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李志綏 毛沢東の私生活 (上) (文春文庫1996) [日記 (2020)]

毛沢東の私生活 上 (文春文庫)  「暴露本」が話題となっていますが、本書も四半世紀前の暴露本です。暴露の相手は何しろ毛沢東ですから、大統領再選のために仮想敵国にすり寄ったり、外交成果より写真写りが大事なトランプさんとは、その破壊力とスケールが違います。

 1949(毛沢東との初対面は1955)~1976年の20年間、毛沢東と身近に接した主治医によるノンフィクションです。毛沢東は私の世代では、何より「造反有理」のスローガン。日中戦争、国共内戦を戦い中華人民共和国を建国した英雄であり、文化大革命という権力闘争で数百万の犠牲者を出した独裁者でもあるわけです。毛沢東がどんな素顔を持っていたのか?、文春、週刊現代の気分で読んでみました。あわよくば、文革や林彪のクーデターの裏話も知ることができればと。

曾祖父の面目失墜事件も頭にうかんだ---同治帝が梅毒にかかっていると正直に主張して生母、西太后の不興を買ったあげくに曾祖父は降格、譴責の処分を受けた。この一件は代々語りつがれ、子孫は二度と宮廷の侍医をつとめるべきではないという家憲が生まれたのではなかったか。

 著者は4代にわたる医者の家系(代々漢方医、李志綏は西洋医学)で、権力には仕えるなという家訓を違えて毛沢東の主治医となります。主治医ですから毛沢東の行くところ何処へでもお供をし、雑談の相手もさせられ、中華人民共和国・首席の表の顔も裏の顔もつぶさに知ることとなります。

毛沢東の宮廷
 主治医ですから毛沢東の病気には何でも対処しないといけないわけで、例えばインポテンツ。毛はことのほか好色で、ダンスパーティーを催しては若い女性を寝室に引き入れていたようですから 、この病気は本人にとっては深刻。笑ってはいけません。

主席は鹿の角のエキス使用には固執しなかったが、インポテンツ治療と長命持続のあらたな手をみつけるよう厳命した。この点でも、ほかの多くの問題と同様、歴代皇帝のやり方を毛は踏襲したのだった。

この問題以外でも毛は自らを歴代皇帝に重ねていたようです。毛は中国の歴史書、なかでも『二十四史』を愛読していたと言います。

毛の歴史観は大多数の中国人とはなはだしく異なるものであった。彼の政治観には道徳など入りこむ余地はなかった。その毛沢東が中国の歴代皇帝におのれを擬すばかりか、最高の敬意を史上最高の無慈悲かつ残忍な暴君のためにとっておいたことを知って、私は非常な衝撃を受けた。目的を達するためならば、どんな冷酷かつ専制的な方法を用いることも辞さない気だった。

 「酒池肉林」と悪逆非道で有名な殷王朝の紂王、「焚書坑儒」で有名な中国統一の始皇帝、隋の暴君・煬帝など、一癖も二癖もある皇帝がお気に入り。

 酒池は無いが肉林はある生活で、側近は毛に女性を取り持ち、豪華な専用列車(なんとベッド、トイレ持参)を仕立てる「首席の大名旅行」などを読むと(つい半島の首席を連想しますが)、毛沢東はさながら中華人民共和国の皇帝です。この主治医に言わせると、毛が暮らす中南海は、「宮廷の宦官、讒言と嫉妬が渦巻く毛沢東の宮廷」だと言います。
 広大な国土と国民を統治するためには、儒教や共産主義ような思想、皇帝や毛沢東のような独裁者が必要なのかも知れません。

百花斉放、百家争鳴(1957年)
 いよいよ権力闘争の話。毛沢東は、「私は国家首席を辞める」という噂を流しナンバー2の劉少奇や鄧小平を油断させます。劉少奇が、次の首席はオレだとばかり第八回党大会で集団指導制の推進、個人崇拝排除打ち出して毛沢東思想を削除すると、毛はすかさず反撃に出ます。「主観主義、セクト主義、官僚主義」を一掃する名目で党内の「整風運動(百花斉放百家争鳴)」に着手します。謂わば「マッチポンプ」。
 整風運動は、知識人や民主勢力を使って共産党を自由に批判させ 、自分に批判的な党幹部を追い落とし、同時に右派を炙り出し、反右派闘争を起こしてこれを潰そうという巧妙な作戦。
 著者によると、

いまから顧みると、一九五七年における毛沢東の整風運動は、いわば早産の文化大革命だったと思われる。こんにち一九五七年についてもっとも記憶に残るのは党外の右派分子にくわえられたテロルである。ところが最初のうち、毛沢東にとっての敵対者はじつは党内の最高幹部たちであり、彼を軽視してその権力を削減しようとし、毛がユートピア的な社会主義の夢(大躍進)に猛進しようと主張した際に警告を発した人々なのだ。(p341)

