郎を擁する峰子ではないかと思います。『舞姫』に於いても、この母親は重要な位置を占めます。

(成績はいつも一番で)一人子の我を力になして世を渡るの心は慰みけらし
・某省に出仕して、故郷なるを都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり
・五十を踰(こえ)に別るゝをもさまで悲しとは思はず
・余は父の遺言を守り、の教に従ひ
・早く父を失ひての手に育てられし
・一はの自筆、一は親族なる某が、母の死を、我がまたなく慕ふの死を報じたる書なりき。余はの書中の言をこゝに反覆するに堪へず

等など。鴎外は父親を「殺し」、豊太郎を母ひとり子ひとりの境遇に設定します。重要な点は、母と国家が一体化されていることです。官僚としての栄達(立身出世)が国家の繁栄と同義となり、家の再興、孝行に繋がります。エリスと同棲を始めて馘となった時点で、この立身出世→報国→孝行という連関が崩れてしまったわけです。

 母親の自筆の手紙と母親が亡くなったと云う親族の手紙が届きます。

余とエリスとの交際は、この時までは余所目に見るより清白なりき。

母親という「タガ」が外れたためか、豊太郎はエリスと「潔白でない関係」となります。同時に国家のタガも外れていますから、豊太郎はこのままエリスとやがて生まれてくる子供とドイツ暮らすことも出来たはずです。ところが、相沢と天方伯が登場し、豊太郎は帰国を決意します。

若しこの手にしも縋がらずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ)きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起れり。

 豊太郎はエリスを棄て、鴎外は結婚するためエリスを日本に連れ帰ります。森家の跡継ぎが青い眼の女性を連れ帰り、結婚すると云うのですから大騒ぎになります。森家はこぞってエリスとの結婚に反対し、その先鋒は母親・峰子だったと想像されます。鴎外も、「私」より家が優先される明治の倫理に従う他はなかったわけです。まして幼い頃から薫陶を受けた峰子の意向に逆らえなかったのです。進退極まった鴎外は、後を追うと嘘をついてエリスを帰国させる他なかったのです。

余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。

 親の教えを守り陸軍省のエリートコースを走ってきた鴎外は、ヨーロッパの自由の風当たってまことの我に目覚めます。豊太郎がエリスを棄てた様に、鴎外もエリスをドイツに追い返します。「近代的自我の覚醒と挫折」です。

七時に艀に皆乗り込んで、仏蘭西本船まで見送ったのです。 人の群の中に並んで立っている御兄い様(鴎外)の心中は知らず、どんな人にせよ、遠く来た若い女が、望みとちがって帰国するというのは、まことに気の毒と思われるのに、舷でハンカチイフを振って別れていったエリスの顔に、少しの憂いも見えなかったのは、不思議に思われるくらいだったと、帰りの汽車の中で語り合ったとの事でした。 (小金井喜美子『森鴎外の系譜』)

エリスは、見送りに来た鴎外の「ベルリンで待っている」という言葉を信じハンカチイフを振ったのです。このとき鴎外はドイツに行くことはないと自覚していたでしょう。鴎外は母・峰子が代表する「家」に破れたのです。エリスの振るハンカチの白さは、生涯にわたって鴎外を苦しめたはずです。 この項お終い。

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森鴎外 舞姫(1890日) (1) わたしが・棄てた・女 [日記 (2023)]

舞姫
 六草いちか『 すべてのナゾがこれで解けた!! 鷗外「舞姫」徹底解読』を読んだのですが、ひとつ疑問が残ります。鴎外は異国で「女を棄てる話」を何故小説に書いたのかです。改めて読み直してみました。

わたしが・棄てた・女
 『舞姫』は、明治21年ベルリン、太田豊太郎と踊子エリスの恋物語です。一言で言えば、豊太郎が困窮するエリスに父親の葬儀費用を出し、それが縁で同棲。大使館にバレて豊太郎は留学を打ち切られます。日本から来た友人の斡旋で大臣の通訳となり、帰国して役人に復帰するため妊娠したエリスを棄てる話です。『わたしが・棄てた・女』の明治版です。