 この反右派闘争で50万人が殺されたり収容所送りとなったそうです。

三年後の一九六〇年になってはじめて、つまり時の外相・陳毅が私に対し五十万人が右派分子の烙印をおされたと語ったとき、私はその数字が大きすぎると思い、大半は故意に告発されたものと察したのである。何よりもやりきれないのは、いろいろな職場で右派分子の摘発が割当制になっていたという事実だ。どこの職場でも、要員の五パーセントが右派分子の罪ありと宣言しなければならなかった。

 右派分子の狩り出しは要員の5%の割当制!。組織単位で、(右派であるかどうかは別に)5%の人間を右派として告発したということです。百花斉放、百家争鳴で炙り出された右派は3000万人。毛沢東は3000万にのぼる「人民の敵」がいることを知ります。「中国は人口が多い」とは毛沢東の口癖だった。「少しくらいうしなっても余裕たっぷりだ。たいした問題じゃない」。後の「大躍進」政策の失敗による餓死者は3500~7000万人、文化大革命の犠牲者は数百万人と言われますが、毛沢東にとってみればたいした「問題じゃなかった」のでしょう。

大躍進(1958~61)

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劉慈欣 三体 ② (早川書房2019) [日記 (2020)]

三体続きです。
紅岸プロジェクト
 葉文潔や汪淼(おうびょう)の登場する現実世界はというと、なんと地球外知的生命体探査計画。アメリカにオズマ計画がありましたから、中国にあっても不思議はありません。計画は、〈紅岸〉の巨大なパラボラアンテナによる地球外生命体からの電波の受信と、メッセージの送信。メッセージの第一稿が「笑う」ので引用、

このメッセージを受信したみなさんに告げる。このメッセージは、地球上の革命的正義を代表する国家によって送信された。みなさんは、このメッセージ以前に、同じ方向から送信された別のメッセージをすでに受けとっているかもし しれない。 それらのメッセージは、地球上の、ある帝国主義的超大国により送信されたものであり、その超大国は、地球上のもうひとつの超大国と世界の覇権を争い、人類の歴史を後退させようとしている。彼らの嘘に惑わされることなく、正義の側に立ち、革命を支持してほしい

さすがにこれは採用されなかったようです。どの国が異星人と最初に接触するか、中国はファーストコンタクトによってパワーバランスが崩れることを恐れ、巨額の資金を計画に投じたわけです。政治と国益が優先される国のSFらしいです。

 紅岸基地で葉文潔が地球外知的生命体からのメッセージを受信したことから、ストーリーは中核に入ります。メッセージは「応答するな!」。さらに

この世界はあなたがたのメッセージを受けとった。わたしはこの世界の、ある平和主義者です。・・・もし応答したら、送信源の座標はただちに特定され、あなたがたの惑星は侵略される。あなたがたの世界は征服される!
応答するな! 応答するな!! 応答するな!

葉文潔は応答します、

来て! この世界の征服に手を貸してあげる。わたしたちの文明は、もう自分で自分の問題を解決できない。だから、あなたたちの力に介入してもらう必要がある。

 『三体』が紅衛兵の「批闘会」で幕を開けた理由はここにあります。葉文潔は母校の教授として北京に帰り、1967年の批闘会での父・葉哲泰を殺した紅衛兵を探し当てます。紅衛兵のひとりはこう言います。

「最近、『楓』という映画が公開されてね」と片腕の女が言った。「あんたが観たかどうか知らないけど、映画の最後に、セクト争いのあの時代に死んだひとりの紅衛兵の墓の前で、大人がひとりと子どもがひとり、じっと立ってるんだ。 『この人たちは英雄だったの?』と子どもが訊ねると、大人は『いや、違う』と答える。『敵だったの?』と子どもが訊ねると、大人はまた首を振る。『だったらこの人たちはなんだったの?』と訊かれて、大人はこう答える。『歴史だ』」

 文化大革命は1963年生まれの劉慈欣の世代にも、影を落としているようです。

 メッセージは地球から4.3光年離れたケンタウルス座の三連星から送られたものであり、ゲーム「三体」のVRは、3つの太陽を持つ惑星の知的生命体「三体人」の世界を映したものだったわけです。葉文潔は地球外知的生命体とのファーストコンタクトに成功したのです。
 ゲーム「三体」のプレヤーを中心に三体人の地球来訪を歓迎する「地球三体協会」が作られ、彼らの情報提供によって三体人の地球移住(侵略)計画が始まります。これを知った地球人はエイリアンの侵略に備え、イデオロギーと国を越えて団結することになります。

智子プロジェクト
 「32.監視員」、「33.智子プロジェクト」の2章で、三体文明が描かれ、前半で提出された謎が解かれます。

 三体文明は何故「応答するな!」というメッセージを返信してきたのか?。三体文明にも地球同様に「地球外知的生命体探査計画」があり監視員がいたわけです。地球に人間に絶望した葉文潔がいたように、三体世界にも三体文明に絶望した三体人が存在し、応答すれば地球の位置が突き止められ征服されることを知っている「監視員」は、地球を救おうとしたわけです。
 何故裏切ったのかと問われて、監視員は、

われわれの生活をごらんください。すべてが生存という目的に捧げられています。文明を生き延びさせるために、個人はほとんどまったく尊重されていません。働けなくなった者には死が与えられます。三体社会は極端な専制のもとに存在しています。・・・わたしにとってもっとも耐えがたいのは、単調で枯渇した精神生活です。精神的な弱さにつながる可能性のあるものは、すべて邪悪なものと見なされます。われわれには文学も芸術も、美の追求も娯楽もありません。愛について語ることさえできません……元首閣下、このような人生に意味があるのでしょうか?

何処の国のことを言っているんでしょうw。
 
〈三体ゲーム〉〈カウントダウン〉〈科学の崩壊〉どうやって生じたのか?。

地球人類は狩猟時代から農耕時代まで、十数万地球年を費やしています。また、農耕時代から蒸気機関時代までは、数千地球年を費やしました。しかし、蒸気機関時代から電気時代までは、わずか二百地球年です。その後の数十地球年で、彼らは原子力と情報化の時代にまで到達しました。つまり、地球文明の技術的発展は、恐ろしいけど加速しているのです!。


三体人の宇宙船の速度光速の1/10。地球に到達するには430年かかり、その間に地球の文明は進化し、宇宙船が着いた頃には三体文明を凌いでいる可能性がある。これはまずい、地球文明の進化を止めるために考え出されたのが〈智子(ちし)プロジェクト〉。

第一の計画は、コードネーム ”染色”
 科学技術の副作用を強調することで、大衆が科学に対して恐怖と嫌悪を抱くように仕向けます。たとえば、われわれの社会で技術の発展にともなって生じる環境問題ですが、これは地球上にも存在するはずです。染色計画はこの要素をフルに活用します。

第二の計画は、コードネーム”奇跡”
 地球世界に奇跡を顕現させます。つまり、地球人にとって超自然的としか思えない力を見せるのです。この計画は、いくつかの奇跡を通じ、科学の論理では説明できない、いつわりの宇宙をつくりだすことが目的です。そのようなまぼろしを一定期間でも維持できれば、地球世界では、三体文明が宗教的崇拝の対象となるかもしれません。地球の思想界では、非科学的な思想や方法論が科学的な論理を圧倒し、すべての科学的な思考体系を瓦解させるでしょう。

 この”染色”と”奇跡”によって科学が崩壊し、三体ゲームよって三体文明を崇拝する地球三体協会が生まれたのです。4.3光年離れた三体人はどうやったのか?、その手法は「陽子のスーパーインテリジェントコンピューター化」。陽子を二次元に展開し→そこにコンピューターの回路を書き込み→11次元に圧縮?して…とかで何のことか全く理解不能。その陽子を地球に送り込んでと、まぁSFですからこれでいいんでしょう。

 カウントダウンがカメラに写り込む謎です。陽子のスーパーインテリジェントコンピューターが悪さをしているわけですが、何かというと、警告。ナノ素材は「宇宙エレベーター」を可能とする技術で、三体人はこれを止めたかったわけです。カウントダウンが終了すると何が起こるか書いてませんが、陽子コンピューターですから何でもできそう。第二部以降で、宇宙エレベーターを建造して三体人を迎え撃つのでしょう。

 『三体』は三部作の第一部。第二部以降で三体文明vs.地球の戦いが始まるのでしょう。『三体』の面白さはSFの部分もさることながら、「中華人民共和国」がチラチラ覗くところです。読み様によっては、これはSFの形を借りた立派な体制批判です。
 荒唐無稽が気にならない人にはオススメです。 三体Ⅱへ

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劉慈欣 三体 (早川書房2019) [日記 (2020)]

三体  オバマ前大統領が絶賛して話題となった、中華SFです。
紅岸
 1967年、中国。紅衛兵による批闘会(大衆団交、吊し上げ)で幕が上がります。吊し上げられるのは理論物理学者の葉哲泰。葉の相対性理論やビッグバン理論の講義が反動的だと批判され、彼の妻も批判の先頭に立ち、葉は批闘会で暴行を受け死亡します。狂気のもとで理性圧殺され、母親が我が身を護るために夫を裏切るという、一切を目撃した娘の葉文潔は、