 昔読んだ時、「文豪」鴎外は恋人を棄てその顛末を小説に仕立て上げたのか…ということでした。今回読んでもその感想は変わりません。良く言えば『舞姫』は懺悔あるいは言い訳の小説です。懺悔、言い訳でいいのですが、鴎外がズルイのは豊太郎を人事不省に陥らせ、帰国を相沢の口からエリスに伝えていることです。豊太郎の裏切りと共に、これは小説家・鴎外の裏切りに他なりません。裏切りを告げると云う際どい核心から逃げたわけです。豊太郎が人事不省から回復すると、エリスは狂女となっており、すべては解決しています。

余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の涙を注ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上りしときは、相沢と議りてエリスが母に微かなる生計を営むに足るほどの資本与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しし子の生まれむをりの事をも頼みおきぬ。

「微かなる生計を営むに足るほどの資本」とは今で言えば手切れ金。おまけに、泣き言が相沢に向けられます。

鳴呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。

相沢が豊太郎の帰国をエリスに告げなかったら別の道が開けたのか?(日本に連れて帰る?、鴎外が実際に取った手段はこれでした)。

裏切り
 鴎外は、1888年(明治21年)9月8日に帰国、後を追うように9月12日にエリスが来日します。家族に結婚を反対された鴎外は、後でドイツに行くからとエリスを追い返します。エリスは10月17日帰国、日本滞在はわずか1ヶ月。鴎外は結局ドイツを訪れることはなく、4か月後には親の勧める赤松登志子と結婚しています。
 1889年、親友・賀古鶴所(舞姫の相沢に相当する人物)が視察でベルリンを訪れ、鴎外の結婚をエリスに伝えた様です。賀古は10/2に帰国し、翌月『舞姫』が書き始められます。『舞姫』の「 我豊太郎(林太郎)ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」は、エリスが賀古に投げつけた言葉だと六草いちか氏は推測しています。

 ドイツから恋人が追いかけてきたというスキャンダルは鴎外の周囲で話題となります。鴎外は小説の形で決着を着けようとしたのでしょう。発表に先立ち、1889年暮に朗読会を催して事の顛末を家族に告白しています(小金井喜美子『森於莵に』)。鴎外は、小説として発表して周囲の理解を得る以上に、人として決着を着ける必要があったと思われます。但し弁解の余地はありませんから、美文で韜晦した懺悔、言い訳の物語となります。続きます

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六草いちか 鷗外「舞姫」徹底解読  (2022大修館書店) [日記 (2023)]

すべてのナゾがこれで解けた!!鷗外「舞姫」徹底解読
鴎外の恋 舞姫エリスの真実 (河出文庫 ろ 1-1)
正確な書名は『すべてのナゾがこれで解けた!! 鷗外「舞姫」徹底解読』ですが、簡略化w。六草いちか『鴎外の恋』『それからのエリス』に続く第三部、というか鴎外『舞姫』の副読本みたいなものです。

声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり
余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて忽ちこの欧羅巴の新大都の中央に立てり。何等の光彩ぞ、我が目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我が心を迷はさむとするは。 

 鴎外がベルリンに到着したのは11月11日夜。翌12日の朝、ホテルの前からベルリンの街を眺める件です。「功名の念と、検束に慣れたる勉強力」とある辺りは明治の青年の心意気でしょう。本書はこの一節を、

豊太郎の視線は、まずはウンター・デン・リンデンのある一か所に立って、周りをじっくと見渡したのち、印象的な場所をウンター・デン・リンデンの東の端から順に、王宮殿前の道から見上げた皇帝の角窓、パリ広場まで来て噴水、パリ広場の真ん中から西を向いてブランデンブルク門とその向こうに見える緑樹、そして、ブランデンブルク門の向こう側に中て、ティアガルテンの森の小路に立ち、遠くに浮かんで見える F戦勝記念塔を見る・・・・・・と、に辿っていることが分かる。