人類のすべての行為は悪であり、悪こそが人類の本質であって、悪だと気づく部分が人によって違うだけなのではないか。人類がみずから道徳に目覚めることなどありえない。自分で自分の髪の毛をひっぱって地面から浮かぶことができないのと同じことだ。もし人類が道徳に目覚めるとしたら、それは、人類以外の力を借りる必要がある。

と考えるようになり、これがネタ振りとなります。
 反動、反革命の父親を持つ文潔は、大興安嶺の建設現場に飛ばされ、学生時代に書いた天体物理学論文に注目した政府の科学者によって〈紅岸基地〉にスカウトされます。紅岸とは、巨大なパラボラアンテナを持つ軍の研究施設。

三体
 タイトルの「三体」とは。主人公のひとり汪淼(おうびょう)が体験する三つ太陽が存在するヴァーチャルなnetゲーム。三つの太陽があるために季節に法則性がなく、極寒と極暑によって文明は興亡を繰り返す世界。文明を生き延びさせれば、プレーヤーのグレードがアップし、汪は様々な文明でプレーします。ゲームですから何でもアリ、ゲームには中国の古代王・周王からガリレオ、ニュートンからフォン・ノイマンまで登場し、ステージ終わりには、

文明#183は三太陽の日によって滅亡しました。この文明は中世レベルまで到達していました。長い時間のあと、生命と文明が再起動します。『三体』の世界で予測不能の進化がふたたびはじまるでしょう。しかし、この文明で、コペルニクスは宇宙の基本構造を示すことに成功しました。三体文明は、最初の飛躍を遂げたのです。ゲームはレベル2に到達しました。
『三体』レベル2へのログインをお待ちしています。

といったメッセージが現れゲームは終了します。この三体の世界がVRの世界なのか、”異界”が投影されたものなのかは不明。スピルバーグの『レディー・プレーヤー1』のような、ゲームと現実がクロスオーバーしたSFです。
 一番面白いのが、ニュートン、ノイマンと秦の始皇帝の登場する文明”#184”。ノイマンは、3人の兵士を一人の〈出力〉兵士、ふたりの〈入力〉兵士に分け、にそれぞれ白と黒の旗を持たせます。

・〈入力1〉兵士が●旗、〈入力2〉●なら〈出力〉兵士は●旗を揚げる
・〈入力1〉●、〈入力2〉○なら〈出力〉兵士は○
・〈入力1〉○、〈入力2〉●なら〈出力〉兵士は○
・〈入力1〉○、〈入力2〉○なら〈出力〉兵士は○

という〈論理積〉ゲートと逆の〈論理和〉等を1千万組、3千万人!からなる計算陣営(コンピュータ)を作り、「秦1.0」というOSを動かし、3つの太陽の軌道を計算します。3千万人の人力コンピュータなど、13億の人口を抱える中華SFならではの発想です。
 で計算は成功するのですが、3つの太陽が三恒星直列を起こし文明#184は崩壊。

 汪淼はナノマテリアルの研究者。この汪のライカM2にカウントダウンの数字が写り込むようになります。フィルムカメラにカウントダウンの時刻が写るなどあり得ず、超常現象?。やがて汪の視界にもこの数字が現れるようになります。カウントダウンは、汪の開発するナノ素材製造装置に関連があり、装置を止めると消え、稼働させると再び現れます。さらに、基礎研究の科学者が自殺する事件が続発し、「衝突型加速器」を使った実験では毎回異なる結果が出るという、これも有り得べからざる事態が起きます。「誰かが科学を殺そうとしている!」。

 〈紅岸〉〈三体ゲーム〉〈カウントダウン〉〈科学の崩壊〉と謎に引きずられてページをめくることになります。オバマさんがハマったのも分かります。

続きます

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今年最初のセミ [日記 (2020)]

IMG_0300.jpg
 梅雨明けは未だですが、4~5日前からセミが鳴いています。窓の外にセミが来たので初Shot。

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映画 タクシー運転手(2017韓) [日記 (2020)]

タクシー運転手 約束は海を越えて [DVD] 「光州事件」を描いた映画だというので観てみました。文在寅大統領は、光州事件の40周年式典でこの民主化運動を讃えています。光州事件を風化させないことが、文在寅のレゾンデートルでもあるわけです。
 この映画は、観客動員数1000万人以上、韓国映画史上10番目に動員数の多い映画だそうです。

 タクシー運転手のキム(ソン・ガンホ 宋康昊)は10万ウォンの報酬に釣られ、ドイツ人ジャーナリスト・ピーター(トーマス・クレッチマン)を封鎖された光州に運びます。

 光州事件を映画にすると、普通であれば『光州5.18』のように、市民・学生の民主化運動とそれを弾圧する軍事政権の構図として描かれるはずです。光州事件には全羅道と慶尚道の対立、全羅南道出身で後の大統領・金大中の逮捕などの背景があります。そうした光州事件の「根」みたいなものが描かれるのかと思ったのですが、『タクシー運転手』では、光州事件の中核である民主化運動と軍による弾圧は、弾圧を世界に伝えようとする外国人ジャーナリストとジャーナリストに協力する韓国庶民に”見事に”置き換えられます。

 ソン・ガンホ演じるキムは、政治的背景の全く無い個人タクシー運転手。妻を亡くし幼い娘とふたりソウルの片隅で暮らす庶民。その庶民が光州事件にまきこまれ、負傷者を助け事件の惨状を記録したフィルムを国外に運び出すために軍と闘います。民衆や学生の主張が描かれるわけでもありません。軍がデモを制圧する様、無抵抗の市民に銃を向け発砲する様が描かれるだけです。キムは同胞が同胞を殺戮する惨状を見て変わるわけです。民主派も軍事政権もありません。強い者が弱い者を虐めることに義憤を感じただけです。タクシー運転手の、この単純でストレートな正義感が、1000万人の足を映画館に運ばせたのでしょうが、そこにあるのは光州事件の風化に外なりません。

 ドイツ人ジャーナリスト・ピーターの存在がストーリーから浮いています。実話だそうですから登場しないわけにはいきませんが、ピーターはハングルが話せず、キムの英会話もカタコトで、主要なふたりコミュニケーションは成立せず、ソン・ガンホの熱演の側でトーマス・クレッチマンはボーッと立っているだけ。光州事件を世界に発信したいジャーナリストと、彼の正義感よりもソウルに残してきた娘が心配なタクシー運転手との確執と葛藤があってはじめて軍とのカーチェイス、金浦空港別れが生きてくるはずで。これは脚本の問題でしょう。トーマス・クレッチマンの出演料は高かったはずで、モッタイナイ。トーマス・クレッチマンが活かせていれば、アカデミー賞外国映画賞にノミネートあたりまではいったかもしれません。

 光州事件を描いたわけでもなく、韓国人と外国ジャーナリストの協業を描いたわけでもなく、中途半端な映画と言わざるを得ません。

監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ トーマス・クレッチマン

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梶山季之 朝鮮小説集  ② 川村湊解説編 (インパクト出版2002) [日記 (2020)]

李朝残影―梶山季之朝鮮小説集  『梶山季之 朝鮮小説集』には、の文芸評論家で法政大学国際文化学部教授の川村湊の長い解説があります。

 『族譜』は創氏改名を推進する朝鮮総督府と、これを拒む地方の名家・薛鎮英の間で悩む役人・谷の物語です。『族譜』 には1952年5月に発行された『広島文学』版、1956年の『新早稲田文学』版、大幅に加筆された1961年『文學界』版(最終稿)の3つがあるそうです。本書には資料として『広島文学』版が収録され、『梶山季之「朝鮮小説」の世界』に『広島文学』版(仮に初稿と呼びます)と『文學界』版(仮に最終稿と呼びます)を比較した論考がにあります。

 初稿と最終稿は、ストーリーはほぼ同じですが、最終稿には主人公・谷と薛鎮英の娘玉順の「恋(片想い)」が書き加えられていると言います。そして、『族譜』は恋愛小説だと言います。

 京畿道庁は薛鎮英を創氏改名させるためあの手この手を使い、最後には娘・玉順の婚約者を思想犯の名目で捕らえて圧力をかけます。谷は、賄賂を使えば薛鎮英は創氏改名を逃れられると考えますが、自分が賄賂を要求しているようで言い出せません。

いい機会だ。あのことを彼女に話すべきだ。課長に賄賂を使って、工作すれば、或いは助かるかも知れないということを!〉 僕は、なんどもなんども、そう心に囁いた。・・・そのことを話すのは、苦痛だった。僕が賄賂を欲しがっているように、思われるのが嫌なのだ。

と告白します。評者(川村)によると、この告白は不正直なもので、或る一つのことを隠しているといいます。それは、賄賂を使えば、あるいは、薛鎮英の創氏改名も逃れられ、玉順の婚約者が思想犯の無実の罪で憲兵に捕まることもなかったかもしれません。玉順に恋した谷は、婚約者が捕まって軍隊に入れられ玉順の婚約が壊れることを望んでいたから、賄賂を持ち出さなかったのだ評者は推理します。谷の告白は「信頼できない語り手」ということになります。