ベルリン在住30余年の著者ですからお手のもの。続いて豊太郎とエリスが出会うくだり、

鎖したる寺門の扉に降りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。

 著者は鴎外の下宿から、エリスに出会った教会を特定します。よく調べていますが、鴎外がウンター・デン・リンデン何処に立ったか、エリスとどの教会の門の前で出会ったかは、さほど興味を引きません...。

我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか
 『鴎外の恋』で尽くされていますが、著者の功績は、エリス(本名エリーゼ)が鴎外を追って来日し、鴎外はエリスを追い返したと云う伝説を覆したことです。実は、鴎外はエリスと結婚する積もりで彼女を日本に連れ帰ったのです。鴎外は上司と供に帰る必要があったためふたりは別便となり、エリスの船が先に出航し鴎外に遅れて横浜に着いたため「追いかけてきた」という伝説が生まれます。
 両親を始め周囲の反対でエリスとの結婚は挫折。エリスは泣く泣くドイツ帰ったかというと、笑顔で見送りの鴎外等にハンカチを振って帰ったといいます(小泉喜美子『森鴎外の系譜』)。何故かと云うと、エリスの後を追って鴎外がドイツ向かうという約束が出来ていたためです。結局、鴎外はドイツに行きませんでした。エリスが帰国した4ヶ月後には親の決めた相手、赤松登志子と結婚します。

 著者は、鴎外の親友・賀古鶴所が山縣有朋の欧州視察の随員としてドイツを訪れ、エリスに会ったと想像します。

(賀古は)ベルリンでエリーゼを訪ね、鷗外が結婚したことを告げたのだろう。「舞姫」の中のやり取りが、エリーゼと賀古の間で交わされた内容を元に書かれたものであるなら、「舞姫」のこの情景が生々しく浮かび上がる。

我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか

 著者の推測では、ドイツを訪れていた親友・賀古が1889年10/2に帰国してエリスの様子を鴎外に伝え、鴎外はエリスとの思い出を葬るために『舞姫』を執筆したのではないか?。鴎外は同年11月『舞姫』執筆し、1890年1月発表します。鴎外とエリスの文通はその後続いていたようです。(小堀杏奴『晩年の父』)
 つまるところ、鴎外は森家の期待を裏切れなかったわけです。津和野藩の典医を務める家に生まれ、祖父、父は婿養子、鴎外・林太郎は久々の跡継ぎとして誕生します。9歳で四書五経をマスターする神童、つまり森家の期待の星。1872年(明治5年)10歳の頃一家を挙げて上京、鴎外は1873年(明治6年)11月に12歳で東大医学部に入学し1882陸軍省入省、1884年(明治17年)に選ばれてドイツ留学と順風満帆。ところが自慢の息子は青い眼の女性を連れ帰り結婚すると云うのです。

自分は失望を以て故郷の人に迎へられた。 それは無理もない。自分のやうな洋行帰りこれまで例の無い事であつたからである。これまでの洋行帰りは、希望に輝く顔をして行李の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覧に入れることになつてゐた。自分は丁度その反対の事をしたのである (鴎外『妄想』)

 後を追うとエリスをなだめて追い返し、留学までさせてくれた陸軍省を辞めることも出来ず、結局エリスを「欺く」わけです。鴎外を裏切り者とみるか、明治時代の「家」に押し潰された犠牲者とみるかは難しいところです。

 文学評論だと思って読むと間違います。ノンフィクション、あるいは鴎外の事蹟を訪ねる観光案内書としては、いいかも知れません(地図や写真も豊富です)。重要な点は『鴎外の恋』で言い尽くされています。

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