玉順の婚約者のに対して、「僕」は「彼を助ける」あるいは「彼が助かる」ことを、本当には望んでいないということを自覚することが嫌なだけなのだ。

 しかし、この告白は、谷が初めて薛鎮英を訪問した時の告白であり、玉順の婚約者が捕まるのは、京畿道知事の説得が失敗した後です。谷は、婚約者の逮捕を知って、「賄賂による決着」の助言をしなかったことを後ろめたく感じますが、憲兵隊が乗り出した以上もはや賄賂を使っても釈放は絶望的だと考えています。賄賂を言わなかったことは「未必の故意」だったかも知れませんが、川村説には無理があります。

 薛鎮英は、薛家を取るか(創氏改名を拒否する)、婚約者を取るか(創氏改名すれば婚約者釈放される)、決定を娘の玉順に預けます。「孝」が価値基準の大きな部分を占める朝鮮で、玉順の選択は決まっています。婚約者は軍隊に送られ婚約は解消されます。

「僕」と辟玉順との出会いから、その最後の破局に至るまでの経緯は、むしろ恋愛小説といってもよいものだ。しかし、この小説のなかでは日本人青年と朝鮮人の少女との恋愛は「禁忌」となっている(それは、もっとミもフタもなくいってしまえば「性欲」の隠蔽である)。なぜなら、それは主題である日本の植民地支配下の朝鮮人の悲劇(薛鎮英の悲劇)と、うまく両立するはずのないものだからだ。「僕」は玉順を「女性」として愛する(恋する)ことができない。しかし、無意識的には「僕」は、玉順の婚約者である金田北萬が、恋のライヴァルとしては消えてしまうことを望んでいるといわざるをえないのである。

 評者はどうあっても、宗主国・日本人の男と植民地・朝鮮の女の関係を恋愛、しかも性愛に持って行きたいようです。

薛鎮英が酔って歌う朝鮮民謡を聴くシーンでの谷の心情です。

「父さま、可哀想です」
だが、しかし、どうして朝鮮の民謡はこのやうにもの悲しい響きを奏でるのであらうか。秋の夜がしつぽりと夜露をちらしはじめるに似て、梶(最終稿では谷)の心は侘しくその哀調に閉ざされてゆくのである。そしてぼつかりと空虚な塊りが彼の体の内部に存在しはじめたのを、別な遠い感覚が意識してゐる…(初稿)

朝鮮の民謡はどうしてこんな、悲しい響きに満ちているのであろう。この侘しい旋律は、この民族の運命を象徴しているのかも知れぬ。……そんなことを、考えるともなく考えているうちに、僕の心は譬えようもない湿った愁いに占領されて行った。《お父さまを苦しめないで下さい。父さま、可哀想です。》その湿った愁いの塊りはみるみる容積をまし、僕を背徳の意識に虐みはじめた ...。(最終稿)

 初稿では朝鮮民謡の歌が、ぼつかりと空虚な塊りが彼の体の内部に存在しはじめたのですが、最終稿では、『父さま、可哀想です』という玉順のつぶやきが、湿った愁いの塊りとなって僕を虐めます。つまり、この時に谷の玉順への傾斜が始まっていたわけです。「背徳の意識」とは、薛鎮英に創氏改名を迫る、それは朝鮮民族からアイデンティである氏を奪う、僕の後ろめたさと読めますが、父親に無理難題を迫りながら、その娘に好意を寄せる裏切りとも読めます。谷は、玉順に対する恋情を一言も述べていませんが、最終稿の改編を見ると、確かに恋愛小説と読めそうです。

 谷は辞表を叩きつけて、その三ヶ月後に出征します。小説の最後は、「憎いでしょう。僕を恨んでください」と玉順に言い、出征の列車の中で「<これでいいのだ>と思っていた。なにも悲しくはなかった。どこか贖罪にも似た、寧ろ晴々とした気持ちすらあった。」と締めくくります。評者は、出征という「贖罪」によって一件落着させるのは欺瞞であると言います、

これは谷六郎という主人公(語り手)の精神內の決着であって、そこに歴史的、民族的、文化的な解決や清算は、まだ済んでいないことは明白なのである。

 「何処かで聞いた」文言です。評者によると『族譜』は、宗主国・日本人の男と植民地・朝鮮のおんなの(成就しなかった)恋愛=性愛の小説であり、男が出征することで朝鮮侵略の歴史的清算を回避した贖罪の小説ということになります。
 梶山季之は、異国の女性を描くことにによって小説にロマンティシズムを持ち込みたかったに過ぎない、そのロマンティシズムの裏に「植民地主義」があるというのは、評者の「朝鮮侵略の歴史的、民族的、文化的な解決や清算が済んでいない」という「史観」にあるのではなかろうか、と考えます。
 川村湊は1980年代に韓国の大学で教師をしています。したがって、日韓の歴史についての基本的な知識はある筈ですが、川村は「日韓併合」は日帝による朝鮮の植民地化だったと考えていたことになります。

 続いて『李朝残影』と『性欲のある風景』。

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上半期の読書 [日記 (2020)]

芭蕉という修羅 (新潮文庫) ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 大阪アースダイバー エアーズ家の没落 上 (創元推理文庫)








 早や7月、コロナ、コロナでアッという間に半年が過ぎました。図書館が休館となり思うようには読めなかったのですが、kindleも使って上半期の読書は30冊。週1冊のペースは何とか達成できています。
 面白かったのは、

 嵐山光三郎 芭蕉という修羅
 プレディみかこ ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 中沢新一 大阪アースダイバー

の3冊。大阪キタ、ミナミを地形から読み解く『大阪アースダイバー』は土地勘があるだけに面白さ抜群。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は多くの書評で取り上げられ話題になりました。『芭蕉という修羅』は、「芭蕉は幕府隠密説だった!」という本ですが、正統派芭蕉論でこれも面白い。

 カズオ・イシグロは、図書館が休館となり本棚の『日の名残り』を読んだところ、意外と面白い、さすがノーベル賞作家。で、ついつい3冊、『わたしを離さないで』がSFとして読んでも面白いです。サスペンス系は、『あの本は読まれているか』 『ザリガニが鳴くところ』、サラ・ウォーターズの『エアーズ家の没落』『荊の城 』の4冊。前2冊は、アメリカのベストセラーらしいですが、何ほどはことはなく、サラ・ウォーターズの方が一枚上手です。いずれも電子本、コロナウィルスのおかげでamazonに奉仕させられました。映画に釣られてジェフ・ヴァンダミアのSF『全滅領域』も読みましたが、3部作の第1部のため謎が多すぎて感想文が書けません。3部作を全部読めばバラード『結晶世界』のような特異なSFが読めそうです。『スカートの風』→『妓生―「もの言う花」の文化誌』→『李朝残影』と変なところにハマってしましたが、これはこれで面白い!。

 ナンカ焦点の定まらない読書です。週1冊のペースで1年に52冊読んでも10年で500冊、もう少し「読んだ!」と実感のある本を探さないと時間が勿体ないような気もします(笑。

memo


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映画 愛人/ラマン(1992仏英) [日記 (2020)]

愛人/ラマン【無修正版】 [Blu-ray] 原題:L' Amant。以前から気になっていた『愛人/ラ マン』をやっと借りることができました。監督は『薔薇の名前』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のジャン=ジャック・アノー、原作は『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』のマルグリット・デュラス。

少女
 ストーリーは(一見は)至ってシンプル。フランス領インドシナ(ベトナム)で、17歳のフランス人の少女(ジェーン・マーチ)と34歳の華僑の青年(レオン・カーフェイ)が出会い別れる話です。ラブストーリーですが、この恋愛というのが実はほぼ”性愛”。
 ヒロインの登場シーンがすばらしい!。メコン川を往来する船のデッキで、胸元の開いたノースリーブのワンピースに男物のパナマハットを被り、手摺に片足をかけ昂然と街を見下す姿は、”ジャンヌ・ダルク”?。

この帽子はわたしの証し 私らしさを象徴する大切なものだ もう手放せない

と独白(ジャンヌ・モロー)が入ります。彼女の姿に華僑の青年は虜となります。植民地の男が宗主国の女、それも少女に恋をします。語り手は少女ですから、宗主国の女が植民地の男を『愛人/ラマン』にする話とも言えます。
 男は、サイゴンの中国人街ショロンの部屋に少女を誘いますが、「愛することが怖い、また今度にしよう」と腰が引けます。後に男が語るように、フランス領インドシナで、植民地の男が娼婦以外のフランス女性と寝ることは禁忌となっています。少女は、「愛なんていらない」と男を誘いシャツを脱がせます。

彼が人生でやっているのは 女と寝ることだけだ 私はツイている これは彼の天職みたいなものだ

フランス人の高校生が、34歳の中国人を「愛人」にする倒錯の性です。
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娼婦
 少女の両親は、一旗揚げるつもりでインドシナに渡り、父親は亡くなり母親は小学校の教師となって三人の子供を育てています。阿片に溺れ親の金をくすねる長兄、気弱で覇気に乏しい次兄、将来を見通せない生活で、少女はドン底の生活と言い、そこから逃れるためには何でもすると男に言います。一方、男は華僑の不動産王の息子で運転手付きの車に乗る富豪。男は父親の命で「金とダイヤで飾り立てた」娘と婚約しています。裕福な宗主国人と貧しい植民地人という設定が、この映画では逆転しています。

 少女は、(恋人の)男を家族に紹介するのではなく、家族を(裕福な華僑の)男に紹介します。ベトナムの華僑とフランス人の違いを誇示するように、少女と家族は男を無視し、男の金で豪華な食事をしダンスに興じます。その夜、男はショロンの部屋で少女を殴り少女を犯し、少女は自分が娼婦であれば幾らの価値があるのかと問い、多額の金を受けとります。男は少女に「金のために男と寝た、初めて会った時から、お金のことしか考えていな」と言わせ、「きみは淫売だ、娼婦だ」「きみと会って初めて苦悩を知った」とつぶやきます。金銭を介在させることによって少女は娼婦になり、男は娼婦を「買う」わけです。

 少女は、インドシナでは処女でないとお嫁にゆけないのかと問い、男は、もはや処女ではないから少女とは結婚できないと答え、少女は中国人は嫌いだからかまわないと答えます。また男は、少女との結婚を父親に話し父親が許さなかったことを告白します。

行政官夫人
 ストーリーに絡まない仏領インドシナの行政官夫人が2度登場します。行政官夫人ですから、植民地のファーストレディ。最初は、渡し舟を降りる少女の車と渡し船に乗る行政官夫人の車がすれ違います。男は、行政官夫人に捨てられた男が自殺した噂を話し、少女は「男は夫人にフラれて自殺した、愛人だった」と返します。行政官夫人がフェリーの手摺に片足をかけ昂然と街を見下す姿は、少女の登場の姿と同じ。
 二度目は、男が中国人の娘と結婚した日の夜、少女は男と会うため車でショロンの部屋に向かいます。この時二人は車ですれ違います。男は来ず、少女は虚しく人力車でショロンを去ります。
 少女と行政官夫人カットは、この映画の象徴です。フランス人の貧しい少女は植民地の華僑の男を「愛人」にすることで、ファーストレディに成り上がったわけです。それは恋ではなく性愛でなければならなかったわけです。
 少女の一家は、母親が不動産投資で騙され財産を失って貧乏になりますから、この国のフランス人としは敗者。敗者がファーストレディに仕掛けた孤独な戦いと言えそうです。冒頭の独白が生きてきます、

この「」はわたしの証し 私らしさを象徴する大切なものだ もう手放せない

 一家はフランスに帰国することになります。少女の胸には、貧しい生活以外何一つ無かったインドシナを去る感慨が去来した筈です。帰国の船の上から、少女は男の車を認め男が見送りに来たことを知り、少女は男を愛していたことに気付き涙を流します。それはまた、少女が戦いの敗北を認めた涙だったかも知れません。

 マルグリット・デュラスは愛の逆説を小説に仕立て、ジャン=ジャック・アノーは、それを官能で描いたのです。面白いかと言えば、少女を演じるジェーン・マーチの官能は一見の価値ありです。

監督:ジャン=ジャック・アノー
出演:ジェーン・マーチ レオン・カーフェイ ジャンヌ・モロー(ナレーション)

 原作を読んでみました →ここ

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7月の庭 [日記 (2020)]

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 紫陽花はそろそろ終わりですが、アガパンサスとカンナはまだまだ。トマトも収穫できてます。カボチャは果たして?…。
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ノカンゾウ?
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カボチャ 人工受粉 [日記 (2020)]

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 カボチャの苗を頂いた方から人工受粉の話を聞いたので、やってみました。左が雌花、右が雄花、たぶん。雄花を摘んで雌花の中心にチョンチョン、これでいいなのか?。実の付いている花もあり、こちらはハチが受粉してくれたのだと思います。
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                   8/20の実です
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 トマトはたくさん実がつきました。完熟まで待つと腐ってくるようなので、早めに収穫。スーパーで買ったものより味が濃いです。シソも成長して、素麺や冷奴の薬味に重宝しています。

【7/20追記】
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 小さい実がついて順調に育っていたカボチャが2株とも枯れてしまいました。我が家の庭は少し掘ると粘土。植えるときに30cmほど掘り牛糞を入れておいたのですが、この長雨で根腐れを起こしたようです。もう一株花壇に植えておいた方は大丈夫。こちらは宅地造成で盛り土のためと思います。そう言えば、同じ様に植えたトマトもいまいち元気がない。野菜作りはなかなか難しいです。

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